五常訓 / 巻之一・総論
是智の端なり。もし是非をわきまへずんば、智なきなり。此四端は、人となれる者は必あり。此四端あるを以て、仁義禮智内にあることを知るべし。又如何なる愚なる人も、親を愛し、君をたふとび、兄を敬ひ、弟をあはれみ、善をほめ、惡を惡まざる者なし。是仁義あればなり。飢寒する人を見ては、あはれむ心おこるは、仁あればなり。又小人といへども、我がいつはりあらはれ、不義を人に知らるれば、赤面し、汗をながす。是義あればなり。凡かやうの類、物にふれて、善心おこること多し。みづから心見て知るべし。皆是仁義禮智の四德を生れつきたるにあらずや。こゝを以て、孟子は、人の性は善なりとのたまふ。もし五常の德なくんば、何ぞ性は善なりといはんや。
新字:是智の端なり。もし是非をわきまへずんば、智なきなり。此四端は、人となれる者は必あり。此四端あるを以て、仁義礼智内にあることを知るべし。又如何なる愚なる人も、親を愛し、君をたふとび、兄を敬ひ、弟をあはれみ、善をほめ、悪を悪まざる者なし。是仁義あればなり。飢寒する人を見ては、あはれむ心おこるは、仁あればなり。又小人といへども、我がいつはりあらはれ、不義を人に知らるれば、赤面し、汗をながす。是義あればなり。凡かやうの類、物にふれて、善心おこること多し。みづから心見て知るべし。皆是仁義礼智の四徳を生れつきたるにあらずや。こゝを以て、孟子は、人の性は善なりとのたまふ。もし五常の徳なくんば、何ぞ性は善なりといはんや。
書き下し
是智の端なり。もし是非をわきまへずんば、智なきなり。此四端は、人となれる者は必あり。此四端あるを以て、仁義礼智内にあることを知るべし。又如何なる愚なる人も、親を愛し、君をたふとび、兄を敬ひ、弟をあはれみ、善をほめ、悪を悪まざる者なし。是仁義あればなり。飢寒する人を見ては、あはれむ心おこるは、仁あればなり。又小人といへども、我がいつはりあらはれ、不義を人に知らるれば、赤面し、汗をながす。是義あればなり。凡かやうの類、物にふれて、善心おこること多し。みづから心見て知るべし。皆是仁義礼智の四徳を生れつきたるにあらずや。ここを以て、孟子は、人の性は善なりとのたまふ。もし五常の徳なくんば、何ぞ性は善なりといはんや。
現代語訳
これは智の端です。もし是非をわきまえなければ、智がないのです。この四端は、人として生まれた者には必ずあります。この四端があることによって、仁義礼智が内にあることを知るべきです。また、どんなに愚かな人でも、親を愛し、君を尊び、兄を敬い、弟をあわれみ、善をほめ、悪を憎まない者はいません。これは仁義があるからです。飢えや寒さに苦しむ人を見て、あわれむ心が起こるのは、仁があるからです。また小人であっても、自分の偽りが露見し、不義を人に知られれば、顔を赤らめ汗を流します。これは義があるからです。およそこのような類で、物にふれて善い心が起こることは多いものです。自分で心を見つめて知るべきです。みな仁義礼智の四徳を生まれつき持っている証拠ではありませんか。それゆえ孟子は、人の性は善であるとおっしゃいました。もし五常の徳がなければ、どうして性は善であるといえるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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『五常訓』巻之四・義一尚書に、礼を以て心を制し、義を以て事を制すといへり。礼は敬のみ。敬して心の私曲を制するなり。義を以て事を制すとは、万事を行ふに、其事に宜しく制するなり。制すとは、たとへば長きを断ちてよき程にし、多きをへらしてよき程にするが如し。物を裁判してよきやうにするを云ふ。是仁をたすくるなり。一年の功も、春夏生長するは仁なり。秋冬収蔵するは義なり。収蔵とは、草木零落し、生気をさまりて、根にかへるを云ふ。仁ありて、義なければ、たとへば春夏の生長するばかりにて、秋冬の収蔵なければ、万物成就せざるが如し。子を育つる一事を以ていはば、子を愛するは仁なり。子の悪を戒むるは義なり。愛せざれば、恩なくして他人の如し。愛のみにて戒めざれば、其子不義にながれ、悪におち入りて、わざはひとなる故、姑息して愛するが、かへりてあたとなりて、真の愛にあらず。
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『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・義に過ぐれば固くなる而して又たここに予の、更に此問題に就きて一引証を加ふることを許せ。されば近時独逸皇帝の、コブレンツに於てせる演説の一句を挙げんか。曰く、『神恩によつて王たるものは、之に伴ふ重大なる責任あり。而してひとり、造物主に対して甚大なる責務を有し、人も大臣も国会も、君王をして能く此れより免れしむること能はず』と。仁は温和なる徳なり、母の心なり。端正なる節義、厳厲なる公正を以て男性的なりとせば、仁愛の柔和にして人を服するは、即ち女性的なりと云ふを得べきか。されど仁愛に加ふるに正義を以てせずして、漫に之に流るるは、人の深く戒むべき所にして、伊達政宗の言にも是れあり、『義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる』と。仁は美はしくて又た遍し。
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