導師導古典を学びたいすべての人に

五常訓 / 巻之三・仁之下

又曰、切脈最可觀仁。此意は、人の脈の、常に發して止まざるは、生意のつねに止まざるなり。又曰、滿腔子是惻隱之心。言ふ意は、人の胸中にみちみちたる者は、惻隱の心なり。中にみちみちてある故に、物にふるれば、卽仁心おこる。子思孟子の、仁は人なりとのたまふも、此意なり。人の身に、仁の理みちみちてこれあるゆゑ、仁は人なりといへり。たとへば人の身には、生氣みちみちてある故、針にて刺しても、いたむが如し。人の心に、仁愛の理みちみちてあるゆゑ、孺子の井に入らんとするを見て、たちまち惻隱の心生ずるは、此故なり。是れを眞心と云ふ。人の本心なり。人欲の私より出づる心は、眞心にあらず、本心をとり失へる也。程子又曰天地生物之理可觀、而不可言、識之者便知道也。

新字:又曰、切脈最可観仁。此意は、人の脈の、常に発して止まざるは、生意のつねに止まざるなり。又曰、満腔子是惻隠之心。言ふ意は、人の胸中にみちみちたる者は、惻隠の心なり。中にみちみちてある故に、物にふるれば、即仁心おこる。子思孟子の、仁は人なりとのたまふも、此意なり。人の身に、仁の理みちみちてこれあるゆゑ、仁は人なりといへり。たとへば人の身には、生気みちみちてある故、針にて刺しても、いたむが如し。人の心に、仁愛の理みちみちてあるゆゑ、孺子の井に入らんとするを見て、たちまち惻隠の心生ずるは、此故なり。是れを真心と云ふ。人の本心なり。人欲の私より出づる心は、真心にあらず、本心をとり失へる也。程子又曰天地生物之理可観、而不可言、識之者便知道也。

書き下し

又曰く、脈を切するは最も仁を観るべし。此意は、人の脈の、常に発して止まざるは、生意のつねに止まざるなり。又曰く、満腔子是れ惻隠の心。言ふ意は、人の胸中にみちみちたる者は、惻隠の心なり。中にみちみちてある故に、物にふるれば、即仁心おこる。子思孟子の、仁は人なりとのたまふも、此意なり。人の身に、仁の理みちみちてこれあるゆゑ、仁は人なりといへり。たとへば人の身には、生気みちみちてある故、針にて刺しても、いたむが如し。人の心に、仁愛の理みちみちてあるゆゑ、孺子の井に入らんとするを見て、たちまち惻隠の心生ずるは、此故なり。是れを真心と云ふ。人の本心なり。人欲の私より出づる心は、真心にあらず、本心をとり失へる也。程子又曰く、天地の物を生ずる理は観るべくして、言ふべからず、之を識る者は便ち道を知るなり。

現代語訳

また「脈をとることで最もよく仁を観ることができる」といいました。この意味は、人の脈が常に打ってやまないのは、生意が常にやまないことだということです。また「胸いっぱいに満ちているのは惻隠の心である」といいました。その意味は、人の胸中に満ち満ちているものは惻隠の心だということです。中に満ち満ちているので、物にふれれば、すぐに仁の心が起こります。子思や孟子が「仁は人なり」とおっしゃったのも、この意味です。人の身に仁の理が満ち満ちているので、仁は人だというのです。たとえば人の身には生気が満ち満ちているので、針で刺しても痛むようなものです。人の心に仁愛の理が満ち満ちているので、幼子が井戸に落ちそうなのを見て、たちまち惻隠の心が生ずるのは、このためです。これを真心といいます。人の本心です。人欲の私から出る心は真心ではなく、本心を取り失ったものです。程子はまた「天地が物を生ずる理は観ることはできるが、言葉で言うことはできない。これを識る者はすなわち道を知る者である」といいました。

解説

程顥の「脈を切して最も仁を観るべし」「満腔子是れ惻隠の心」という言葉を紹介しています。脈が絶えず打つことに生命の働きを見るのは医学的な視点で、医術に通じた益軒には親しい比喩でした。胸いっぱいに惻隠の心が満ちているから、何かにふれるとすぐ思いやりが起こり、それが真心だと説きます。自分の脈を感じるように、自分の中に満ちている優しさに気づくことができれば、人を思いやる行動も自然に生まれてくるでしょう。

この章句が説くこと

惻隠真心仁程子脈

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る