導師導古典を学びたいすべての人に

五常訓 / 巻之四・義

此所は、君子の心術の上にてくはしき論なり。小人の上の沙汰にはあらず。たとへば潔白なる物に、一點の墨を附くれば、白と云ひがたきが如し。天理人欲同行異情と、胡五峯いへり。天理は義なり。人欲は利なり。義も利も、身の行は善なれば、同じ事なれど、心底に公と私とのかはりあり。是同行異情なり。是亦義利の分ちなり。又王覇の辨もこゝにあり。いにしへの聖人、仁義を行ひて、民をなつけ給へば、國天下の民、自らよろこんで、まことに歸服す。是誠の道を以て、民ををさむる也。是を王道と云ふ。堯舜、禹湯、文武などの行ひ給ひし道是なり。又仁義の德はなけれど、仁義の名をかりて、善を行ひ、民を服し、亂をしづめて、國天下を得んと思ふ。

新字:此所は、君子の心術の上にてくはしき論なり。小人の上の沙汰にはあらず。たとへば潔白なる物に、一点の墨を附くれば、白と云ひがたきが如し。天理人欲同行異情と、胡五峯いへり。天理は義なり。人欲は利なり。義も利も、身の行は善なれば、同じ事なれど、心底に公と私とのかはりあり。是同行異情なり。是亦義利の分ちなり。又王覇の弁もこゝにあり。いにしへの聖人、仁義を行ひて、民をなつけ給へば、国天下の民、自らよろこんで、まことに帰服す。是誠の道を以て、民ををさむる也。是を王道と云ふ。堯舜、禹湯、文武などの行ひ給ひし道是なり。又仁義の徳はなけれど、仁義の名をかりて、善を行ひ、民を服し、乱をしづめて、国天下を得んと思ふ。

書き下し

此所は、君子の心術の上にてくはしき論なり。小人の上の沙汰にはあらず。たとへば潔白なる物に、一点の墨を附くれば、白と云ひがたきが如し。天理人欲、行を同じくして情を異にすと、胡五峯いへり。天理は義なり。人欲は利なり。義も利も、身の行は善なれば、同じ事なれど、心底に公と私とのかはりあり。是同行異情なり。是亦義利の分ちなり。又王覇の弁もここにあり。いにしへの聖人、仁義を行ひて、民をなつけ給へば、国天下の民、自らよろこんで、まことに帰服す。是誠の道を以て、民ををさむる也。是を王道と云ふ。堯舜、禹湯、文武などの行ひ給ひし道是なり。又仁義の徳はなけれど、仁義の名をかりて、善を行ひ、民を服し、乱をしづめて、国天下を得んと思ふ。

現代語訳

ここは、君子の心の用い方の上での詳しい議論です。小人の上の話ではありません。たとえば真っ白な物に一点の墨を付ければ、白とはいいがたいようなものです。胡五峰は「天理と人欲は、行いを同じくして情を異にする」といいました。天理は義です。人欲は利です。義も利も、身の行いが善であれば同じことですが、心の底に公と私の違いがあります。これが「行いを同じくして情を異にする」です。これもまた義と利の区別です。また王道と覇道の区別もここにあります。昔の聖人は、仁義を行って民をなつけられたので、国や天下の民は自ら喜んで、まことに帰服しました。これは誠の道によって民を治めることです。これを王道といいます。堯・舜・禹王・湯王・文王・武王などの行われた道がこれです。また仁義の徳はないけれども、仁義の名を借りて善を行い、民を服従させ、乱を鎮めて、国や天下を得ようと思います。

解説

南宋の胡宏(五峰)の「天理人欲、行を同じくして情を異にす」を引き、外から見れば同じ善行でも、心の底が公か私かで義と利に分かれると説いています。真っ白な物に一点の墨がつけば白といえないというたとえは、動機の純粋さを求める厳しさを表しています。そこから、真心で民をなつける王道と、仁義の名を借りて天下を得ようとする覇道の区別へと話が進みます。見た目が同じ行動でも心の動機が結果を分けるという視点は、リーダーシップを考えるうえでも示唆的です。

この章句が説くこと

義利天理王道胡五峰

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る