五常訓 / 巻之二・仁之上
故に恕はつとめて仁にいたる道なり。熟するは仁なり。生しきは恕なり。自然にかなふは仁なり。つとめて理にかなふは恕なり。私なくして公なれば仁なり。仁なれば愛す。子貢の、孔子に、一言にして身ををはるまで行ふべき者ありやと問はれしに、孔子曰、其恕乎、おのれが欲せざる所を、人に施すことなかれと答へ給へり。一言とは一字也。恕の一字は、仁にいたる道なり。是一生の間、守り行ふべき道なり。
書き下し
故に恕はつとめて仁にいたる道なり。熟するは仁なり。生しきは恕なり。自然にかなふは仁なり。つとめて理にかなふは恕なり。私なくして公なれば仁なり。仁なれば愛す。子貢の、孔子に、一言にして身ををはるまで行ふべき者ありやと問はれしに、孔子曰、其恕乎、おのれが欲せざる所を、人に施すことなかれと答へ給へり。一言とは一字也。恕の一字は、仁にいたる道なり。是一生の間、守り行ふべき道なり。
現代語訳
ゆえに恕は、努めて仁に至る道です。熟しているのが仁です。まだ未熟なのが恕です。自然にかなうのが仁です。努めて理にかなうのが恕です。私がなく公であれば仁です。仁であれば愛します。子貢が孔子に「一言で一生行うべきものがありますか」と尋ねたとき、孔子は「それは恕であろうか。自分の望まないことを人に施してはならない」とお答えになりました。一言とは一字のことです。恕の一字は、仁に至る道です。これは一生の間、守り行うべき道です。
解説
仁を熟した境地、恕をそこに至る努力の段階と位置づけています。『論語』衛霊公篇で、子貢が一生行うべき一言を問うと、孔子は「其れ恕か。己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」と答えました。益軒はこの一字こそ生涯守るべき道だと強調します。自然にできる人は少なくても、努めれば誰でも近づけるという段階の考え方は、学びや仕事の上達にも通じます。迷ったときは相手の立場に立つという一つの原則を持つだけで、多くの判断がぶれなくなります。
この章句が説くこと
恕仁論語子貢一生
関連する章句
-
論語・雍也篇子貢曰く、「如し博く民に施して能く衆を済うこと有らば、何如。仁と謂う可きか。」子曰く、「何ぞ仁を事とせん、必ずや聖か。堯舜も其れ猶お諸を病めり。夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取る、仁の方と謂う可きのみ。」
-
論語・衛霊公篇子貢、仁を為すを問う。子曰く、「工、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。是の邦に居るや、其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とす。」
-
史記 仲尼弟子列伝子貢因りて去りて晋に之き、晋君に謂ひて曰く、「臣之を聞く、慮先づ定まらざれば以て卒に応ずべからず、兵先づ弁ぜざれば以て敵に勝つべからずと。今夫れ斉と呉と将に戦はんとす、彼戦ひて勝たずんば、越之を乱すこと必せり。斉と戦ひて勝たば、必ず其の兵を以て晋に臨まん」と。晋君大いに恐れて、曰く、「之を為すこと柰何」と。子貢曰く、「兵を修め卒を休めて以て之を待て」と。晋君許諾す。子貢去りて魯に之く。呉王果たして斉人と艾陵に戦ひ、大いに斉の師を破り、七将軍の兵を獲て帰らず、果たして兵を以て晋に臨み、晋人と黄池の上に相遇ふ。呉晋彊を争ふ。晋人之を撃ち、大いに呉の師を敗る。越王之を聞き、江を渉りて呉を襲ひ、城を去ること七里にして軍す。呉王之を聞き、晋を去りて帰り、越と五湖に戦ふ。三たび戦ひて勝たず、城門守らず、越遂に王宮を囲み、夫差を殺して其の相を戮す。呉を破りて三年、東に向かひて霸たり。故に子貢一たび出でて、魯を存し、斉を乱し、呉を破り、晋を彊くして越を霸たらしむ。子貢一たび使ひして、勢ひをして相破らしめ、十年の中、五国各々変有り。子貢は廃挙を好み、時と与に貨貲を転ず。喜んで人の美を揚げ、人の過ちを匿す能はず。常に魯衛に相たり、家千金を累ね、卒に斉に終はる。
