淮南子 / 天文訓
道曰規,始於一,一而不生,故分而為陰陽,陰陽合和而萬物生,故曰「一生二,二生三,三生萬物」。天地三月而為一時,故祭祀三飯以為禮,喪紀三踊以為節,兵重三罕以為制。以三參物,三三如九,故黃鐘之律九寸而宮音調。因而九之,九九八十一,故黃鐘之數立焉。黃者,土德之色;鐘者,氣之所種也。日冬至德氣為土,土色黃,故曰黃鐘。律之數六,分為雌雄,故曰十二鐘,以副十二月。十二各以三成,故置一而十一,三之,為積分十七萬七千一百四十七,黃鐘大數立焉。凡十二律,黃鐘為宮,太蔟為商,姑洗為角,林鐘為徵,南呂為羽。物以三成,音以五立,三與五如八,故卵生者八竅。律之初生也,寫鳳之音,故音以八生。黃鐘為宮,宮者,音之君也,故黃鐘位子,其數八十一,主十一月,下生林鐘。林鐘之數五十四,主六月,上生太蔟。太蔟之數七十二,主正月,下生南呂。南呂之數四十八,主八月,上生姑洗。姑洗之數六十四,主三月,下生應鐘。應鐘之數四十二,主十月,上生蕤賓。蕤賓之數五十七,主五月,上生大呂。大呂之數七十六,主十二月,下生夷則。夷則之數五十一,主七月,上生夾鐘。夾鐘之數六十八,主二月,下生無射。無射之數四十五,主九月,上生仲呂。仲呂之數六十,主四月,極不生。徵生宮,宮生商,商生羽,羽生角,角生姑洗,姑洗生應鐘,比于正音,故為和。應鐘生蕤賓,不比正音,故為繆。日冬至,音比林鐘,浸以濁。日夏至,音比黃鐘,浸以清。以十二律應二十四時之變,甲子,仲呂之徵也;丙子,夾鐘之羽也;戊子,黃鐘之宮也;庚子,無射之商也;壬子,夷則之角也。
新字:道曰規,始於一,一而不生,故分而為陰陽,陰陽合和而万物生,故曰「一生二,二生三,三生万物」。天地三月而為一時,故祭祀三飯以為礼,喪紀三踊以為節,兵重三罕以為制。以三参物,三三如九,故黄鐘之律九寸而宮音調。因而九之,九九八十一,故黄鐘之数立焉。黄者,土徳之色;鐘者,気之所種也。日冬至徳気為土,土色黄,故曰黄鐘。律之数六,分為雌雄,故曰十二鐘,以副十二月。十二各以三成,故置一而十一,三之,為積分十七万七千一百四十七,黄鐘大数立焉。凡十二律,黄鐘為宮,太蔟為商,姑洗為角,林鐘為徴,南呂為羽。物以三成,音以五立,三与五如八,故卵生者八竅。律之初生也,写鳳之音,故音以八生。黄鐘為宮,宮者,音之君也,故黄鐘位子,其数八十一,主十一月,下生林鐘。林鐘之数五十四,主六月,上生太蔟。太蔟之数七十二,主正月,下生南呂。南呂之数四十八,主八月,上生姑洗。姑洗之数六十四,主三月,下生応鐘。応鐘之数四十二,主十月,上生蕤賓。蕤賓之数五十七,主五月,上生大呂。大呂之数七十六,主十二月,下生夷則。夷則之数五十一,主七月,上生夾鐘。夾鐘之数六十八,主二月,下生無射。無射之数四十五,主九月,上生仲呂。仲呂之数六十,主四月,極不生。徴生宮,宮生商,商生羽,羽生角,角生姑洗,姑洗生応鐘,比于正音,故為和。応鐘生蕤賓,不比正音,故為繆。日冬至,音比林鐘,浸以濁。日夏至,音比黄鐘,浸以清。以十二律応二十四時之変,甲子,仲呂之徴也;丙子,夾鐘之羽也;戊子,黄鐘之宮也;庚子,無射之商也;壬子,夷則之角也。
書き下し
