五常訓 / 巻之五・智
一智なければ、心に善あれども、行ふべき道を知らずして、みだりに行へば、あやまりて僻事のみ多し。父母に能く事へんと思へと、孝の道を知らざれは、不孝に歸す。君に仕ふるに、心に忠あれども智なければ、忠を行ふすべを知らで、不忠にいたる。萬の事、皆しかり。すべて智なくしては、道を行ふことあたはず。人の惡をなすは、皆不知より出づ。智あれば、善の好むべく、惡の嫌ふべき事をよく知りて、道自ら行はる。故に學をするには、智を求むるを、第一のつとめとすべし。論語に、智者不惑、仁者不憂、勇者不懼。又知及、仁守るといへり。中庸には、知仁勇を三德とす。皆知を先として說き給ふ。大學には、格物致知を先として、萬の道理をきはめ知りて、わが智を開く事をつとめしむ。
新字:一智なければ、心に善あれども、行ふべき道を知らずして、みだりに行へば、あやまりて僻事のみ多し。父母に能く事へんと思へと、孝の道を知らざれは、不孝に帰す。君に仕ふるに、心に忠あれども智なければ、忠を行ふすべを知らで、不忠にいたる。万の事、皆しかり。すべて智なくしては、道を行ふことあたはず。人の悪をなすは、皆不知より出づ。智あれば、善の好むべく、悪の嫌ふべき事をよく知りて、道自ら行はる。故に学をするには、智を求むるを、第一のつとめとすべし。論語に、智者不惑、仁者不憂、勇者不懼。又知及、仁守るといへり。中庸には、知仁勇を三徳とす。皆知を先として説き給ふ。大学には、格物致知を先として、万の道理をきはめ知りて、わが智を開く事をつとめしむ。
書き下し
一智なければ、心に善あれども、行ふべき道を知らずして、みだりに行へば、あやまりて僻事のみ多し。父母に能く事へんと思へと、孝の道を知らざれは、不孝に帰す。君に仕ふるに、心に忠あれども智なければ、忠を行ふすべを知らで、不忠にいたる。万の事、皆しかり。すべて智なくしては、道を行ふことあたはず。人の悪をなすは、皆不知より出づ。智あれば、善の好むべく、悪の嫌ふべき事をよく知りて、道自ら行はる。故に学をするには、智を求むるを、第一のつとめとすべし。論語に、智者は惑はず、仁者は憂へず、勇者は懼れず。又知及び、仁守るといへり。中庸には、知仁勇を三徳とす。皆知を先として説き給ふ。大学には、格物致知を先として、万の道理をきはめ知りて、わが智を開く事をつとめしむ。
現代語訳
智がなければ、心に善があっても行うべき道を知らず、むやみに行うので、誤ってひがごとばかりが多くなります。父母によく仕えようと思っても、孝の道を知らなければ不孝に終わります。君に仕えるのに心に忠があっても、智がなければ忠を行う方法を知らず、不忠に至ります。万事みなそうです。すべて智がなくては道を行うことはできません。人が悪をなすのは、皆知らないことから出ます。智があれば、善の好むべきこと、悪の嫌うべきことをよく知って、道はおのずから行われます。ですから学問をするには、智を求めることを第一の務めとすべきです。『論語』に「智者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」とあり、また「知が及び、仁が守る」とあります。『中庸』では知・仁・勇を三徳としています。いずれも知を先にして説いておられます。『大学』では格物致知を先にして、万の道理をきわめ知り、自分の智を開くことに努めさせます。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第九章 忠節・支那は孝を本とし日本は忠を本とす此れと等しく、日本人の懐抱する如き忠節は、国を異にして之を頌するものの、ほとんど稀なるを見ん。然れども此れ、吾人の観念の非なるが故にあらずして、却つて彼れにありては既に之を忘却せるが故にして、又た日本人の忠節の念に深厚なるは、他国の未だ容易に企及する能はざるものあるが為なるなからんか。グリフィス氏が、支那に在りては孔教は孝を以て百行の基と為し、日本に在りては忠を以て本と為す、と説けるは真に然り。予は今ここに、読者の或は吃驚酸鼻すべきを顧みず、シェイクスピアの所謂『落魄の主君に仕へて艱苦をつぶさにし』、以て『稗史に名を得たる』忠臣の物語を叙せん。其物語は、我国史を飾れる清廉高義の人格、菅原道真を寓せるものなり。
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『童子問』卷中問ふ、忠と孝と孰れか重き。曰く、軽重無し。君親躰均しく、恩義相倚る。其の親に孝なる者は、必ず其の君に忠なり。其の君に忠なる者は、必ず其の親に孝なり。未だ其の親に孝ならずして、能く其の君に忠なる者有らざるなり。又未だ其の君に忠ならずして、能く其の親に孝なる者有らざるなり。故に孔子曰く、孝を以て君に事ふれば、則ち忠なりと。又曰く、忠臣を孝子の門に求むと。世俗多く忠孝両全する能はずと言ふ。此の言を為す者は、蓋し其の一を勤めて、其の一を緩くせんと欲する意有り。若し不孝の子に非ざれば、必ず是れ不忠の臣なり。不孝の子は人に非ず、不忠の臣も亦人に非ず。之を戒めよ、之を戒めよ。欧陽子曰く、君に在りては則ち君の為にし、親に在りては則ち親の為にすと。此の言之を得たり。
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