五常訓 / 巻之二・仁之上
是卽仁の心にして、人の道也。人となるもの、天地の恩を知らずんばあるべからず。恩を知るを以て人とす。恩を知らざるは禽獸と同じ。恩を知ると知らざるは、人と禽獸とのわかるゝ所なり。俗語に、恩を知らざるは木石に同じと云へるが如し。されど木石は、天地と人の妨とならず。わが輩の、おろかに私多き者は、かへりて妨となり、木石にだにおとれるわざ多し。身をかへりみるべき事にこそあれ。かへすがへす天地の中に生れたる人、天地の恩を知らで、つかへ奉らざるは、如何ぞや。
新字:是即仁の心にして、人の道也。人となるもの、天地の恩を知らずんばあるべからず。恩を知るを以て人とす。恩を知らざるは禽獣と同じ。恩を知ると知らざるは、人と禽獣とのわかるゝ所なり。俗語に、恩を知らざるは木石に同じと云へるが如し。されど木石は、天地と人の妨とならず。わが輩の、おろかに私多き者は、かへりて妨となり、木石にだにおとれるわざ多し。身をかへりみるべき事にこそあれ。かへすがへす天地の中に生れたる人、天地の恩を知らで、つかへ奉らざるは、如何ぞや。
書き下し
是即仁の心にして、人の道也。人となるもの、天地の恩を知らずんばあるべからず。恩を知るを以て人とす。恩を知らざるは禽獣と同じ。恩を知ると知らざるは、人と禽獣とのわかるる所なり。俗語に、恩を知らざるは木石に同じと云へるが如し。されど木石は、天地と人の妨とならず。わが輩の、おろかに私多き者は、かへりて妨となり、木石にだにおとれるわざ多し。身をかへりみるべき事にこそあれ。かへすがへす天地の中に生れたる人、天地の恩を知らで、つかへ奉らざるは、如何ぞや。
現代語訳
これがすなわち仁の心であって、人の道です。人となる者は、天地の恩を知らなければなりません。恩を知ることで人とします。恩を知らないのは禽獣と同じです。恩を知ると知らないとは、人と禽獣との分かれるところです。俗語に「恩を知らないのは木石と同じ」というとおりです。けれども木石は、天地や人の妨げにはなりません。私たちのように愚かで私心の多い者は、かえって妨げとなって、木石にさえ劣るしわざが多いものです。わが身を振り返るべきことです。かえすがえすも、天地の中に生まれた人が、天地の恩を知らずにお仕えしないのは、どういうことでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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