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五行大義 / 第十五論律呂

亦云。應者。應和之義。言此時將復應陽氣而動於下也。樂緯云。黃鐘爲宮。林鐘爲徵。大簇爲商。南呂爲羽。姑洗爲角。應鐘爲變宮。蕤賓爲變徵。以次配之。五音備矣。黃鐘下生林鐘。故林鐘爲徵。次黃鐘。林鐘上生大簇。故大簇爲商。次林鐘。大簇下生南呂。故南呂爲羽。次大簇。南呂上生姑洗。故姑洗爲角。次南呂。姑洗下生應鐘。故應鐘爲變宮。次姑洗。應鐘上生蕤賓。故蕤賓爲變徵。凡有七音圜相爲宮。七音者。蓋以相生數七故也。始黃鐘生林鐘。自十二月至六月。凡七月也。服虔解云。七律爲七音。外傳解云。武王剋商。歲在鶉火。日在天駟。鶉火去天駟凡七宿。又地辰日在甲子。從子至午又七。天象。地辰。其數皆七。聖人以律同其數。以聲招之。故以七音。樂以七律配七始。故以定三元四時。故黃鐘以配天。林鐘以配地。大簇以配人。姑洗以配春。蕤賓以配夏。南呂以配秋。應鐘以配冬。凡三元者。周以建子月爲天正。故黃鐘之管配之。殷以建丑月爲地正。應以大呂之管配之。但陰數偶。未土王。又爲天社。故取其衝。應地之氣。以林鐘之管配之。夏以建寅月爲人正。故大簇之管配之。夫陽徳自處。

新字:亦云。応者。応和之義。言此時将復応陽気而動於下也。楽緯云。黄鐘為宮。林鐘為徴。大簇為商。南呂為羽。姑洗為角。応鐘為変宮。蕤賓為変徴。以次配之。五音備矣。黄鐘下生林鐘。故林鐘為徴。次黄鐘。林鐘上生大簇。故大簇為商。次林鐘。大簇下生南呂。故南呂為羽。次大簇。南呂上生姑洗。故姑洗為角。次南呂。姑洗下生応鐘。故応鐘為変宮。次姑洗。応鐘上生蕤賓。故蕤賓為変徴。凡有七音圜相為宮。七音者。蓋以相生数七故也。始黄鐘生林鐘。自十二月至六月。凡七月也。服虔解云。七律為七音。外伝解云。武王剋商。歳在鶉火。日在天駟。鶉火去天駟凡七宿。又地辰日在甲子。従子至午又七。天象。地辰。其数皆七。聖人以律同其数。以声招之。故以七音。楽以七律配七始。故以定三元四時。故黄鐘以配天。林鐘以配地。大簇以配人。姑洗以配春。蕤賓以配夏。南呂以配秋。応鐘以配冬。凡三元者。周以建子月為天正。故黄鐘之管配之。殷以建丑月為地正。応以大呂之管配之。但陰数偶。未土王。又為天社。故取其衝。応地之気。以林鐘之管配之。夏以建寅月為人正。故大簇之管配之。夫陽徳自処。

書き下し

亦云う、応は応和の義なり。此の時将に復た陽気に応じて下に動かんとするを言うなり、と。『楽緯』に云う、黄鐘を宮と為し、林鐘を徴(ち)と為し、大簇を商と為し、南呂を羽と為し、姑洗を角と為し、応鐘を変宮と為し、蕤賓を変徴と為す、と。次を以てこれを配すれば、五音備わる。黄鐘は下りて林鐘を生ず、故に林鐘を徴と為し、黄鐘に次ぐ。林鐘は上りて大簇を生ず、故に大簇を商と為し、林鐘に次ぐ。大簇は下りて南呂を生ず、故に南呂を羽と為し、大簇に次ぐ。南呂は上りて姑洗を生ず、故に姑洗を角と為し、南呂に次ぐ。姑洗は下りて応鐘を生ず、故に応鐘を変宮と為し、姑洗に次ぐ。応鐘は上りて蕤賓を生ず、故に蕤賓を変徴と為す。凡そ七音有りて圜(めぐ)りて相宮と為る。七音とは、蓋し相生の数七なるを以ての故なり。始め黄鐘は林鐘を生ず、十二月より六月に至るまで、凡そ七月なり。服虔(ふくけん)解して云う、七律を七音と為す、と。『外伝』に解して云う、武王商に剋(か)つ、歳は鶉火に在り、日は天駟(てんし)に在り。鶉火は天駟を去ること凡そ七宿。又地辰は日甲子に在り、子より午に至るまで又七。天象・地辰、その数皆七なり。聖人は律を以てその数を同じくし、声を以てこれを招く。故に七音を以てす、と。楽は七律を以て七始に配し、故に以て三元四時を定む。故に黄鐘は以て天に配し、林鐘は以て地に配し、大簇は以て人に配し、姑洗は以て春に配し、蕤賓は以て夏に配し、南呂は以て秋に配し、応鐘は以て冬に配す。凡そ三元とは、周は建子の月を以て天正と為す、故に黄鐘の管これに配す。殷は建丑の月を以て地正と為す、応に大呂の管を以てこれに配すべし。但し陰の数は偶、未は土王、又天社たり、故にその衝を取り、地の気に応じて、林鐘の管を以てこれに配す。夏は建寅の月を以て人正と為す、故に大簇の管これに配す。夫れ陽徳は自ら処る、