道を規と曰う。一に始まる。一にして生ぜず。故に分かれて陰陽と為り、陰陽合和して萬物生ず。故に曰く、一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ず、と。天地は三月にして一時と為す。故に祭祀は三飯して以て禮と為し、喪紀は三踊して以て節と為し、兵は三罕を重んじて以て制と為す。三を以て物を參し、三三は九の如し。故に黃鐘の律は九寸にして宮音調う。因りて之を九すれば、九九八十一。故に黃鐘の數立つ。黃なる者は、土德の色なり。鐘なる者は、氣の種うる所なり。日冬至に德氣は土と為り、土の色は黃なり。故に黃鐘と曰う。律の數は六、分かれて雌雄と為る。故に十二鐘と曰い、以て十二月に副う。十二は各ミ三を以て成る。故に一を置きて十一たび、之を三すれば、積分十七萬七千一百四十七と為り、黃鐘の大數立つ。凡そ十二律、黃鐘を宮と為し、太蔟を商と為し、姑洗を角と為し、林鐘を徵と為し、南呂を羽と為す。物は三を以て成り、音は五を以て立つ。三と五とは八の如し。故に卵生の者は八竅なり。律の初めて生ずるや、鳳の音を寫す。故に音は八を以て生ず。黃鐘を宮と為す。宮なる者は、音の君なり。故に黃鐘は子に位し、其の數は八十一、十一月を主り、下りて林鐘を生ず。林鐘の數は五十四、六月を主り、上りて太蔟を生ず。太蔟の數は七十二、正月を主り、下りて南呂を生ず。南呂の數は四十八、八月を主り、上りて姑洗を生ず。姑洗の數は六十四、三月を主り、下りて應鐘を生ず。應鐘の數は四十二、十月を主り、上りて蕤賓を生ず。蕤賓の數は五十七、五月を主り、上りて大呂を生ず。大呂の數は七十六、十二月を主り、下りて夷則を生ず。夷則の數は五十一、七月を主り、上りて夾鐘を生ず。夾鐘の數は六十八、二月を主り、下りて無射を生ず。無射の數は四十五、九月を主り、上りて仲呂を生ず。仲呂の數は六十、四月を主り、極まりて生ぜず。徵は宮を生じ、宮は商を生じ、商は羽を生じ、羽は角を生じ、角は姑洗を生じ、姑洗は應鐘を生ず。正音に比するが故に和と為す。應鐘は蕤賓を生ずるも、正音に比せず。故に繆と為す。日冬至には、音は林鐘に比し、浸ミ以て濁る。日夏至には、音は黃鐘に比し、浸ミ以て清む。十二律を以て二十四時の變に應ず。甲子は、仲呂の徵なり。丙子は、夾鐘の羽なり。戊子は、黃鐘の宮なり。庚子は、無射の商なり。壬子は、夷則の角なり。
現代語訳
道を規という。一に始まる。一のままでは生まない。だから分かれて陰陽となり、陰陽が和合して万物が生まれる。だから「一は二を生み、二は三を生み、三は万物を生む」という。天地は三か月で一つの季節をなす。だから祭祀は三度飯を供えて礼とし、喪の作法は三度踊って節とし、兵は三罕を重んじて制とする。三で物を測れば、三三が九。だから黄鐘の律は九寸で宮の音が調う。それを九倍すれば、九九八十一。だから黄鐘の数が立つ。黄は土の徳の色である。鐘は気の蒔かれるところである。冬至に徳の気は土となり、土の色は黄である。だから黄鐘という。律の数は六、分かれて雌雄となる。だから十二鐘といい、十二か月に対応する。十二はそれぞれ三で成る。だから一を置いて十一回、三を掛ければ、積は十七万七千百四十七となり、黄鐘の大数が立つ。十二律のうち、黄鐘を宮とし、太蔟を商とし、姑洗を角とし、林鐘を徴とし、南呂を羽とする。物は三で成り、音は五で立つ。三と五で八。だから卵生のものは八つの穴を持つ。律がはじめて生まれたときは、鳳の声を写した。だから音は八で生じる。黄鐘を宮とする。宮は音の君である。だから黄鐘は子に位置し、その数は八十一、十一月を司り、下って林鐘を生む。林鐘の数は五十四、六月を司り、上って太蔟を生む。太蔟の数は七十二、正月を司り、下って南呂を生む。南呂の数は四十八、八月を司り、上って姑洗を生む。姑洗の数は六十四、三月を司り、下って応鐘を生む。応鐘の数は四十二、十月を司り、上って蕤賓を生む。蕤賓の数は五十七、五月を司り、上って大呂を生む。