五常訓 / 巻之一・総論
一仁義の道は、我が心の外に求めず。幼穉なる童も、其親を愛することを知らざるは無し。其長ずるに及んでは、其兄を敬ふことを知らざるは無し。親を愛するは仁なり。兄を敬ふは義なり。こゝを以て、仁義はわが心に、もとより生れつきたる事を知るべし。且親を愛し、兄を敬ふは、誰も知りやすく行ひやすし。甚高くして、知りがたく行ひがたき事にはあらず。此二にもとづきて、其心をおしひろめ、萬事に行ひ及ぼさば、仁義行れて、人道立ちぬべし。
新字:一仁義の道は、我が心の外に求めず。幼穉なる童も、其親を愛することを知らざるは無し。其長ずるに及んでは、其兄を敬ふことを知らざるは無し。親を愛するは仁なり。兄を敬ふは義なり。こゝを以て、仁義はわが心に、もとより生れつきたる事を知るべし。且親を愛し、兄を敬ふは、誰も知りやすく行ひやすし。甚高くして、知りがたく行ひがたき事にはあらず。此二にもとづきて、其心をおしひろめ、万事に行ひ及ぼさば、仁義行れて、人道立ちぬべし。
書き下し
一仁義の道は、我が心の外に求めず。幼穉なる童も、其親を愛することを知らざるは無し。其長ずるに及んでは、其兄を敬ふことを知らざるは無し。親を愛するは仁なり。兄を敬ふは義なり。ここを以て、仁義はわが心に、もとより生れつきたる事を知るべし。且親を愛し、兄を敬ふは、誰も知りやすく行ひやすし。甚高くして、知りがたく行ひがたき事にはあらず。此二にもとづきて、其心をおしひろめ、万事に行ひ及ぼさば、仁義行れて、人道立ちぬべし。
現代語訳
仁義の道は、自分の心の外に求めるものではありません。幼い子どもでも、その親を愛することを知らない者はいません。成長するに及んでは、その兄を敬うことを知らない者はいません。親を愛するのは仁です。兄を敬うのは義です。これによって、仁義はもともと自分の心に生まれつき備わっていることを知るべきです。しかも親を愛し兄を敬うことは、誰でも知りやすく行いやすいことです。はなはだ高くて、知りにくく行いにくいことではありません。この二つにもとづいて、その心を押し広め、あらゆる事に行い及ぼせば、仁義が行われて、人の道が立つでしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之三・仁之下一儒者の道、鳥けだものを殺すは、不仁なりと云ふ人あれど、それは道を知らざる人の言なり、君子は故なければ、鳥獣をころさず。故なくして妄にころすは、儒者の道にあらず、末世の人のわざなり。是を儒者の道と云ふべからず。ころすべき理あれば、人をも殺して、義にあたる。いはやん鳥けだものをや。殺すまじき理あれば、草木をも伐らず、禽獣はさらなり。曽子曰、樹木時を以てきり、禽獣時を以てころす。孔子曰、一樹をきり、一獣をころすも、其時を以てせざれば不孝なり。是みだりに木をきり、物をころすは、天地の物をそこなふなり。不孝と云ふべし。いにしへの人、田はたけに作れる五穀をそこなふ鳥獣を殺して、民のために害をのぞき、是を用ひて、宗廟社稷の神をまつり、老をやしなひ、賓客にそなふるため、民の隙を用ひて、武事をならはしめ、軍法を教へんがため、四時の狩をして鳥獣をころせしは理なり。
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『五常訓』巻之四・義一尚書に、礼を以て心を制し、義を以て事を制すといへり。礼は敬のみ。敬して心の私曲を制するなり。義を以て事を制すとは、万事を行ふに、其事に宜しく制するなり。制すとは、たとへば長きを断ちてよき程にし、多きをへらしてよき程にするが如し。物を裁判してよきやうにするを云ふ。是仁をたすくるなり。一年の功も、春夏生長するは仁なり。秋冬収蔵するは義なり。収蔵とは、草木零落し、生気をさまりて、根にかへるを云ふ。仁ありて、義なければ、たとへば春夏の生長するばかりにて、秋冬の収蔵なければ、万物成就せざるが如し。子を育つる一事を以ていはば、子を愛するは仁なり。子の悪を戒むるは義なり。愛せざれば、恩なくして他人の如し。愛のみにて戒めざれば、其子不義にながれ、悪におち入りて、わざはひとなる故、姑息して愛するが、かへりてあたとなりて、真の愛にあらず。
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『童子問』卷下問ふ、老氏の虚無と、釈氏の寂滅と、亦異なる所有りや。曰く、浅深有るがごとしと雖も、然れども其の帰は則ち一なり。老氏は天地万物を以て皆虚無と為し、釈氏は天地万物を以て総べて寂滅と為す。後漢書に云ふ、其の道虚無を以て宗と為すと。是れのみ。其の他種種奇特神通を説くは、皆方便の説のみ。老氏に至つては反つて之無し。仏は慈悲済度を以て主と為す。禅に至つては、則ち一向に棄て去る。理を説くこと至つて高ければ、必ず此に到らざることを得ず。其の慈悲済度を主とするは、仁に似たり。然れども義を知らざるは、則ち一なり。殊に知らず、義は天下の大路にして、一日も離るべからざることを。老氏も亦然り。
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司馬法・嚴位故に心は仁に中(あた)り、行いは義に中る、物に堪うるは智なり、大に堪うるは勇なり、久しきに堪うるは信なり。
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『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・義に過ぐれば固くなる而して又たここに予の、更に此問題に就きて一引証を加ふることを許せ。されば近時独逸皇帝の、コブレンツに於てせる演説の一句を挙げんか。曰く、『神恩によつて王たるものは、之に伴ふ重大なる責任あり。而してひとり、造物主に対して甚大なる責務を有し、人も大臣も国会も、君王をして能く此れより免れしむること能はず』と。仁は温和なる徳なり、母の心なり。端正なる節義、厳厲なる公正を以て男性的なりとせば、仁愛の柔和にして人を服するは、即ち女性的なりと云ふを得べきか。されど仁愛に加ふるに正義を以てせずして、漫に之に流るるは、人の深く戒むべき所にして、伊達政宗の言にも是れあり、『義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる』と。仁は美はしくて又た遍し。
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