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五常訓 / 巻之五・智

君子の學、つとめ行ふを貴ぶといへど、先知らざれば行ふ事あたはず。如何となれば、智なくして心くらく、善惡是非をわきまへざれば、道を行ふべきすべを知らず。たとへば、盲の杖をうしなひて、ひとり道を行くが如し。足健なれど、道を見ざれば、迷ひて行きがたし。智なければ、才力あれども、每事道理を知らず、あやまり多くして、道行はれず。仁義禮も、智にあらざれば、道理明ならずして、行ひがたし。人を愛するは仁なれども、理くらければ、姑息するを仁とし、科あるをゆるすの類、是智なければ、仁行はれず。宜しくするは義なり。智なければ、其宜しき程を知らず。うやまふは禮なり。智なければ、其よき程を知らで、うやまひ過し、或はうやまひ足らざるは、非禮なり。かやうの類、皆是智なければ、仁義禮共に行はれざるなり。

新字:君子の学、つとめ行ふを貴ぶといへど、先知らざれば行ふ事あたはず。如何となれば、智なくして心くらく、善悪是非をわきまへざれば、道を行ふべきすべを知らず。たとへば、盲の杖をうしなひて、ひとり道を行くが如し。足健なれど、道を見ざれば、迷ひて行きがたし。智なければ、才力あれども、毎事道理を知らず、あやまり多くして、道行はれず。仁義礼も、智にあらざれば、道理明ならずして、行ひがたし。人を愛するは仁なれども、理くらければ、姑息するを仁とし、科あるをゆるすの類、是智なければ、仁行はれず。宜しくするは義なり。智なければ、其宜しき程を知らず。うやまふは礼なり。智なければ、其よき程を知らで、うやまひ過し、或はうやまひ足らざるは、非礼なり。かやうの類、皆是智なければ、仁義礼共に行はれざるなり。

書き下し

君子の学、つとめ行ふを貴ぶといへど、先知らざれば行ふ事あたはず。如何となれば、智なくして心くらく、善悪是非をわきまへざれば、道を行ふべきすべを知らず。たとへば、盲の杖をうしなひて、ひとり道を行くが如し。足健なれど、道を見ざれば、迷ひて行きがたし。智なければ、才力あれども、毎事道理を知らず、あやまり多くして、道行はれず。仁義礼も、智にあらざれば、道理明ならずして、行ひがたし。人を愛するは仁なれども、理くらければ、姑息するを仁とし、科あるをゆるすの類、是智なければ、仁行はれず。宜しくするは義なり。智なければ、其宜しき程を知らず。うやまふは礼なり。智なければ、其よき程を知らで、うやまひ過し、或はうやまひ足らざるは、非礼なり。かやうの類、皆是智なければ、仁義礼共に行はれざるなり。

現代語訳

君子の学問は努め行うことを貴びますが、まず知らなければ行うことはできません。なぜなら、智がなくて心が暗く、善悪是非をわきまえなければ、道を行う方法を知らないからです。たとえば目の見えない人が杖を失って、ひとりで道を行くようなものです。足は丈夫でも、道が見えなければ迷って進めません。智がなければ、才能や力があっても毎事道理を知らず、誤りが多くて道は行われません。仁・義・礼も、智によらなければ道理が明らかでなく行いにくいのです。人を愛するのは仁ですが、理が暗ければ、その場しのぎに甘やかすことを仁と思い、罪あるものを許してしまうたぐいで、これは智がないために仁が行われないのです。ほどよくするのは義です。智がなければ、そのほどよい程度がわかりません。敬うのは礼です。智がなければ、そのちょうどよい程度を知らず、敬いすぎたり、あるいは敬いが足りなかったりするのは非礼です。このようなたぐいは皆、智がないために仁・義・礼がともに行われないのです。

解説

益軒は、智を欠いた行動を「盲人が杖を失って独り道を行く」ことにたとえます。足が丈夫でも道が見えなければ進めないように、才力があっても判断力がなければ事は成りません。特に鋭いのは、智のない仁が「姑息」、つまりその場しのぎの甘やかしになるという指摘です。叱るべき時に叱れない優しさは仁ではないということで、子育てや部下の指導でよく起こる失敗をそのまま言い当てています。礼も、敬いすぎれば非礼になる、というのも実感のある言葉です。

この章句が説くこと

智仁義礼姑息

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