五常訓 / 巻之五・智
一樊遲問知、子曰、務民之義、敬鬼神而違之、可謂知矣(雍也)。是知者のまよはざる事を以てこたへ給ふ。知者は心明かに、事理の是非を知る故に、凡孝弟忠信などの、人道の行ふべき事を專つとめて、目に見えぬ鬼神の事にまよはず、祭るまじき淫祀をまつり諂ふは云ふに足らず、祭るべき正神なりとも、唯敬ひたふとぶべし。近づきけがして、諂ひもとむべからず。近なるゝは、神をけがして敬はざるなり。たとへば主君貴人などに、此方より馴々しく親み近づきて、祿をこひ、財を賜はらんことをのむぞが如し。無禮と云つべし。神は非禮をうけず。無禮にして近づきいのるとも、利生あるべからず。神もし靈あらば、かへりて咎あるべし。又祈るべき道理なくて、我が利欲を以て、へつらひ求めて、福をいのるとも、神は正直公明にて、私なければ、かゝるひがひがしき祈をうけ、賽錢奉財などにめでて、私を行ひ、利生あるべからず。
新字:一樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而違之、可謂知矣(雍也)。是知者のまよはざる事を以てこたへ給ふ。知者は心明かに、事理の是非を知る故に、凡孝弟忠信などの、人道の行ふべき事を専つとめて、目に見えぬ鬼神の事にまよはず、祭るまじき淫祀をまつり諂ふは云ふに足らず、祭るべき正神なりとも、唯敬ひたふとぶべし。近づきけがして、諂ひもとむべからず。近なるゝは、神をけがして敬はざるなり。たとへば主君貴人などに、此方より馴々しく親み近づきて、禄をこひ、財を賜はらんことをのむぞが如し。無礼と云つべし。神は非礼をうけず。無礼にして近づきいのるとも、利生あるべからず。神もし霊あらば、かへりて咎あるべし。又祈るべき道理なくて、我が利欲を以て、へつらひ求めて、福をいのるとも、神は正直公明にて、私なければ、かゝるひがひがしき祈をうけ、賽銭奉財などにめでて、私を行ひ、利生あるべからず。
書き下し
一樊遅知を問ふ、子曰く、民の義を務め、鬼神を敬して之を違く、知と謂ふべし(雍也)。是知者のまよはざる事を以てこたへ給ふ。知者は心明かに、事理の是非を知る故に、凡孝弟忠信などの、人道の行ふべき事を専つとめて、目に見えぬ鬼神の事にまよはず、祭るまじき淫祀をまつり諂ふは云ふに足らず、祭るべき正神なりとも、唯敬ひたふとぶべし。近づきけがして、諂ひもとむべからず。近なるるは、神をけがして敬はざるなり。たとへば主君貴人などに、此方より馴々しく親み近づきて、禄をこひ、財を賜はらんことをのむぞが如し。無礼と云つべし。神は非礼をうけず。無礼にして近づきいのるとも、利生あるべからず。神もし霊あらば、かへりて咎あるべし。又祈るべき道理なくて、我が利欲を以て、へつらひ求めて、福をいのるとも、神は正直公明にて、私なければ、かかるひがひがしき祈をうけ、賽銭奉財などにめでて、私を行ひ、利生あるべからず。
現代語訳
樊遅が知について問うと、孔子は「民の義を務め、鬼神を敬して遠ざける。これを知ということができる」と言われました(雍也篇)。これは知者が迷わないことをもって答えられたのです。知者は心が明らかで、事の理の是非を知っているので、孝弟忠信など人の道として行うべきことをもっぱら努め、目に見えない鬼神のことに迷いません。祭るべきでない淫祀を祭ってへつらうのは言うまでもなく、祭るべき正しい神であっても、ただ敬い尊ぶべきです。近づいて汚し、へつらって求めてはいけません。慣れ近づくのは、神を汚して敬わないことです。たとえば主君や貴人に、こちらからなれなれしく親しみ近づいて、禄を乞い財を賜ろうと望むようなものです。無礼というべきです。神は非礼を受けません。無礼に近づいて祈っても、ご利益はないでしょう。神にもし霊があるなら、かえって咎めがあるでしょう。また祈るべき道理もないのに、自分の利欲でへつらい求めて福を祈っても、神は正直公明で私心がないので、そのようなひがんだ祈りを受け、賽銭や供え物に心を動かされて私を行い、ご利益を与えることはありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
-
『呻吟語』内篇・修身・苟を反して敬と為す敬なる者は、苟せざるの謂ひなり。故に苟を反して敬と為す。
-
『呻吟語』内篇・存心・只だ敬と怠の兩字に系る天下國家の存亡、身の生死は、只だ「敬」「怠」の兩字に系る。敬すれば則ち慎み、慎めば則ち百務脩まり舉がる。怠れば則ち苟くもし、苟くもすれば則ち萬事隳れ頹る。天子より以て庶人に至るまで、此くのごとくならざるは莫し。此れ千古の聖賢の兢兢たる所にして、世人の必ず由る所なり。
-
尚書・太甲下惟れ天は親しむこと無く、克く敬する惟れ親しむ。民は常に懐くこと罔く、仁有るに懐く。
-
『呻吟語』内篇・談道・敬肆は死生の關敬肆は死生の關なり。
-
『呻吟語』内篇・修身・勤慎は敬の謂ひなり甚麼か此の字を降伏し得ん。曰く勤慎なり。勤慎なる者は、敬の謂ひなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る