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五常訓 / 巻之三・仁之下

一子曰、仁遠乎哉、我欲仁斯仁至矣。仁は人の心なり。なんぞ遠きにあらんや。我に有る故に、このんで求むれば、卽得やすし。是仁至るなり。一張子の西銘の意は、仁人の天につかうまつる道をいへり。天を父と稱し、地を母と稱し、人は其惠によりて生る。天地の氣をとりて、我が身體とし、天地の理をうけて、我が本性とす。故に人は天地の子なり。天下にあらゆる民は、われと同じく天地の子なれば、皆我が兄弟なれば、尤愛すべきこと、云ふに及ばず。鳥獸草木などの萬物は、わが類にはあらざれども、同じく天地の氣をうけたれば、我がともがらなり。是又あはれむべし。妄にそこなふべからず。大君は我が嫡兄なり。大臣は嫡兄の家相なり。老人をうやまふは、わが兄を敬ふなり。

新字:一子曰、仁遠乎哉、我欲仁斯仁至矣。仁は人の心なり。なんぞ遠きにあらんや。我に有る故に、このんで求むれば、即得やすし。是仁至るなり。一張子の西銘の意は、仁人の天につかうまつる道をいへり。天を父と称し、地を母と称し、人は其恵によりて生る。天地の気をとりて、我が身体とし、天地の理をうけて、我が本性とす。故に人は天地の子なり。天下にあらゆる民は、われと同じく天地の子なれば、皆我が兄弟なれば、尤愛すべきこと、云ふに及ばず。鳥獣草木などの万物は、わが類にはあらざれども、同じく天地の気をうけたれば、我がともがらなり。是又あはれむべし。妄にそこなふべからず。大君は我が嫡兄なり。大臣は嫡兄の家相なり。老人をうやまふは、わが兄を敬ふなり。

書き下し

一子曰く、仁遠からんや、我仁を欲すれば斯に仁至る。仁は人の心なり。なんぞ遠きにあらんや。我に有る故に、このんで求むれば、即得やすし。是仁至るなり。一張子の西銘の意は、仁人の天につかうまつる道をいへり。天を父と称し、地を母と称し、人は其恵によりて生る。天地の気をとりて、我が身体とし、天地の理をうけて、我が本性とす。故に人は天地の子なり。天下にあらゆる民は、われと同じく天地の子なれば、皆我が兄弟なれば、尤愛すべきこと、云ふに及ばず。鳥獣草木などの万物は、わが類にはあらざれども、同じく天地の気をうけたれば、我がともがらなり。是又あはれむべし。妄にそこなふべからず。大君は我が嫡兄なり。大臣は嫡兄の家相なり。老人をうやまふは、わが兄を敬ふなり。

現代語訳

孔子は「仁は遠いものだろうか。自分が仁を望めば、仁はすぐにやって来る」とおっしゃいました。仁は人の心です。どうして遠くにあるでしょうか。自分にあるので、好んで求めれば、すぐに得やすいのです。これが仁が至るということです。張子(張載)の「西銘」の意味は、仁人が天にお仕えする道をいったものです。天を父と称し、地を母と称し、人はその恵みによって生まれます。天地の気を取って自分の身体とし、天地の理を受けて自分の本性とします。ゆえに人は天地の子です。天下のあらゆる民は、自分と同じく天地の子であるから、みな自分の兄弟であり、最も愛すべきことは言うまでもありません。鳥獣や草木などの万物は、自分と同類ではないけれども、同じく天地の気を受けているので、自分の仲間です。これもまたあわれむべきです。みだりにそこなってはなりません。大君は自分の嫡兄です。大臣は嫡兄の家宰です。老人を敬うのは、自分の兄を敬うことです。

解説

『論語』述而篇の「仁遠からんや。我仁を欲すれば斯に仁至る」で、仁は自分の心にあるので求めればすぐ得られると説き、続いて北宋の張載の「西銘」を解説し始めます。西銘は「乾を父と称し坤を母と称す」「民は吾が同胞、物は吾が与なり」「大君は吾が父母の宗子、大臣は宗子の家相」などと説く名文で、朱子学で特に重んじられました。すべての人を兄弟、万物を仲間とみる大きな家族観は、思いやりを社会全体へと広げる考え方の土台になります。

この章句が説くこと

仁西銘張載天地兄弟

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