五常訓 / 巻之三・仁之下
人のわざ多しといへども、此四の事の外にこれなし。此四の事につきて、其心に私欲なくして、禮を以て物を見、物を聞き、禮を以て口にいひ、體にうごくべし。非禮とは、上にいへる、己が身より出づる私欲なり。淫聲邪色などの、外物の非禮にはあらず。非禮勿視とは、身に禮なくして、私欲を以て物を見る事をいましむべしと也。外の邪なる色見ざるは云ふに及ばず。非禮して勿聽とは、身に禮なくして、私欲を以て物を聞く事をいましむべしとなり。外の淫聲を聞かざるは云ふに及ばず。非禮していはず、非禮して動かず。此四の者は、身の私欲にかちて、天理にかへる工夫の條目にて、卽仁をするの事なり。克己は人欲にかつなり。復禮は天理を存するなり。
新字:人のわざ多しといへども、此四の事の外にこれなし。此四の事につきて、其心に私欲なくして、礼を以て物を見、物を聞き、礼を以て口にいひ、体にうごくべし。非礼とは、上にいへる、己が身より出づる私欲なり。淫声邪色などの、外物の非礼にはあらず。非礼勿視とは、身に礼なくして、私欲を以て物を見る事をいましむべしと也。外の邪なる色見ざるは云ふに及ばず。非礼して勿聴とは、身に礼なくして、私欲を以て物を聞く事をいましむべしとなり。外の淫声を聞かざるは云ふに及ばず。非礼していはず、非礼して動かず。此四の者は、身の私欲にかちて、天理にかへる工夫の条目にて、即仁をするの事なり。克己は人欲にかつなり。復礼は天理を存するなり。
書き下し
人のわざ多しといへども、此四の事の外にこれなし。此四の事につきて、其心に私欲なくして、礼を以て物を見、物を聞き、礼を以て口にいひ、体にうごくべし。非礼とは、上にいへる、己が身より出づる私欲なり。淫声邪色などの、外物の非礼にはあらず。非礼勿視とは、身に礼なくして、私欲を以て物を見る事をいましむべしと也。外の邪なる色見ざるは云ふに及ばず。非礼して勿聴とは、身に礼なくして、私欲を以て物を聞く事をいましむべしとなり。外の淫声を聞かざるは云ふに及ばず。非礼していはず、非礼して動かず。此四の者は、身の私欲にかちて、天理にかへる工夫の条目にて、即仁をするの事なり。克己は人欲にかつなり。復礼は天理を存するなり。
現代語訳
人のしわざは多いといっても、この四つのことのほかにはありません。この四つのことについて、その心に私欲がなく、礼によって物を見、物を聞き、礼によって口で言い、体を動かすべきです。非礼とは、上に述べた、自分の身から出る私欲です。みだらな音楽や邪な色など、外の物の非礼ではありません。「非礼視ること勿れ」とは、身に礼がなく、私欲によって物を見ることを戒めよということです。外の邪な色を見ないのは言うまでもありません。「非礼聴くこと勿れ」とは、身に礼がなく、私欲によって物を聞くことを戒めよということです。外のみだらな音楽を聞かないのは言うまでもありません。非礼に言わず、非礼に動かないのです。この四つは、身の私欲に克って天理に帰る工夫の条目であって、すなわち仁をなすことです。克己は人欲に克つことです。復礼は天理を保つことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之三・仁之下一孔子の弟子顔淵、仁を問ひ給ふ。孔子答へて曰く、己に克ちて礼に復るを仁と為す。己とは身の私欲也。礼とは、身の行ふこと理にかなひて、ほどよきを云ふ。仁を害するものは身の私欲なり。身の私欲にかちて、身の行ふ所理にかなひて、ほどよきに立ちかへりぬれば、本心の徳に害なくして、全くなる。全しとは、きずなきを云ふ。是仁をなす工夫なり。凡私欲は、おのが身より出づるものなる故に、己が身にかつは、即私欲にかつなり。礼は元来吾が身に生れつきたる理なれど、私欲に奪はれて、取失へるを、もとの如く取返して、立帰るべしとなり。顔子、又、己に克ち礼に復るべき条目を問へり。孔子こたへ給ふ意は、凡人の身に、耳目口体あり。目は見、耳はきき、口はいひ、体はうごく。
