五常訓 / 巻之一・総論
猶もせちなる事をいはゞ、孟子の書に見えしごとく、唯今三四歳なる小兒が、井のはたにあたりて、智なくして、たちまち井の内におち入らんとするを見ては、如何なる至愚極惡の人も、おどろき悲みて、救はざるは無し。是其子の父母に親あるにあらず、人の子を救ひたるとて、譽を求むるにあらず。又見捨てたりと、人にいはるゝ惡名をおそるゝにもあらず。唯天性にむまれつきたる仁愛のまことの心より出づるなり。これによりて見れば、人皆此善心むまれつきて、心にそなはれる事を知るべし。君子の道を行ふ工夫は、わが心の内にある四端の善心の、少し萌したるを養ひそだてゝ、外におしひろめ、十分に行ふにあり。たとへば火のはじめてもえ出でたるを打消さずして、ふきおこし熾ならしむれば、ひろき原、大なる山をも燒くが如し。
新字:猶もせちなる事をいはゞ、孟子の書に見えしごとく、唯今三四歳なる小児が、井のはたにあたりて、智なくして、たちまち井の内におち入らんとするを見ては、如何なる至愚極悪の人も、おどろき悲みて、救はざるは無し。是其子の父母に親あるにあらず、人の子を救ひたるとて、誉を求むるにあらず。又見捨てたりと、人にいはるゝ悪名をおそるゝにもあらず。唯天性にむまれつきたる仁愛のまことの心より出づるなり。これによりて見れば、人皆此善心むまれつきて、心にそなはれる事を知るべし。君子の道を行ふ工夫は、わが心の内にある四端の善心の、少し萌したるを養ひそだてゝ、外におしひろめ、十分に行ふにあり。たとへば火のはじめてもえ出でたるを打消さずして、ふきおこし熾ならしむれば、ひろき原、大なる山をも焼くが如し。
書き下し
猶もせちなる事をいはば、孟子の書に見えしごとく、唯今三四歳なる小児が、井のはたにあたりて、智なくして、たちまち井の内におち入らんとするを見ては、如何なる至愚極悪の人も、おどろき悲みて、救はざるは無し。是其子の父母に親あるにあらず、人の子を救ひたるとて、誉を求むるにあらず。又見捨てたりと、人にいはるる悪名をおそるるにもあらず。唯天性にむまれつきたる仁愛のまことの心より出づるなり。これによりて見れば、人皆此善心むまれつきて、心にそなはれる事を知るべし。君子の道を行ふ工夫は、わが心の内にある四端の善心の、少し萌したるを養ひそだてて、外におしひろめ、十分に行ふにあり。たとへば火のはじめてもえ出でたるを打消さずして、ふきおこし熾ならしむれば、ひろき原、大なる山をも焼くが如し。
現代語訳
さらに切実なことをいえば、『孟子』の書に見えるように、今まさに三、四歳の幼い子が井戸のふちに来て、分別もなく、たちまち井戸の中に落ち入ろうとするのを見れば、どんなに愚かで極悪な人でも、驚き悲しんで、救わない者はありません。これはその子の父母と親しいからではなく、人の子を救ったといって誉れを求めるのでもありません。また見捨てたと人にいわれる悪い評判を恐れるのでもありません。ただ天性に生まれつき備わった仁愛のまことの心から出るのです。これによって見れば、人はみなこの善い心を生まれつき持ち、心に備えていることがわかります。君子が道を行う工夫は、自分の心の内にある四端の善い心が少し芽生えたのを、養い育てて外に押し広め、十分に行うことにあります。たとえば火が初めて燃え出したのを打ち消さずに、吹きおこして盛んにすれば、広い野原や大きな山をも焼くようなものです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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論語・微子篇微子これを去り、箕子これに為に奴となり、比干諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。
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