五常訓 / 巻之二・仁之上
一桃の實、杏の實を、桃仁杏仁と云ふ事も、亦よく名づけしなり。仁は人の心の生理なり。桃杏の實、植うれば必生ず。是其内に生理あればなり。もし生理なくんば死物なり。植ゑても生ずべからず。桃杏の實、生理内にありて、いまだ發生せずといへど、發生の理を內にふくめり。是を以て、桃仁杏仁と云ふ。仁の、內にありて未だ發せざるも、亦かくの如し。發せずといへども、愛の理は内にふくめり。程子曰、心はたとへば五穀のたねの如し。たねの生意あるは仁なり。其種をまきて、陽氣發して、苗生出づるは、愛の情なりと。苗初てきざすは、惻隱の心なり。是等の說を以て、仁の理を知るべし。
新字:一桃の実、杏の実を、桃仁杏仁と云ふ事も、亦よく名づけしなり。仁は人の心の生理なり。桃杏の実、植うれば必生ず。是其内に生理あればなり。もし生理なくんば死物なり。植ゑても生ずべからず。桃杏の実、生理内にありて、いまだ発生せずといへど、発生の理を内にふくめり。是を以て、桃仁杏仁と云ふ。仁の、内にありて未だ発せざるも、亦かくの如し。発せずといへども、愛の理は内にふくめり。程子曰、心はたとへば五穀のたねの如し。たねの生意あるは仁なり。其種をまきて、陽気発して、苗生出づるは、愛の情なりと。苗初てきざすは、惻隠の心なり。是等の説を以て、仁の理を知るべし。
書き下し
一桃の実、杏の実を、桃仁杏仁と云ふ事も、亦よく名づけしなり。仁は人の心の生理なり。桃杏の実、植うれば必生ず。是其内に生理あればなり。もし生理なくんば死物なり。植ゑても生ずべからず。桃杏の実、生理内にありて、いまだ発生せずといへど、発生の理を内にふくめり。是を以て、桃仁杏仁と云ふ。仁の、内にありて未だ発せざるも、亦かくの如し。発せずといへども、愛の理は内にふくめり。程子曰、心はたとへば五穀のたねの如し。たねの生意あるは仁なり。其種をまきて、陽気発して、苗生出づるは、愛の情なりと。苗初てきざすは、惻隠の心なり。是等の説を以て、仁の理を知るべし。
現代語訳
桃の実や杏の実の核を、桃仁・杏仁というのも、またよく名づけたものです。仁は人の心の生きる理です。桃や杏の実は、植えれば必ず芽生えます。これはその内に生きる理があるからです。もし生きる理がなければ死んだ物です。植えても芽生えるはずがありません。桃や杏の実は、生きる理が内にあって、まだ芽生えていなくても、芽生える理を内に含んでいます。それで桃仁・杏仁というのです。仁が内にあってまだ発しないのも、またこのようなものです。発しなくても、愛の理は内に含まれています。程子は「心はたとえば五穀の種のようなものである。種に生きる力があるのは仁である。その種をまいて、陽気が発して苗が生え出るのは愛の情である」といいました。苗が初めて芽生えるのは惻隠の心です。これらの説によって、仁の理を知るべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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