五常訓 / 巻之二・仁之上
是を以て、人の身卽是仁なり。故に仁者人也と說きたまへり。仁は人也といへるは、たとへば生ずるは種なりといひ、又、あつきは火なりといはんが如し。人の心に必仁あること、種の必生じ、火の必熱きが如し。禽獸同じく天地の惠によりて生ずれども、仁をば生れつかず。此故に、仁は禽獸也とは云ひ難し。萬物の内、人ばかり仁なるはなし。こゝを以て、人たるものは必仁あり。仁なくんば人とすべからず。故に仁は人也といへり。天地の、人を生み給へる道理を、人の身に得て、心の德とするゆゑに、自ら物をあはれむ道理あり。是卽仁なり。又仁は人の身に生れつきたる心なれば、仁人心也といへり。然れば、仁は天地の心をうけて心として、あはれみの理を其内にふくめり。
新字:是を以て、人の身即是仁なり。故に仁者人也と説きたまへり。仁は人也といへるは、たとへば生ずるは種なりといひ、又、あつきは火なりといはんが如し。人の心に必仁あること、種の必生じ、火の必熱きが如し。禽獣同じく天地の恵によりて生ずれども、仁をば生れつかず。此故に、仁は禽獣也とは云ひ難し。万物の内、人ばかり仁なるはなし。こゝを以て、人たるものは必仁あり。仁なくんば人とすべからず。故に仁は人也といへり。天地の、人を生み給へる道理を、人の身に得て、心の徳とするゆゑに、自ら物をあはれむ道理あり。是即仁なり。又仁は人の身に生れつきたる心なれば、仁人心也といへり。然れば、仁は天地の心をうけて心として、あはれみの理を其内にふくめり。
書き下し
是を以て、人の身即是仁なり。故に仁者人也と説きたまへり。仁は人也といへるは、たとへば生ずるは種なりといひ、又、あつきは火なりといはんが如し。人の心に必仁あること、種の必生じ、火の必熱きが如し。禽獣同じく天地の恵によりて生ずれども、仁をば生れつかず。此故に、仁は禽獣也とは云ひ難し。万物の内、人ばかり仁なるはなし。ここを以て、人たるものは必仁あり。仁なくんば人とすべからず。故に仁は人也といへり。天地の、人を生み給へる道理を、人の身に得て、心の徳とするゆゑに、自ら物をあはれむ道理あり。是即仁なり。又仁は人の身に生れつきたる心なれば、仁人心也といへり。然れば、仁は天地の心をうけて心として、あはれみの理を其内にふくめり。
現代語訳
このゆえに、人の身はすなわち仁です。だから「仁は人なり」と説かれたのです。仁は人だというのは、たとえば、生ずるのは種であるといい、また熱いのは火であるというようなものです。人の心に必ず仁があるのは、種が必ず芽生え、火が必ず熱いようなものです。禽獣も同じく天地の恵みによって生まれますが、仁を生まれつき持っていません。このゆえに、仁は禽獣だとはいえません。万物の中で、人ほど仁であるものはありません。それゆえ人である者には必ず仁があります。仁がなければ人とはいえません。ゆえに仁は人だというのです。天地が人を生まれた道理を人の身に得て、心の徳とするので、おのずから物をあわれむ道理があります。これがすなわち仁です。また仁は人の身に生まれつき備わった心なので、「仁は人の心なり」といいます。それゆえ、仁は天地の心を受けて心としたもので、あわれみの理をその内に含んでいます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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論語・微子篇微子これを去り、箕子これに為に奴となり、比干諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。
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