五常訓 / 巻之一・総論
一孔子の敎は、常に異なる道にあらず。卽天地の道也。天地の道を則として、人に示しをしへ給ふ故に、古人の言に、孔子は天の通事なりといへり。天地の道は、易簡とて、むつかしからずして知りやすく、事多からずして行ひやすし。天地の御心は、唯萬物をめぐみ養ひ給ふより外に、心なければなり。人にありては仁也。是人の道也。仁の道も亦人をあはれみ養ふより外になければ、人の道も亦知りやすく行ひやすし。仁をわかちて五常となる。五常の性は、人の心に生れつきたる理なれば、外に求めずして我に求む。凡外にある物は、求むれども得がたし。我にある物は、求むれば必得やすし。聖人、其人の心に、各生れつきて具足せる道を以て、をしへ給へば、いかに愚なる賤の男賤の女も、知りやすく行ひやすし。
新字:一孔子の教は、常に異なる道にあらず。即天地の道也。天地の道を則として、人に示しをしへ給ふ故に、古人の言に、孔子は天の通事なりといへり。天地の道は、易簡とて、むつかしからずして知りやすく、事多からずして行ひやすし。天地の御心は、唯万物をめぐみ養ひ給ふより外に、心なければなり。人にありては仁也。是人の道也。仁の道も亦人をあはれみ養ふより外になければ、人の道も亦知りやすく行ひやすし。仁をわかちて五常となる。五常の性は、人の心に生れつきたる理なれば、外に求めずして我に求む。凡外にある物は、求むれども得がたし。我にある物は、求むれば必得やすし。聖人、其人の心に、各生れつきて具足せる道を以て、をしへ給へば、いかに愚なる賤の男賤の女も、知りやすく行ひやすし。
書き下し
一孔子の教は、常に異なる道にあらず。即天地の道也。天地の道を則として、人に示しをしへ給ふ故に、古人の言に、孔子は天の通事なりといへり。天地の道は、易簡とて、むつかしからずして知りやすく、事多からずして行ひやすし。天地の御心は、唯万物をめぐみ養ひ給ふより外に、心なければなり。人にありては仁也。是人の道也。仁の道も亦人をあはれみ養ふより外になければ、人の道も亦知りやすく行ひやすし。仁をわかちて五常となる。五常の性は、人の心に生れつきたる理なれば、外に求めずして我に求む。凡外にある物は、求むれども得がたし。我にある物は、求むれば必得やすし。聖人、其人の心に、各生れつきて具足せる道を以て、をしへ給へば、いかに愚なる賤の男賤の女も、知りやすく行ひやすし。
現代語訳
孔子の教えは、ふつうと異なる道ではありません。すなわち天地の道です。天地の道を手本として、人に示し教えられたので、古人の言葉に「孔子は天の通訳である」といいます。天地の道は易簡といって、難しくなくて知りやすく、事が多くなくて行いやすいものです。天地の御心は、ただ万物を恵み養われるよりほかに心がないからです。人にあっては仁です。これが人の道です。仁の道もまた、人をあわれみ養うよりほかにはないので、人の道もまた知りやすく行いやすいのです。仁を分けると五常となります。五常の性は、人の心に生まれつき備わった理なので、外に求めずに自分に求めます。およそ外にある物は、求めても得にくいものです。自分にある物は、求めれば必ず得やすいものです。聖人は、その人の心にそれぞれ生まれつき備わっている道によって教えられるので、どんなに愚かな身分の低い男女でも、知りやすく行いやすいのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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論語・微子篇微子これを去り、箕子これに為に奴となり、比干諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。
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