五常訓 / 巻之二・仁之上
一恕を行ふには、公私の二をわきまふべし。公とは私なきを云ふ。我が身を愛する心を以て人を愛し、我人のへだてなく、われひとりを立てんと思ふ私なきは公なり。是仁者の心なり。私とは、公ならざるを云ふ。我と人とのへだてありて、たゞ我が身ひとつを利せんと思ふは私なり。又わが親しみ愛する人をひいきして、ひとへに利益せんとするも私なり。皆是小人の心なり。凡天下萬事の善惡のおこる處は、皆公と私との二より出づ。又君子小人のわかちも、こゝにあり。私あれば、まぢかき恩をうけたるわが親と君をわすれ、たゞ我が身の利欲をのみ務む。いはんや他人をや。私なければ、身をすてゝも、君父のために忠孝をつくす。いはんや利欲などにひかれて、君父をおろそかにすべけんや。
新字:一恕を行ふには、公私の二をわきまふべし。公とは私なきを云ふ。我が身を愛する心を以て人を愛し、我人のへだてなく、われひとりを立てんと思ふ私なきは公なり。是仁者の心なり。私とは、公ならざるを云ふ。我と人とのへだてありて、たゞ我が身ひとつを利せんと思ふは私なり。又わが親しみ愛する人をひいきして、ひとへに利益せんとするも私なり。皆是小人の心なり。凡天下万事の善悪のおこる処は、皆公と私との二より出づ。又君子小人のわかちも、こゝにあり。私あれば、まぢかき恩をうけたるわが親と君をわすれ、たゞ我が身の利欲をのみ務む。いはんや他人をや。私なければ、身をすてゝも、君父のために忠孝をつくす。いはんや利欲などにひかれて、君父をおろそかにすべけんや。
書き下し
一恕を行ふには、公私の二をわきまふべし。公とは私なきを云ふ。我が身を愛する心を以て人を愛し、我人のへだてなく、われひとりを立てんと思ふ私なきは公なり。是仁者の心なり。私とは、公ならざるを云ふ。我と人とのへだてありて、ただ我が身ひとつを利せんと思ふは私なり。又わが親しみ愛する人をひいきして、ひとへに利益せんとするも私なり。皆是小人の心なり。凡天下万事の善悪のおこる処は、皆公と私との二より出づ。又君子小人のわかちも、ここにあり。私あれば、まぢかき恩をうけたるわが親と君をわすれ、ただ我が身の利欲をのみ務む。いはんや他人をや。私なければ、身をすてても、君父のために忠孝をつくす。いはんや利欲などにひかれて、君父をおろそかにすべけんや。
現代語訳
恕を行うには、公と私の二つをわきまえるべきです。公とは私がないことをいいます。自分の身を愛する心で人を愛し、自分と人の隔てがなく、自分ひとりを立てようと思う私がないのが公です。これが仁者の心です。私とは、公でないことをいいます。自分と人との隔てがあって、ただ自分の身ひとつを利そうと思うのが私です。また自分が親しみ愛する人をひいきして、ひたすら利益を与えようとするのも私です。みなこれは小人の心です。およそ天下のあらゆる事の善悪の起こる所は、みな公と私の二つから出ます。また君子と小人の区別もここにあります。私があれば、身近に恩を受けた自分の親や君を忘れて、ただ自分の身の利欲だけを務めます。まして他人に対してはなおさらです。私がなければ、身を捨ててでも、君や父のために忠孝を尽くします。まして利欲などに引かれて、君や父をおろそかにすることがあるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・顔淵篇司馬牛、君子を問う。子曰く、「君子は憂えず懼れず。」曰く、「憂えず懼れざれば、斯れ之を君子と謂うか。」子曰く、「内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか懼れん。」
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論語・憲問篇子曰く、君子にして不仁なる者有るかな。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。
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論語・学而篇子曰く、「君子は食らうに飽くことを求めず、居るに安きを求めず、事に敏にして言に慎み、有道に就いて正す。学を好むと謂う可きのみ。」
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論語・為政篇子曰く、「君子は器ならず。」
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論語・学而篇子曰く、「君子重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。」
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荀子・哀公篇哀公曰く、善し。敢えて問う、何如なれば斯ち之を君子と謂うべきか、と。孔子対えて曰く、所謂る君子なる者は、言は忠信にして心に徳とせず、仁義身に在りて色に伐(ほこ)らず、思慮明通にして辞は争わず。故に猶然として将に及ぶべきが如き者は、君子なり、と。
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