五常訓 / 巻之三・仁之下
一儒者の道、鳥けだものを殺すは、不仁なりと云ふ人あれど、それは道を知らざる人の言なり、君子は故なければ、鳥獸をころさず。故なくして妄にころすは、儒者の道にあらず、末世の人のわざなり。是を儒者の道と云ふべからず。ころすべき理あれば、人をも殺して、義にあたる。いはやん鳥けだものをや。殺すまじき理あれば、草木をも伐らず、禽獸はさらなり。曾子曰、樹木時を以てきり、禽獸時を以てころす。孔子曰、一樹をきり、一獸をころすも、其時を以てせざれば不孝なり。是みだりに木をきり、物をころすは、天地の物をそこなふなり。不孝と云ふべし。いにしへの人、田はたけに作れる五穀をそこなふ鳥獸を殺して、民のために害をのぞき、是を用ひて、宗廟社稷の神をまつり、老をやしなひ、賓客にそなふるため、民の隙を用ひて、武事をならはしめ、軍法を敎へんがため、四時の狩をして鳥獸をころせしは理なり。
新字:一儒者の道、鳥けだものを殺すは、不仁なりと云ふ人あれど、それは道を知らざる人の言なり、君子は故なければ、鳥獣をころさず。故なくして妄にころすは、儒者の道にあらず、末世の人のわざなり。是を儒者の道と云ふべからず。ころすべき理あれば、人をも殺して、義にあたる。いはやん鳥けだものをや。殺すまじき理あれば、草木をも伐らず、禽獣はさらなり。曽子曰、樹木時を以てきり、禽獣時を以てころす。孔子曰、一樹をきり、一獣をころすも、其時を以てせざれば不孝なり。是みだりに木をきり、物をころすは、天地の物をそこなふなり。不孝と云ふべし。いにしへの人、田はたけに作れる五穀をそこなふ鳥獣を殺して、民のために害をのぞき、是を用ひて、宗廟社稷の神をまつり、老をやしなひ、賓客にそなふるため、民の隙を用ひて、武事をならはしめ、軍法を教へんがため、四時の狩をして鳥獣をころせしは理なり。
書き下し
一儒者の道、鳥けだものを殺すは、不仁なりと云ふ人あれど、それは道を知らざる人の言なり、君子は故なければ、鳥獣をころさず。故なくして妄にころすは、儒者の道にあらず、末世の人のわざなり。是を儒者の道と云ふべからず。ころすべき理あれば、人をも殺して、義にあたる。いはやん鳥けだものをや。殺すまじき理あれば、草木をも伐らず、禽獣はさらなり。曽子曰、樹木時を以てきり、禽獣時を以てころす。孔子曰、一樹をきり、一獣をころすも、其時を以てせざれば不孝なり。是みだりに木をきり、物をころすは、天地の物をそこなふなり。不孝と云ふべし。いにしへの人、田はたけに作れる五穀をそこなふ鳥獣を殺して、民のために害をのぞき、是を用ひて、宗廟社稷の神をまつり、老をやしなひ、賓客にそなふるため、民の隙を用ひて、武事をならはしめ、軍法を教へんがため、四時の狩をして鳥獣をころせしは理なり。
現代語訳
儒者の道で、鳥や獣を殺すのは不仁だという人がいますが、それは道を知らない人の言葉です。君子は理由がなければ鳥獣を殺しません。理由もなくみだりに殺すのは儒者の道ではなく、末世の人のしわざです。これを儒者の道といってはなりません。殺すべき理があれば、人をも殺して義にかないます。まして鳥や獣はなおさらです。殺してはならない理があれば、草木をも伐らず、禽獣はいうまでもありません。曾子は「樹木は時を選んで伐り、禽獣は時を選んで殺す」といいました。孔子は「一本の木を伐り、一頭の獣を殺すにも、その時を選ばなければ不孝である」とおっしゃいました。これは、みだりに木を伐り物を殺すのは、天地の物をそこなうことであり、不孝というべきだということです。昔の人は、田畑に作った五穀をそこなう鳥獣を殺して民のために害を除き、これを用いて宗廟や社稷の神を祭り、老人を養い、賓客をもてなすため、また民の暇な時を用いて武事を習わせ、軍法を教えるため、四季の狩りをして鳥獣を殺したのは理にかなったことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之一・総論一仁義の道は、我が心の外に求めず。幼穉なる童も、其親を愛することを知らざるは無し。其長ずるに及んでは、其兄を敬ふことを知らざるは無し。親を愛するは仁なり。兄を敬ふは義なり。ここを以て、仁義はわが心に、もとより生れつきたる事を知るべし。且親を愛し、兄を敬ふは、誰も知りやすく行ひやすし。甚高くして、知りがたく行ひがたき事にはあらず。此二にもとづきて、其心をおしひろめ、万事に行ひ及ぼさば、仁義行れて、人道立ちぬべし。
