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五常訓 / 巻之三・仁之下

一孔子の弟子顏淵、仁を問ひ給ふ。孔子答へて曰、克己復禮爲仁。己とは身の私欲也。禮とは、身の行ふこと理にかなひて、ほどよきを云ふ。仁を害するものは身の私欲なり。身の私欲にかちて、身の行ふ所理にかなひて、ほどよきに立ちかへりぬれば、本心の德に害なくして、全くなる。全しとは、きずなきを云ふ。是仁をなす工夫なり。凡私欲は、おのが身より出づるものなる故に、己が身にかつは、卽私欲にかつなり。禮は元來吾が身に生れつきたる理なれど、私欲に奪はれて、取失へるを、もとの如く取返して、立歸るべしとなり。顏子、又、克己復禮べき條目を問へり。孔子こたへ給ふ意は、凡人の身に、耳目口體あり。目は見、耳はきゝ、口はいひ、體はうごく。

新字:一孔子の弟子顔淵、仁を問ひ給ふ。孔子答へて曰、克己復礼為仁。己とは身の私欲也。礼とは、身の行ふこと理にかなひて、ほどよきを云ふ。仁を害するものは身の私欲なり。身の私欲にかちて、身の行ふ所理にかなひて、ほどよきに立ちかへりぬれば、本心の徳に害なくして、全くなる。全しとは、きずなきを云ふ。是仁をなす工夫なり。凡私欲は、おのが身より出づるものなる故に、己が身にかつは、即私欲にかつなり。礼は元来吾が身に生れつきたる理なれど、私欲に奪はれて、取失へるを、もとの如く取返して、立帰るべしとなり。顔子、又、克己復礼べき条目を問へり。孔子こたへ給ふ意は、凡人の身に、耳目口体あり。目は見、耳はきゝ、口はいひ、体はうごく。

書き下し

一孔子の弟子顔淵、仁を問ひ給ふ。孔子答へて曰く、己に克ちて礼に復るを仁と為す。己とは身の私欲也。礼とは、身の行ふこと理にかなひて、ほどよきを云ふ。仁を害するものは身の私欲なり。身の私欲にかちて、身の行ふ所理にかなひて、ほどよきに立ちかへりぬれば、本心の徳に害なくして、全くなる。全しとは、きずなきを云ふ。是仁をなす工夫なり。凡私欲は、おのが身より出づるものなる故に、己が身にかつは、即私欲にかつなり。礼は元来吾が身に生れつきたる理なれど、私欲に奪はれて、取失へるを、もとの如く取返して、立帰るべしとなり。顔子、又、己に克ち礼に復るべき条目を問へり。孔子こたへ給ふ意は、凡人の身に、耳目口体あり。目は見、耳はきき、口はいひ、体はうごく。

現代語訳

孔子の弟子の顔淵が仁を問われました。孔子は答えて「己に克って礼に復るのを仁とする」とおっしゃいました。己とは身の私欲です。礼とは、身の行うことが理にかなって、ほどよいことをいいます。仁を害するものは身の私欲です。身の私欲に克って、身の行うところが理にかない、ほどよい所に立ち帰れば、本心の徳に害がなく、完全になります。完全とは傷がないことをいいます。これが仁をなす工夫です。およそ私欲は自分の身から出るものなので、自分の身に克つことは、すなわち私欲に克つことです。礼はもともと自分の身に生まれつき備わった理ですが、私欲に奪われて取り失ったのを、もとのように取り返して、立ち帰るべきだというのです。顔子はまた、己に克ち礼に復るための条目を問いました。孔子がお答えになった意味は、およそ人の身には耳・目・口・体があります。目は見、耳は聞き、口は言い、体は動きます。

解説

巻之三「仁之下」は、『論語』顔淵篇の有名な「克己復礼を仁と為す」から始まります。益軒は朱子の解釈にしたがい、己を身の私欲、礼を理にかなったほどよさと説明し、私欲に克って本来の礼に立ち帰ることが仁の工夫だと述べます。礼はもともと自分の中にあったものを取り戻すのだという理解が大切です。自分の欲や怒りに打ち克って本来の穏やかな自分に戻るという考えは、感情の自己管理が求められる現代にもそのまま通じる教えです。

この章句が説くこと

克己復礼仁私欲礼論語

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