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『初学訓』巻之三一人の身のわざ五あり。貌言、視聴思なり。貌とは、身のかたちのうごきをいふ。貌と、言と、視と、聴と、心に思ふと、すべて五のわざなり。思ふは其本なり。善を好み悪を嫌ひて、邪念を起さざるは、是思をつつしみて、意を誠にするなり。凡、此五事をつつしみて正しくすれば、身修まる。論語に、視と聴と言と動と、礼にかなへば、即ち仁なることを説き給へり。右にいへる五事と同じ。人の身のわざは、視、聴、言、動の四に過ぎず。四のわざに、皆天然の則ありて、行ふべき道理あり、是を礼といふ。此四のわざにつきて、為まじき事を為るは皆非礼なり。心と身との非礼を戒めて、非礼にして物を見、物をきき、物をいひ、非礼にしてかたちを動かすことなかれ。かくの如くすれば、事々皆礼にかなひて、人欲の私なく、天理行はれて、本心の徳闕けず。是即ち仁なり。仁とは、人の本心の徳なり。
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論語・顔淵篇顔淵、仁を問う。子曰く、「己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る、而して人に由らんや。」顔淵曰く、「請う、其の目を問わん。」子曰く、「礼に非ざれば視ること勿かれ、礼に非ざれば聴くこと勿かれ、礼に非ざれば言うこと勿かれ、礼に非ざれば動くこと勿かれ。」顔淵曰く、「回不敏なりと雖も、請う斯の語を事とせん。」
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『五常訓』巻之四・礼一君子は、耳に非礼の音楽淫声をきかず。目に非礼なる見物を見ず。口に非礼の事をいはず。身に非礼のうごきをなさず。飲食を慎み、節にして過さず。皆是礼の制する所なり。一口の過なきより、身の過なきは難く、身の過なきより、心の過なき事は難し。三のもの、ともに礼を以て正さずんばあるべからず。
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『近思録』巻5 克己濂溪先生曰く、孟子曰く、「心を養ふは寡欲より善きは莫し」と。予謂へらく心を養ふは寡くして存するに止まらざるのみ。蓋し寡くして以て無きに至る、無なれば則ち誠立ち明通ず。誠立つは賢なり、明通ずるは聖なり。伊川先生曰く、顔淵克己復礼の目を問ふ、夫子曰く、「礼に非ざれば視ること勿かれ、礼に非ざれば聴くこと勿かれ、礼に非ざれば言ふこと勿かれ、礼に非ざれば動くこと勿かれ」と。四者は身の用なり。中に由りて外に応ず。外を制するは其の中を養ふ所以なり。顔淵斯の語を事とす、聖人に進む所以なり。後の聖人を学ぶ者、宜しく服膺して失ふ勿かるべし。因りて箴して以て自ら警む。『視箴』に曰く、心や本虚、物に応じて迹無し。之を操るに要有り、視之が則と為る。蔽前に交はれば、其の中則ち遷る。之を外に制して、以て其の内を安んず。克己復礼、久しくして誠なり。『聴箴』に曰く、人に秉彝有り、天性に本づく。知誘はれ物化して、遂に其の正を亡ふ。卓たる彼の先覚、止まるを知りて定まる有り。邪を閑ぎ誠を存し、礼に非ざれば聴くこと勿かれ。『言箴』に曰く、人心の動くは、言に因りて以て宣ぶ。発するに躁妄を禁ずれば、内斯に静専なり。矧んや是れ枢機、戎を興し好を出だす。吉凶栄辱、惟れ其の召く所なり。易きに傷めば則ち誕、煩に傷めば則ち支なり。己肆なれば物忤ひ、出づること悖れば来たること違ふ。法に非ざれば道はず、欽まんや訓辞。『動箴』に曰く、哲人は幾を知り、之を思ひに誠にす。志士は行ひを厲まし、之を為すに守る。理に順へば則ち裕かに、欲に従へば惟れ危し。造次にも克く念ひ、戦兢として自ら持す。習ひ性と成れば、聖賢同じく帰す。復の初九に曰く、「遠からずして復る、悔に祗る無し、元吉なり」と。伝に曰く、陽は、君子の道なり。故に復は善に反るの義たり。初は復の最も先なる者なり。是れ遠からずして復るなり。失ひて後に復る有り、失はずんば則ち何の復か之れ有らん。惟だ之を失ふこと遠からずして復れば、則ち悔に至らず、大善にして吉なり。顔子は形顕の過ち無し、夫子其の庶幾きを謂ふ、乃ち悔に祗る無きなり。
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『慎思録』巻之五洪範の五事も、亦各徳有り。所謂物有れば必ず則有るなり。五事も亦四勿と相表裏を為す。蓋し四勿の工夫有れば、則ち五事の徳有り。四勿と五事と、其の数同じからざる者は、何ぞや。蓋し貌と思との二者は、倶に動に属す。貌は外に動き、思は内に動くなり。
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