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『五常訓』巻之四・義一尚書に、礼を以て心を制し、義を以て事を制すといへり。礼は敬のみ。敬して心の私曲を制するなり。義を以て事を制すとは、万事を行ふに、其事に宜しく制するなり。制すとは、たとへば長きを断ちてよき程にし、多きをへらしてよき程にするが如し。物を裁判してよきやうにするを云ふ。是仁をたすくるなり。一年の功も、春夏生長するは仁なり。秋冬収蔵するは義なり。収蔵とは、草木零落し、生気をさまりて、根にかへるを云ふ。仁ありて、義なければ、たとへば春夏の生長するばかりにて、秋冬の収蔵なければ、万物成就せざるが如し。子を育つる一事を以ていはば、子を愛するは仁なり。子の悪を戒むるは義なり。愛せざれば、恩なくして他人の如し。愛のみにて戒めざれば、其子不義にながれ、悪におち入りて、わざはひとなる故、姑息して愛するが、かへりてあたとなりて、真の愛にあらず。
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『童子問』卷下問ふ、老氏の虚無と、釈氏の寂滅と、亦異なる所有りや。曰く、浅深有るがごとしと雖も、然れども其の帰は則ち一なり。老氏は天地万物を以て皆虚無と為し、釈氏は天地万物を以て総べて寂滅と為す。後漢書に云ふ、其の道虚無を以て宗と為すと。是れのみ。其の他種種奇特神通を説くは、皆方便の説のみ。老氏に至つては反つて之無し。仏は慈悲済度を以て主と為す。禅に至つては、則ち一向に棄て去る。理を説くこと至つて高ければ、必ず此に到らざることを得ず。其の慈悲済度を主とするは、仁に似たり。然れども義を知らざるは、則ち一なり。殊に知らず、義は天下の大路にして、一日も離るべからざることを。老氏も亦然り。
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司馬法・嚴位故に心は仁に中(あた)り、行いは義に中る、物に堪うるは智なり、大に堪うるは勇なり、久しきに堪うるは信なり。
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司馬法・仁本古者(いにしえ)は仁を以て本と為し、義を以てこれを治め、これを治めて正と為す。
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『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・義に過ぐれば固くなる而して又たここに予の、更に此問題に就きて一引証を加ふることを許せ。されば近時独逸皇帝の、コブレンツに於てせる演説の一句を挙げんか。曰く、『神恩によつて王たるものは、之に伴ふ重大なる責任あり。而してひとり、造物主に対して甚大なる責務を有し、人も大臣も国会も、君王をして能く此れより免れしむること能はず』と。仁は温和なる徳なり、母の心なり。端正なる節義、厳厲なる公正を以て男性的なりとせば、仁愛の柔和にして人を服するは、即ち女性的なりと云ふを得べきか。されど仁愛に加ふるに正義を以てせずして、漫に之に流るるは、人の深く戒むべき所にして、伊達政宗の言にも是れあり、『義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる』と。仁は美はしくて又た遍し。
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