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大和俗訓 / 巻之一・為学上

是則人の行ふべき所にして、人の道なり。人の道とする所、さらに此外にある可からず。夫人は天地のめぐみによりて生れ、天地の心をうけて心とし、天地の内にすみ、天地のやしなひを受けたり。かくのごとく極りなき大恩をうけたれども、凡人は知らず。所謂百姓は日々に用ひて知らざるなり。然るに、天地につかへ奉らずして、人欲にしたがひ、天理にしたがはざるは、天地の大恩をかうぶりて、天地にそむく故、天地の子として大不孝なり。人の子として、其親を愛せずして他人を愛し、父母にそむきて不孝を行ふが如し。不孝の子は其身を天地の內に立てがたし。いはんや天地の子として、天地にそむき不孝なるをや。幸にしてわざはひなしといへども、天地にそむける科おそるべし。天地をたふとびつかへ奉るべき事、前にもすでにいへれど、返す返すよく人につげん爲に、同じ事をいくたびも繰返していふなり。猶此後にもいふべし。

新字:是則人の行ふべき所にして、人の道なり。人の道とする所、さらに此外にある可からず。夫人は天地のめぐみによりて生れ、天地の心をうけて心とし、天地の内にすみ、天地のやしなひを受けたり。かくのごとく極りなき大恩をうけたれども、凡人は知らず。所謂百姓は日々に用ひて知らざるなり。然るに、天地につかへ奉らずして、人欲にしたがひ、天理にしたがはざるは、天地の大恩をかうぶりて、天地にそむく故、天地の子として大不孝なり。人の子として、其親を愛せずして他人を愛し、父母にそむきて不孝を行ふが如し。不孝の子は其身を天地の内に立てがたし。いはんや天地の子として、天地にそむき不孝なるをや。幸にしてわざはひなしといへども、天地にそむける科おそるべし。天地をたふとびつかへ奉るべき事、前にもすでにいへれど、返す返すよく人につげん為に、同じ事をいくたびも繰返していふなり。猶此後にもいふべし。

書き下し

是則人の行ふべき所にして、人の道なり。人の道とする所、さらに此外にある可からず。夫人は天地のめぐみによりて生れ、天地の心をうけて心とし、天地の内にすみ、天地のやしなひを受けたり。かくのごとく極りなき大恩をうけたれども、凡人は知らず。所謂百姓は日々に用ひて知らざるなり。然るに、天地につかへ奉らずして、人欲にしたがひ、天理にしたがはざるは、天地の大恩をかうぶりて、天地にそむく故、天地の子として大不孝なり。人の子として、其親を愛せずして他人を愛し、父母にそむきて不孝を行ふが如し。不孝の子は其身を天地の内に立てがたし。いはんや天地の子として、天地にそむき不孝なるをや。幸にしてわざはひなしといへども、天地にそむける科おそるべし。天地をたふとびつかへ奉るべき事、前にもすでにいへれど、返す返すよく人につげん為に、同じ事をいくたびも繰返していふなり。猶此後にもいふべし。

現代語訳

これがすなわち人の行うべきことであり、人の道です。人の道とするものは、決してこのほかにはありません。そもそも人は天地の恵みによって生まれ、天地の心を受けて心とし、天地の内に住み、天地の養いを受けています。このように限りない大恩を受けていながら、普通の人はそれを知りません。いわゆる「民は日々に用いて知らず」です。それなのに天地にお仕えせず、人欲に従い、天理に従わないのは、天地の大恩をこうむりながら天地に背くことですから、天地の子として大不孝です。人の子として自分の親を愛さずに他人を愛し、父母に背いて不孝を行うようなものです。不孝の子はその身を天地の内に立てることが難しいのです。まして天地の子として天地に背き不孝であるならなおさらです。幸いに災いがないとしても、天地に背いた罪は恐るべきです。天地を尊びお仕えすべきことは前にもすでに述べましたが、よくよく人に告げるために同じことを何度も繰り返して言うのです。この後にもまた言うでしょう。

解説

「百姓は日々に用いて知らず」は『易経』繋辞上伝の言葉で、人は道の恩恵を毎日受けながら気づかないという意味です。益軒は、天地の恵みの中で生きながら欲に流れて天理に背くことを、親に背く不孝にたとえて戒めます。同じことを何度も繰り返すと自ら断っているのは、大事なことは一度言っただけでは伝わらないと知っていたからでしょう。当たり前の恵みほど見えにくいという指摘は、健康や家族、職場の支えについて考えるときにも当てはまります。

この章句が説くこと

恩不孝天理人欲易経

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