五常訓 / 巻之三・仁之下
天地の物を生ずる理は、眼前にみちて見ゆる處なれば、見るべしといへど、其理は、ことばに述べがたし。若これを知れる人あらば、卽道を知れる人ならんとなり。右の數說は、程子の、よく仁を知れることばなり。仁を知らずしては、如此言ひがたかるべし。學者心をつけて、此等の說をしづかに玩味して、天地生物の理を自得すべし。もし此理を自得せば、仁を知れる人なるべし。しからば、其の樂、手のまひ足のふむ事を知らざるべし。此理を知らずんば、四書六經の文字訓詁を詳かに知り、其上博學多識にして、古今に通ずとも、道を知らぬ人なるべし。
新字:天地の物を生ずる理は、眼前にみちて見ゆる処なれば、見るべしといへど、其理は、ことばに述べがたし。若これを知れる人あらば、即道を知れる人ならんとなり。右の数説は、程子の、よく仁を知れることばなり。仁を知らずしては、如此言ひがたかるべし。学者心をつけて、此等の説をしづかに玩味して、天地生物の理を自得すべし。もし此理を自得せば、仁を知れる人なるべし。しからば、其の楽、手のまひ足のふむ事を知らざるべし。此理を知らずんば、四書六経の文字訓詁を詳かに知り、其上博学多識にして、古今に通ずとも、道を知らぬ人なるべし。
書き下し
天地の物を生ずる理は、眼前にみちて見ゆる処なれば、見るべしといへど、其理は、ことばに述べがたし。若これを知れる人あらば、即道を知れる人ならんとなり。右の数説は、程子の、よく仁を知れることばなり。仁を知らずしては、如此言ひがたかるべし。学者心をつけて、此等の説をしづかに玩味して、天地生物の理を自得すべし。もし此理を自得せば、仁を知れる人なるべし。しからば、其の楽、手のまひ足のふむ事を知らざるべし。此理を知らずんば、四書六経の文字訓詁を詳かに知り、其上博学多識にして、古今に通ずとも、道を知らぬ人なるべし。
現代語訳
天地が物を生ずる理は、目の前に満ちて見えるものなので、観ることはできるといっても、その理は言葉では述べがたいのです。もしこれを知っている人がいれば、すなわち道を知っている人であろうというのです。右のいくつかの説は、程子が仁をよく知っていたことを示す言葉です。仁を知らなければ、このようには言いがたいでしょう。学ぶ者は心がけて、これらの説を静かに味わって、天地が物を生ずる理を自得すべきです。もしこの理を自得すれば、仁を知る人となるでしょう。そうなれば、その楽しみは、思わず手が舞い足が踏むのも気づかないほどでしょう。この理を知らなければ、四書六経の文字の意味をくわしく知り、そのうえ博学多識で古今に通じていても、道を知らない人でしょう。
解説
この章句が説くこと
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『格言聯璧』學問類・萬物一體、之を仁と謂ふ忠を竭し孝を盡す、之を人と謂ふ。國を治め邦を經む、之を學と謂ふ。 危を安んじ變を定む、之を才と謂ふ。天を經とし地を緯とす、之を文と謂ふ。 霽月光風、之を度と謂ふ。萬物一體、之を仁と謂ふ。 心術を以て本根と爲し、倫理を以て楨幹と爲し、學問を以て菑畬と爲し、文章を以て花萼と爲し、事業を以て結實と爲し、書史を以て園林と爲し、歌詠を以て鼓吹と爲し、義理を以て膏粱と爲し、著述を以て文繡と爲し、誦讀を以て耕耘と爲し、記問を以て居積と爲し、前言往行を以て師友と爲し、忠信篤敬を以て修持と爲し、作善降祥を以て受用と爲し、樂天知命を以て依歸と爲す。
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『五常訓』巻之三・仁之下一程子の言に、聖賢の仁をいへる処をあつめて見ば、仁を知り得んといへり。今の学者、仁を知らんとならば、孔孟程朱の仁を説き給へる言を、数年の間、心をひそめて、求め味ふべし。急迫にすべからず。誠積み力久しくば、自然に其理を知るべし。若然らずば、聰明博学の人といへども、仁をば知りがたかるべし。
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『童子問』卷上問ふ、南軒張子、論語中の仁を言ふ諸章を類聚して一編と為し、名づけて洙泗言仁録と曰ふ。当れるか。曰く、然らず。魯論二十篇、頭より尾に至るまで、一言として仁に非ざる無し。南軒は唯仁を言ふ処の仁為るを知りて、仁を言はざる処も亦総て是れ仁なることを知らず。大伝に固より言ふ、「仁者は之を見て之を仁と謂ひ、智者は之を見て之を智と謂ふ。百姓は日に用ひて知らず。故に君子の道鮮し」と。然れども仁は徳の長なり。学仁に至れば、則ち衆徳合湊す。故に子夏曰く、「博く学びて篤く志し、切に問ひて近く思ふ。仁其の中に在り」と。夫れ博学篤志、切問近思は、皆学問の事なり。子夏何を以て仁其の中に在りと言ふや。蓋し仁は聖門学問の宗旨にして、仁の外に所謂学問なる者無きなり。諸老先生皆理に依りて之を解す。仁の義を去ること益々遠し。
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『慎思録』巻之一学を為すの道は、仁を為すを以て本と為し、忠信を以て主と為し、孝弟を以て先と為し、博文約礼を以て勤めと為し、君子為るを以て志と為す。是れ孔門人を教ふるの規模なり。仁なる者は何ぞや。是れ善を為すの総称、慈愛の理なり。孟子、放心を求むるを以て学問の道と為す。放心を求むる者は、乃ち仁を求むるなり。
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『和俗童子訓』巻之二・総論下親仁とは、善人に親み近づくを云ふ。汎く諸人を愛して、其内にて、とりわき、善人をば親むべし。善人を親めば、善事を見習ひ聞きならひ、又其諫を受け、我が過を聞きて改むるの益あり。此六事は、人の子となり弟となる者の、身を修め人に交る道なり。勤め行ふべし。行つて余力あれば則用ひて学文とは、余力はひまなり。上に見えたる孝弟以下六事を勤め行ひて、其ひまには、又古の聖人の書を読んで、人の道を学ぶべし。いかに聰明なりとも、聖人の教を学ばざれば、道理に通ぜず、身を修め人に交る道を知らずして、過多し。故に必古のふみを学んで、其道を知るべし。是則身を修め道を行ふ助なり。次には日用に助ある六芸をも学ぶべし。聖人の経書を読み、芸を学ぶは、すべて是文を学ぶなり。
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『童子問』卷下問ふ、屈原。曰く、道を知らず。漁父の辞に曰く、世人皆濁り、我独り清めり。衆人皆酔ひ、我独り醒めたりと。是れ屈子の自ら其の禍を取る所以にして、子蘭の讒、懐王の不明の能く為す所に非ざるなり。禹曰く、愚夫愚婦も、一能く予に勝ると。孔子曰く、斯の民や、三代の直道にして行ふ所以なりと。豈に天下を以て皆濁り皆酔へりと為すべけんや。中庸に曰く、上に居りて驕らず、下と為りて倍かず。国道有れば、其の言以て興すに足り、国道無ければ、其の黙以て容るるに足ると。此れ学問の成る所、道徳の熟する所にして、屈子の能く及ぶ所に非ず。
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