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五常訓 / 巻之三・仁之下

一天地の、我に財祿を多くあたへて、富貴にし給ふは、必我一人のために、厚くめぐみ給ふにはあらず。我が力を以て、貧なる者に財をほどこし惠ませんために、我におほく財祿をあたへ給ふ理なれば、人に施さざるは、天の御心にそむく理なれば、おそるべし。我が財を惜むべからず。もし天心にそむき、財多くして人に施さざれば、わざはひ出來るものなり。易に天道はみつるを缺くといへり。又物みつれば缺くともいへり。古語にも、あつまれば散ずとも云ふ。財おほくて、人の貧窮をめぐまざれば、みちて缺くるの禍あり。おそるべし。又我が釆地の民は、我が養ふべきものなれば、年凶にして、饑饉に及ばゞ、わが身の俸養を儉約にし、費さずして、力にしたがつて救ふべし。

新字:一天地の、我に財禄を多くあたへて、富貴にし給ふは、必我一人のために、厚くめぐみ給ふにはあらず。我が力を以て、貧なる者に財をほどこし恵ませんために、我におほく財禄をあたへ給ふ理なれば、人に施さざるは、天の御心にそむく理なれば、おそるべし。我が財を惜むべからず。もし天心にそむき、財多くして人に施さざれば、わざはひ出来るものなり。易に天道はみつるを欠くといへり。又物みつれば欠くともいへり。古語にも、あつまれば散ずとも云ふ。財おほくて、人の貧窮をめぐまざれば、みちて欠くるの禍あり。おそるべし。又我が釆地の民は、我が養ふべきものなれば、年凶にして、饑饉に及ばゞ、わが身の俸養を倹約にし、費さずして、力にしたがつて救ふべし。

書き下し

一天地の、我に財禄を多くあたへて、富貴にし給ふは、必我一人のために、厚くめぐみ給ふにはあらず。我が力を以て、貧なる者に財をほどこし恵ませんために、我におほく財禄をあたへ給ふ理なれば、人に施さざるは、天の御心にそむく理なれば、おそるべし。我が財を惜むべからず。もし天心にそむき、財多くして人に施さざれば、わざはひ出来るものなり。易に天道はみつるを欠くといへり。又物みつれば欠くともいへり。古語にも、あつまれば散ずとも云ふ。財おほくて、人の貧窮をめぐまざれば、みちて欠くるの禍あり。おそるべし。又我が釆地の民は、我が養ふべきものなれば、年凶にして、饑饉に及ばば、わが身の俸養を倹約にし、費さずして、力にしたがつて救ふべし。

現代語訳

天地が自分に財や禄を多く与えて富貴にされるのは、必ずしも自分一人のために厚く恵まれるのではありません。自分の力によって、貧しい者に財を施し恵ませるために、自分に多くの財や禄を与えられた理なので、人に施さないのは天の御心にそむく理であり、恐るべきです。自分の財を惜しんではなりません。もし天の心にそむき、財が多いのに人に施さなければ、禍が出てくるものです。『易』に「天道は満ちたものを欠く」とあります。また「物は満ちれば欠ける」ともいいます。古語にも「集まれば散る」といいます。財が多くて人の貧窮を恵まなければ、満ちて欠ける禍があります。恐るべきです。また自分の領地の民は自分が養うべきものなので、凶作の年で飢饉になれば、自分の身の養いを倹約にし、費やさずに、力に応じて救うべきです。

解説

天が人に富を与えるのは、その人一人のためではなく、貧しい者に施させるためだと説いています。財を独り占めすれば禍が来るという根拠に、『易』謙卦の「天道は盈つるを虧きて謙に益す」などを挙げています。さらに領主に向けて、飢饉の年には自分の生活を切り詰めてでも領民を救えと求めます。富や地位は預かりものだという考え方は、企業の社会的責任や、成功した人が社会に還元するという現代の考え方とよく重なります。

この章句が説くこと

財施し易君主飢饉

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