現代語訳

(『三礼義宗』は)またこうも言う。応とは応じ和するという意味である。この時、ふたたび陽の気に応じて下で動こうとしていることを言うのである、と。『楽緯』にはこうある。黄鐘を宮とし、林鐘を徴とし、大簇を商とし、南呂を羽とし、姑洗を角とし、応鐘を変宮とし、蕤賓を変徴とする、と。この順で配すれば五音がそろう。黄鐘は下って林鐘を生むので、林鐘を徴とし、黄鐘の次に置く。林鐘は上って大簇を生むので、大簇を商とし、林鐘の次に置く。大簇は下って南呂を生むので、南呂を羽とし、大簇の次に置く。南呂は上って姑洗を生むので、姑洗を角とし、南呂の次に置く。姑洗は下って応鐘を生むので、応鐘を変宮とし、姑洗の次に置く。応鐘は上って蕤賓を生むので、蕤賓を変徴とする。およそ七つの音があって、めぐりながら互いに宮(主音)となる。七音というのは、思うに相生の数が七であるからである。はじめに黄鐘が林鐘を生むのは、十一月の子から六月の未まで数えると、およそ七か月にあたる。服虔(後漢の学者、『左伝』の注釈者)は解して、七つの律を七音とする、と言った。『外伝』(『国語』)の解にはこうある。武王が殷に勝ったとき、歳星は鶉火にあり、太陽は天駟(房宿)にあった。鶉火から天駟までは七宿離れている。また地の辰では、その日は甲子にあり、子から午までもまた七である。天の象も地の辰も、その数はどちらも七である。聖人は律によってその数を同じにし、声によってそれを招いた。だから七音とするのである、と。音楽は七つの律を七つの始まりに配し、それによって三元と四季を定める。そこで黄鐘は天に配し、林鐘は地に配し、大簇は人に配し、姑洗は春に配し、蕤賓は夏に配し、南呂は秋に配し、応鐘は冬に配する。およそ三元とは、周は北斗が子を指す月(十一月)を天正(正月)とした。だから黄鐘の管をこれに配する。殷は北斗が丑を指す月(十二月)を地正とした。本来なら大呂の管をこれに配すべきである。しかし陰の数は偶数であり、未は土が王となる位置で、また天社(土地の神)でもあるので、その衝(向かい合う位置)をとり、地の気に応じて林鐘の管をこれに配する。夏は北斗が寅を指す月(正月)を人正とした。だから大簇の管をこれに配する。そもそも陽の徳はみずからその位置にいる。

解説

十二律の名の解説を終え、律と五音・七音の関係、さらに三元(天・地・人の三つの正月)との対応を論じる段である。黄鐘を宮として三分損益で次々に生まれる律を、宮・徴・商・羽・角と並べれば五音がそろい、さらに変宮・変徴を加えて七音となる。七音が七であることを、周の武王が殷を討った日の天体の位置(歳星が鶉火、太陽が天駟でその間が七宿)という『国語』周語下の伝承で説明するのは、音の数を歴史の大事件や天の数と重ねる象数の考え方の典型である。後半の三元は、周・殷・夏がそれぞれ十一月・十二月・正月を年の初めとしたという「三正」の説である。漢代以来の暦では夏の正月を用い、日本の旧暦もこれに従った。殷の地正に本来当たる大呂ではなく、向かい側の林鐘を当てる理屈は、陰は自分の位置でなく相手に向かい合う位置をとるという考えによる。何を年の初めとするかが王朝によって違ったことは、区切りというものが自然にあるのではなく人が決めるものだということを思い出させる。

この章句が説くこと

五行大義律呂七音三正五音

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