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五常訓 / 巻之二・仁之上

一およそ人は、かりそめの一飯の恩、一物の惠をうけてだに、其心に銘じて忘れざるべき理なるに、かほど極りなき天地の大恩をうけながら、それを悟らずして、はかなき世の習ひに迷ひて、天道にそむき、人道を行はず、其大恩の萬一をも報ぜずして、身ををはりなん事、いと口をし。たとひ不幸にして、聖賢の書を讀まずとも、天をいたゞき、地をふみ、其中にむまれながら、かほどの事は、其是非をわきまふべきことにこそ侍べれ。況や少しばかりにても、古の聖賢のふみを讀みたる人、此理をわきまへざらんは、いとはかなくこそ聞ゆめれ。されば我も人も、天地の惠によりて生れ、天地の內に身をよせ、天地の養をうけ、天地の心をうけながら、天地の心にそむき、天地の道を知らず、天地の財をつひやし、天地の物をそこなひて、日々に天地に背けるわざをのみ行ひ、天地につかへ奉ることを知らで、一生の間、夢見るが如酒に醉へるが如く、まよひて悟らず、此身終りて、草木禽獸と同じく朽ちなん事は、人と生れたるかひなし。

新字:一およそ人は、かりそめの一飯の恩、一物の恵をうけてだに、其心に銘じて忘れざるべき理なるに、かほど極りなき天地の大恩をうけながら、それを悟らずして、はかなき世の習ひに迷ひて、天道にそむき、人道を行はず、其大恩の万一をも報ぜずして、身ををはりなん事、いと口をし。たとひ不幸にして、聖賢の書を読まずとも、天をいたゞき、地をふみ、其中にむまれながら、かほどの事は、其是非をわきまふべきことにこそ侍べれ。況や少しばかりにても、古の聖賢のふみを読みたる人、此理をわきまへざらんは、いとはかなくこそ聞ゆめれ。されば我も人も、天地の恵によりて生れ、天地の内に身をよせ、天地の養をうけ、天地の心をうけながら、天地の心にそむき、天地の道を知らず、天地の財をつひやし、天地の物をそこなひて、日々に天地に背けるわざをのみ行ひ、天地につかへ奉ることを知らで、一生の間、夢見るが如酒に酔へるが如く、まよひて悟らず、此身終りて、草木禽獣と同じく朽ちなん事は、人と生れたるかひなし。

書き下し

一およそ人は、かりそめの一飯の恩、一物の恵をうけてだに、其心に銘じて忘れざるべき理なるに、かほど極りなき天地の大恩をうけながら、それを悟らずして、はかなき世の習ひに迷ひて、天道にそむき、人道を行はず、其大恩の万一をも報ぜずして、身ををはりなん事、いと口をし。たとひ不幸にして、聖賢の書を読まずとも、天をいただき、地をふみ、其中にむまれながら、かほどの事は、其是非をわきまふべきことにこそ侍べれ。況や少しばかりにても、古の聖賢のふみを読みたる人、此理をわきまへざらんは、いとはかなくこそ聞ゆめれ。されば我も人も、天地の恵によりて生れ、天地の内に身をよせ、天地の養をうけ、天地の心をうけながら、天地の心にそむき、天地の道を知らず、天地の財をつひやし、天地の物をそこなひて、日々に天地に背けるわざをのみ行ひ、天地につかへ奉ることを知らで、一生の間、夢見るが如酒に酔へるが如く、まよひて悟らず、此身終りて、草木禽獣と同じく朽ちなん事は、人と生れたるかひなし。

現代語訳

およそ人は、かりそめの一度の食事の恩や、一つの物の恵みを受けてさえ、その心に銘じて忘れないのが道理であるのに、これほど極まりない天地の大恩を受けながら、それを悟らずに、はかない世の習わしに迷って、天の道にそむき、人の道を行わず、その大恩のほんのわずかも報いずに一生を終えてしまうのは、まことに残念なことです。たとえ不幸にして聖賢の書を読まなくても、天をいただき地を踏み、その中に生まれながら、これくらいのことはその是非をわきまえるべきことでございましょう。まして少しでも昔の聖賢の書を読んだ人が、この理をわきまえないのは、まことにはかなく聞こえることです。それゆえ自分も人も、天地の恵みによって生まれ、天地の内に身を寄せ、天地の養いを受け、天地の心を受けながら、天地の心にそむき、天地の道を知らず、天地の財を費やし、天地の物をそこなって、日々に天地にそむくしわざばかりを行い、天地にお仕えすることを知らずに、一生の間、夢を見ているように、酒に酔っているように、迷って悟らず、この身が終わって、草木や禽獣と同じく朽ちてしまうのは、人と生まれたかいがありません。

解説

一飯の恩でさえ忘れないのが人の道なのに、天地の大恩に気づかず一生を終えるのは残念だと、和文の美しいリズムで嘆いています。「天地の」を何度も重ねる畳みかけは、読む者の胸に迫る名文です。書を読まない人でも天地の恵みの中に生きる以上わかるはずだと述べ、学問のある人にはなおさら厳しく求めます。夢や酒に酔ったように一生を過ごすなという警告は、忙しさに追われて大切なことを見失いがちな現代人にも響く問いかけです。

この章句が説くこと

恩天地人道感謝人生

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