大呂の数は七十六、十二月を司り、下って夷則を生む。夷則の数は五十一、七月を司り、上って夾鐘を生む。夾鐘の数は六十八、二月を司り、下って無射を生む。無射の数は四十五、九月を司り、上って仲呂を生む。仲呂の数は六十、四月を司り、極まって生まない。徴は宮を生み、宮は商を生み、商は羽を生み、羽は角を生み、角は姑洗を生み、姑洗は応鐘を生む。正しい音に合うので和という。応鐘は蕤賓を生むが、正しい音に合わない。だから繆という。冬至には、音は林鐘に比して次第に濁る。夏至には、音は黄鐘に比して次第に澄む。十二律で二十四の時の変化に応じる。甲子は仲呂の徴、丙子は夾鐘の羽、戊子は黄鐘の宮、庚子は無射の商、壬子は夷則の角である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
五行大義・第十五論律呂黄鐘の気は子に在り、十一月焉(ここ)に建つ。その辰は星紀に在り。下りて林鐘を生ず。林鐘の数は五十四、気は未に在り、六月焉に建つ。その辰は鶉火(じゅんか)。上りて大蔟を生ず。大蔟の数は七十二、気は寅に在り、正月焉に建つ。その辰は諏訾(しゅし)。下りて南呂を生ず。南呂の数は四十八、気は酉に在り、八月焉に建つ。その辰は寿星。上りて姑洗を生ず。姑洗の数は六十四、気は辰に在り、三月焉に建つ。その辰は大梁。下りて応鐘を生ず。応鐘の数は四十二、気は亥に在り、十月焉に建つ。その辰は析木(せきぼく)。上りて蕤賓を生ず。蕤賓の数は五十六、気は午に在り、五月焉に建つ。その辰は鶉首。上りて大呂を生ず。大呂の数は七十六、気は丑に在り、十二月焉に建つ。その辰は玄枵(げんきょう)。下りて夷則を生ず。夷則の数は五十一、気は申に在り、七月焉に建つ。その辰は鶉尾。上りて夾鐘を生ず。夾鐘の数は六十八、気は卯に在り、二月焉に建つ。その辰は降婁(こうろう)。下りて無射を生ず。無射の数は四十五、気は戌に在り、九月焉に建つ。その辰は大火。上りて中呂を生ず。中呂の数は六十、気は巳に在り、四月焉に建つ。その辰は実沈。辰と建とは、交錯して表裏を為す。即ちその合なり。然るに相生は乾坤の六体を以てこれを為す。黄鐘は初九、下りて林鐘を生ず。初六、又上りて大蔟を生ず。『楽緯』に云う、黄鐘は中宮、数は八十一。天一・地二・人三の数を以て、以て律を増減し、五音を成す。中和の気なり。増して上生を治め、減じて下生を治む。上生とは、三分して一を益す。下生とは、三分して一を減ず。益すとは、四を以てこれに乗じ、三を以てこれを除す。減ずとは、二を以てこれに乗じ、三を以てこれを除す、と。『三礼義宗』に云う、
-
史記 律書律数。九九八十一を以て宮と為す。三分して一を去り、五十四を以て徴と為す。三分して一を益し、七十二を以て商と為す。三分して一を去り、四十八を以て羽と為す。三分して一を益し、六十四を以て角と為す。黄鐘は長さ八寸七分一、宮。大呂は長さ七寸五分三分。太蔟は長さ七寸分二、角。夾鐘は長さ六寸分三分一。姑洗は長さ六寸分四、羽。仲呂は長さ五寸九分三分二、徴。蕤賓は長さ五寸六分三分。林鐘は長さ五寸分四、角。夷則は長さ五寸三分二、商。南呂は長さ四寸分八、徴。無射は長さ四寸四分三分二。応鐘は長さ四寸二分三分二、羽。鐘分を生ず。丑は三分の二。寅は九分の八。辰は八十一分の六十四。巳は二百四十三分の一百二十八。午は七百二十九分の五百一十二。未は二千一百八十七分の一千二十四。申は六千五百六十一分の四千九十六。酉は一万九千六百八十三分の八千一百九十二。戌は五万九千四十九分の三万二千七百六十八。亥は十七万七千一百四十七分の六万五千五百三十六。黄鐘を生ずるの術に曰く、下に生ずる者は、其の実を倍にし、其の法を三にす。上に生ずる者は、其の実を四にし、其の法を三にす。上は九、商は八、羽は七、角は六、宮は五、徴は九。一を置きて九たび之を三にして以て法と為す。実、法の如くなれば、長さ一寸を得。凡そ九寸を得、命じて「黄鐘の宮」と曰ふ。故に曰く、音は宮に始まり、角に窮まる。数は一に始まり、十に終はり、三に成る。気は冬至に始まり、周りて復た生ず。