-
史記 仲尼弟子列伝端木賜は、衛の人、字は子貢。孔子より少きこと三十一歳。子貢は利口巧辞、孔子常に其の弁を黜く。問ひて曰く、「汝と回とは孰れか愈れる」と。対へて曰く、「賜や何ぞ敢へて回を望まん。回や一を聞きて以て十を知り、賜や一を聞きて以て二を知る」と。子貢既已に業を受け、問ひて曰く、「賜は何人ぞや」と。孔子曰く、「汝は器なり」と。曰く、「何の器ぞや」と。曰く、「瑚璉なり」と。陳子禽子貢に問ひて曰く、「仲尼焉にか学ぶ」と。子貢曰く、「文武の道未だ地に墜ちず、人に在り、賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る、文武の道有らざる莫し。夫子焉にか学ばざらん、而して亦何の常師か之れ有らん」と。又問ひて曰く、「孔子是の国に適けば必ず其の政を聞く。之を求めたるか、抑々之を与へたるか」と。子貢曰く、「夫子は温・良・恭・倹・譲以て之を得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸れ人の之を求むるに異なるか」と。子貢問ひて曰く、「富みて驕ること無く、貧しくして諂ふこと無きは、何如」と。孔子曰く、「可なり。貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好むに如かず」と。
-
史記 仲尼弟子列伝子貢をして南のかた呉王に見えしむ。説きて曰く、「臣之を聞く、王者は世を絶たず、霸者は彊敵無し、千鈞の重きも銖両を加ふれば移る。今万乗の斉を以て千乗の魯を私し、呉と彊を争ふ、竊かに王の為に之を危ぶむ。且つ夫れ魯を救ふは、名を顕すなり。斉を伐つは、大利なり。以て泗上の諸侯を撫し、暴斉を誅して以て彊晋を服せしむ、利焉より大なるは莫し。名は亡魯を存し、実は彊斉を困しむ。智者は疑はざるなり」と。呉王曰く、「善し。然りと雖も、吾嘗て越と戦ひ、之を会稽に棲ましむ。越王身を苦しめ士を養ひ、我に報ゆるの心有り。子我の越を伐つを待ちて子に聴かん」と。子貢曰く、「越の勁きは魯に過ぎず、呉の彊きは斉に過ぎず、王斉を置きて越を伐たば、則ち斉已に魯を平らげん。且つ王方に亡を存し絶を継ぐを以て名と為す、夫れ小越を伐ちて彊斉を畏るるは、勇に非ざるなり。夫れ勇者は難を避けず、仁者は約に窮せず、智者は時を失はず、王者は世を絶たず、以て其の義を立つ。今越を存して諸侯に示すに仁を以てし、魯を救ひ斉を伐ち、威晋国に加はらば、諸侯必ず相率ゐて呉に朝し、霸業成らん。且つ王必ず越を悪まば、臣請ふ東のかた越王に見え、兵を出だして以て従はしめん、此れ実は越を空しくし、名は諸侯に従ひて以て伐つなり」と。呉王大いに説び、乃ち子貢をして越に之かしむ。越王道を除ひて郊に迎へ、身ら御して舎に至りて問ひて曰く、「此れ蛮夷の国なり、大夫何を以て儼然として辱くも之に臨むや」と。子貢曰く、「今者吾呉王に説くに魯を救ひ斉を伐つを以てす、其の志之を欲すれども越を畏る、曰く『我の越を伐つを待ちて乃ち可なり』と。此くの如くんば、越を破ること必せり。且つ夫れ人に報ゆるの志無くして人をして之を疑はしむるは、拙なり。人に報ゆるの志有りて、人をして之を知らしむるは、殆ふし。事未だ発せずして先づ聞こゆるは、危ふし。三者は事を挙ぐるの大患なり」と。
-
論語・公冶長篇子貢曰く、『賜は何如。』子曰く、『女(なんじ)は器なり。』『何の器ぞ。』『瑚璉(これん)なり。』
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る