五常訓 / 巻之二・仁之上
いふ意は、行ふわざ道理にかなひて、心中に私なきは、仁なりとなり。行ふ所理にかなへども、心に私あるは、仁にあらず。心に私なきとても、行ふ所理にあたらざれば、仁にあらず。内外共にきずなき人は、孔門の賢者といへども得がたければ、孔子の、かるがるしく仁を人にゆるし給はざるゆゑ、是なるべし。伯夷叔齊をば、仁を求めて仁を得たりとの給ひ、微子箕子比干をば、殷に三仁ありとのたまひて、皆仁をゆるし給ふは、其心私なく、其行理にかなへるゆゑなり。
新字:いふ意は、行ふわざ道理にかなひて、心中に私なきは、仁なりとなり。行ふ所理にかなへども、心に私あるは、仁にあらず。心に私なきとても、行ふ所理にあたらざれば、仁にあらず。内外共にきずなき人は、孔門の賢者といへども得がたければ、孔子の、かるがるしく仁を人にゆるし給はざるゆゑ、是なるべし。伯夷叔斉をば、仁を求めて仁を得たりとの給ひ、微子箕子比干をば、殷に三仁ありとのたまひて、皆仁をゆるし給ふは、其心私なく、其行理にかなへるゆゑなり。
書き下し
いふ意は、行ふわざ道理にかなひて、心中に私なきは、仁なりとなり。行ふ所理にかなへども、心に私あるは、仁にあらず。心に私なきとても、行ふ所理にあたらざれば、仁にあらず。内外共にきずなき人は、孔門の賢者といへども得がたければ、孔子の、かるがるしく仁を人にゆるし給はざるゆゑ、是なるべし。伯夷叔斉をば、仁を求めて仁を得たりとの給ひ、微子箕子比干をば、殷に三仁ありとのたまひて、皆仁をゆるし給ふは、其心私なく、其行理にかなへるゆゑなり。
現代語訳
その意味は、行うことが道理にかなって、心の中に私がないのが仁だということです。行うことが理にかなっていても、心に私があるのは仁ではありません。心に私がないとしても、行うことが理に当たらなければ仁ではありません。内と外がともに傷のない人は、孔門の賢者でも得がたいので、孔子が軽々しく仁を人にお許しにならなかった理由は、これでしょう。伯夷・叔斉を「仁を求めて仁を得た」とおっしゃり、微子・箕子・比干を「殷に三人の仁者がいた」とおっしゃって、みな仁をお許しになったのは、その心に私がなく、その行いが理にかなっていたからです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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論語・微子篇微子これを去り、箕子これに為に奴となり、比干諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。
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