-
五行大義・第十五論律呂二間は夾鐘、四隙(しげき)の細を出だすなり。三間は中呂、中気を宣ぶるなり。四間は林鐘、百事を和展し、粛純恪(しゅくじゅんかく)を任ぜざる莫からしむるなり。五間は南呂、陽の秀を賛くるなり。六間は応鐘、器用を均利し、復に応ぜしむるなり。律呂易(か)わらざれば、姦物無きなり、と。『三礼義宗』に云う、律は法なり。陽気施生して、各々その法有るを言う。呂は助なり。陽を助けて功を成す、と。一に云う、律は帥なり。陽気を帥導して、これを通達せしむるなり。呂は侶なり。以て陽に対して、これと侶を為す、と。亦呂は距なり。陰陽の気、時有りて相距(ふせ)ぐを謂う。陽出づれば則ち陰除き、陰昇れば則ち陽損ずるを明らかにす。故に相距ぐの意有り。『続漢書』に云う、陽は圜(まる)きを以て形と為し、その性は動なり。陰は方を以て節と為し、その性は静なり。動く者は数三、静かなる者は数二。陽を以て陰を生じてこれを倍にし、陰を以て陽を生じてこれを半ばにす。皆三を以て一とす。陽の陰を生ずるを下生と曰い、陰の陽を生ずるを上生と曰う。皆天を参にし地を両にす。円蓋方覆(えんがいほうふく)、六偶奇を承くるの道なり、と。『淮南子』に云う、数は一に始まる。一にして生ずること能わず、故に分かれて陰陽と為る。陰陽合して万物を生ず。故に一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。故に三月を一時と為す。祭に三飯有り、喪に三踊有り、兵に三令有る所以なり。皆三を以て節と為す。三三如九、故に黄鐘の律は九寸にして、宮音調う。因りて九を以てこれを九にす。九九八十一、黄鐘の数立つ、と。
-
『淮南子』天文訓古の度量輕重を為すは、天道に生ず。黃鐘の律は脩さ九寸、物は三を以て生ず。三九二十七、故に幅の廣さ二尺七寸。音は八を以て相い生ず。故に人の脩さ八尺、尋は自ら倍す。故に八尺にして尋と為す。形有れば則ち聲有り。音の數は五、五を以て八に乘ずれば、五八四十。故に四丈にして匹と為す。匹なる者は、中人の度なり。一匹にして制と為す。秋分に蔈定まり、蔈定まりて禾熟す。律の數は十二。故に十二蔈にして一粟に當たり、十二粟にして一寸に當たる。律は以て辰に當たり、音は以て日に當たる。日の數は十。故に十寸にして尺と為し、十尺にして丈と為す。其の以て量と為すや、十二粟にして一分に當たり、十二分にして一銖に當たり、十二銖にして半兩に當たる。衡に左右有り、因りて之を倍す。故に二十四銖を一兩と為す。天に四時有り、以て一歲を成す。因りて之を四すれば、四四十六。故に十六兩にして一觔と為す。三月にして一時と為し、三十日を一月と為す。故に三十觔を一鈞と為す。四時にして一歲と為す。故に四鈞を一石と為す。其の以て音と為すや、一律にして五音を生じ、十二律にして六十音と為る。因りて之を六すれば、六六三十六。故に三百六十音、以て一歲の日に當たる。故に律曆の數は、天地の道なり。下生する者は倍し、三を以て之を除く。上生する者は四し、三を以て之を除く。
