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五常訓 / 巻之三・仁之下

一此世にむまれては、高きもいやしきも、皆同じく天地の子にして、同じ人なるに、なかにつきて、不幸なる人は、家まどしく、財なくして、つねに衣食ともしく、朝夕うれひ苦めり。且年あしく、衣食ともしく、やしなひ足らずして、世をわたるよすがなき人多し。わが身幸にして、かゝる苦なく、かれは不幸にして、かゝる憂にしづめり。彼の貧民、たとひ疏遠の人なりとも、其本をたづぬれば、同じく皆わが兄弟のわびしき人なれば、豈かなしまざらんや。我がともがら、幸に天地の德により、主君の惠をうけ、父祖の恩によりて、たとひ富貴ならねど、世わたる事、さほど苦まざる身ならば、其分にしたがひて、彼の我にしたしき人、我が知れる人の、世をわたりかねて、憂にしづめる人を救はざらんや。

新字:一此世にむまれては、高きもいやしきも、皆同じく天地の子にして、同じ人なるに、なかにつきて、不幸なる人は、家まどしく、財なくして、つねに衣食ともしく、朝夕うれひ苦めり。且年あしく、衣食ともしく、やしなひ足らずして、世をわたるよすがなき人多し。わが身幸にして、かゝる苦なく、かれは不幸にして、かゝる憂にしづめり。彼の貧民、たとひ疏遠の人なりとも、其本をたづぬれば、同じく皆わが兄弟のわびしき人なれば、豈かなしまざらんや。我がともがら、幸に天地の徳により、主君の恵をうけ、父祖の恩によりて、たとひ富貴ならねど、世わたる事、さほど苦まざる身ならば、其分にしたがひて、彼の我にしたしき人、我が知れる人の、世をわたりかねて、憂にしづめる人を救はざらんや。

書き下し

一此世にむまれては、高きもいやしきも、皆同じく天地の子にして、同じ人なるに、なかにつきて、不幸なる人は、家まどしく、財なくして、つねに衣食ともしく、朝夕うれひ苦めり。且年あしく、衣食ともしく、やしなひ足らずして、世をわたるよすがなき人多し。わが身幸にして、かかる苦なく、かれは不幸にして、かかる憂にしづめり。彼の貧民、たとひ疏遠の人なりとも、其本をたづぬれば、同じく皆わが兄弟のわびしき人なれば、豈かなしまざらんや。我がともがら、幸に天地の徳により、主君の恵をうけ、父祖の恩によりて、たとひ富貴ならねど、世わたる事、さほど苦まざる身ならば、其分にしたがひて、彼の我にしたしき人、我が知れる人の、世をわたりかねて、憂にしづめる人を救はざらんや。

現代語訳

この世に生まれては、身分の高い者も低い者も、みな同じく天地の子であって同じ人なのに、その中で不幸な人は、家が貧しく財産がなく、いつも衣食に乏しく、朝夕憂え苦しんでいます。そのうえ不作の年には衣食に乏しく、養いが足りず、世を渡る手だてのない人が多いものです。自分の身は幸いにしてこのような苦しみがなく、彼らは不幸にしてこのような憂いに沈んでいます。あの貧しい民は、たとえ縁遠い人であっても、その本をたずねれば、同じくみな自分の兄弟のわびしい人であるから、どうして悲しまないでいられるでしょうか。私たちは幸いに天地の徳により、主君の恵みを受け、父祖の恩によって、たとえ富貴ではなくても、世を渡ることにさほど苦しまない身であるならば、その分に応じて、自分に親しい人や知っている人で、世を渡りかねて憂いに沈んでいる人を救わないでよいでしょうか。

解説

身分の上下を問わず人はみな天地の子であり、貧しさに苦しむ人も自分の兄弟だと述べ、生活に余裕のある者は分に応じて身近な困窮者を救うべきだと説いています。自分が苦しまずにすんでいるのは、天地の徳・主君の恵み・父祖の恩のおかげだという見方は、恵まれた立場を自分の手柄と思わない謙虚さを教えます。まず親しい人や知人から救えという現実的な順序も益軒らしいところです。身近な助け合いは、地域福祉や寄付を考える出発点になります。

この章句が説くこと

仁貧困救済天地兄弟

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