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五常訓 / 巻之二・仁之上

一四德四端、いづれも四の者をならべ說くといへども、其はじめ、まづ仁心なければ、必義禮智なし。惻隱の心なくては、生理ほろび、心かたくなに愚にして、羞惡辭讓是非の端もおこらず。たとへば石の頑にして、生氣もなく、心もなきが如し。俗語に、物のあはれを知らざるは、木石の如しといへるが如し。又身のなえしびれたる所は、刀にてつき、火にてやけども痛をおほえざるが如し。仁は生理なり、あはれみなり。あはれみ無くて、物のあはれを知らざる人は、義理もなく、禮もなく、知慧もなきものなり。是惻隱なければ四端なし。惻隱の四端を兼ねたる所なり。

新字:一四徳四端、いづれも四の者をならべ説くといへども、其はじめ、まづ仁心なければ、必義礼智なし。惻隠の心なくては、生理ほろび、心かたくなに愚にして、羞悪辞譲是非の端もおこらず。たとへば石の頑にして、生気もなく、心もなきが如し。俗語に、物のあはれを知らざるは、木石の如しといへるが如し。又身のなえしびれたる所は、刀にてつき、火にてやけども痛をおほえざるが如し。仁は生理なり、あはれみなり。あはれみ無くて、物のあはれを知らざる人は、義理もなく、礼もなく、知慧もなきものなり。是惻隠なければ四端なし。惻隠の四端を兼ねたる所なり。

書き下し

一四徳四端、いづれも四の者をならべ説くといへども、其はじめ、まづ仁心なければ、必義礼智なし。惻隠の心なくては、生理ほろび、心かたくなに愚にして、羞悪辞譲是非の端もおこらず。たとへば石の頑にして、生気もなく、心もなきが如し。俗語に、物のあはれを知らざるは、木石の如しといへるが如し。又身のなえしびれたる所は、刀にてつき、火にてやけども痛をおほえざるが如し。仁は生理なり、あはれみなり。あはれみ無くて、物のあはれを知らざる人は、義理もなく、礼もなく、知慧もなきものなり。是惻隠なければ四端なし。惻隠の四端を兼ねたる所なり。

現代語訳

四徳も四端も、どちらも四つを並べて説きますが、その始めに、まず仁の心がなければ、必ず義礼智もありません。惻隠の心がなければ、生きる理が滅び、心はかたくなで愚かになって、羞悪・辞譲・是非の端も起こりません。たとえば石がかたくなで、生気もなく心もないようなものです。俗語に「物のあわれを知らないのは木石のようだ」というようなものです。また体のなえしびれた所は、刀で突き、火で焼いても痛みを覚えないようなものです。仁は生きる理であり、あわれみです。あわれみがなく、物のあわれを知らない人は、義理もなく、礼もなく、知恵もないものです。これは惻隠がなければ四端がないということです。惻隠が四端をかねているところです。

解説

四端の中でも惻隠の心が根本で、それがなければ羞悪・辞譲・是非の心も起こらないと説いています。あわれみのない心を石や木にたとえ、しびれて痛みを感じない手足にもたとえるのは、前の段の医学のたとえを受けたものです。「物のあはれを知る」という和歌や物語の世界の言葉を儒学の議論に取り入れているのも、和文の教訓書を書いた益軒らしいところです。他人の痛みを感じる力こそがすべての徳の出発点だという考えは、共感を育てる教育の大切さを教えてくれます。

この章句が説くこと

惻隠四端仁あわれ共感

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