-
五行大義・第十五論律呂亦云う、応は応和の義なり。此の時将に復た陽気に応じて下に動かんとするを言うなり、と。『楽緯』に云う、黄鐘を宮と為し、林鐘を徴(ち)と為し、大簇を商と為し、南呂を羽と為し、姑洗を角と為し、応鐘を変宮と為し、蕤賓を変徴と為す、と。次を以てこれを配すれば、五音備わる。黄鐘は下りて林鐘を生ず、故に林鐘を徴と為し、黄鐘に次ぐ。林鐘は上りて大簇を生ず、故に大簇を商と為し、林鐘に次ぐ。大簇は下りて南呂を生ず、故に南呂を羽と為し、大簇に次ぐ。南呂は上りて姑洗を生ず、故に姑洗を角と為し、南呂に次ぐ。姑洗は下りて応鐘を生ず、故に応鐘を変宮と為し、姑洗に次ぐ。応鐘は上りて蕤賓を生ず、故に蕤賓を変徴と為す。凡そ七音有りて圜(めぐ)りて相宮と為る。七音とは、蓋し相生の数七なるを以ての故なり。始め黄鐘は林鐘を生ず、十二月より六月に至るまで、凡そ七月なり。服虔(ふくけん)解して云う、七律を七音と為す、と。『外伝』に解して云う、武王商に剋(か)つ、歳は鶉火に在り、日は天駟(てんし)に在り。鶉火は天駟を去ること凡そ七宿。又地辰は日甲子に在り、子より午に至るまで又七。天象・地辰、その数皆七なり。聖人は律を以てその数を同じくし、声を以てこれを招く。故に七音を以てす、と。楽は七律を以て七始に配し、故に以て三元四時を定む。故に黄鐘は以て天に配し、林鐘は以て地に配し、大簇は以て人に配し、姑洗は以て春に配し、蕤賓は以て夏に配し、南呂は以て秋に配し、応鐘は以て冬に配す。凡そ三元とは、周は建子の月を以て天正と為す、故に黄鐘の管これに配す。殷は建丑の月を以て地正と為す、応に大呂の管を以てこれに配すべし。但し陰の数は偶、未は土王、又天社たり、故にその衝を取り、地の気に応じて、林鐘の管を以てこれに配す。夏は建寅の月を以て人正と為す、故に大簇の管これに配す。夫れ陽徳は自ら処る、
-
五行大義・第十五論律呂凡そ黄鐘の管は、本長さ九寸なり。九なる所以は、陽数の極なればなり。数の起こる所は、三より起こる。三才は天地人の道にして合して数を成す、故に三才と曰う。是を以て天地人各々三の数有り。陽は三を兼ぬるを得、故に九と称す。陰は但だ二を兼ぬ、故に六と称す。陽は気の三を兼ぬるを得るを以て、故に因りてこれを三にす。三三如九、故に陽数は九を極と為す。管に九寸を用うる所以は、以て陽気を度るなり。陽気は時に応じて発す。此れ自然の神験なる者なり。又上りて大蔟を生ず、九二なり。又下りて南呂を生ず、六二なり。又上りて姑洗を生ず、九三なり。又下りて応鐘を生ず、六三なり。又上りて蕤賓を生ず、九四なり。又下りて大呂を生ず、六四なり。又上りて夷則を生ず、九五なり。又下りて夾鐘を生ず、六五なり。又上りて無射を生ず、上九なり。又下りて中呂を生ず、上六なり。同位は夫妻に象り、異位は母子に象る所以なり。所謂律は妻を娶りて呂は子を生む者なり、と。『白虎通』に曰く、黄鐘とは何ぞ。黄は中和の気なり。鐘は動なり。陽の黄泉の下に於いて万物を動かすを言うなり、と。『淮南子』に云う、黄は土の色なり。鐘は気の動く所なり。黄鐘を君と為す、冬至にこれを得、と。『三礼義宗』に云う、鐘は応なり。陽気の黄泉の下に潜動し、万物を応養し、萌牙(ほうが)出でんと欲するを言う、と。大呂とは、大は太なり、呂は距なり。陽気出でんと欲し、陰距(ふせ)ぎて難くするを言うなり。『淮南子』に云う、呂は旅なり、と。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る