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五行大義 / 第十五論律呂

凡黃鐘之管。本長九寸。所以九者。陽數之極也。數之所起。起自於三。三才天地人之道合成數。故曰三才。是以天地人各有三數。陽得兼三。故稱九。陰但兼二。故稱六。以陽得氣兼三。故因而三之。三三如九。故陽數九爲極。所以管用九寸。以度陽氣。陽氣應時而發。此自然神驗者也。又上生大蔟。九二。又下生南呂。六二。又上生姑洗。九三。又下生應鐘。六三。又上生蕤賓。九四。又下生大呂。六四。又上生夷則。九五。又下生夾鐘。六五。又上生無射。上九。又下生中呂。上六。所以同位象夫妻。異位象母子。所謂律娶妻而呂生子者也。白虎通曰。黃鐘何。黃。中和之氣。鐘者。動也。言陽於黃泉之下動萬物也。淮南子云。黃。土色。鐘者。氣之所動。黃鐘爲君。冬至得之。三禮義宗云。鐘。應也。言陽氣潛動於黃泉之下。應養萬物。萌牙欲出。大呂。大者。太也。呂者。距也。言陽氣欲出。陰距難也。淮南子云。呂者。旅也。

新字:凡黄鐘之管。本長九寸。所以九者。陽数之極也。数之所起。起自於三。三才天地人之道合成数。故曰三才。是以天地人各有三数。陽得兼三。故称九。陰但兼二。故称六。以陽得気兼三。故因而三之。三三如九。故陽数九為極。所以管用九寸。以度陽気。陽気応時而発。此自然神験者也。又上生大蔟。九二。又下生南呂。六二。又上生姑洗。九三。又下生応鐘。六三。又上生蕤賓。九四。又下生大呂。六四。又上生夷則。九五。又下生夾鐘。六五。又上生無射。上九。又下生中呂。上六。所以同位象夫妻。異位象母子。所謂律娶妻而呂生子者也。白虎通曰。黄鐘何。黄。中和之気。鐘者。動也。言陽於黄泉之下動万物也。淮南子云。黄。土色。鐘者。気之所動。黄鐘為君。冬至得之。三礼義宗云。鐘。応也。言陽気潜動於黄泉之下。応養万物。萌牙欲出。大呂。大者。太也。呂者。距也。言陽気欲出。陰距難也。淮南子云。呂者。旅也。

書き下し

凡そ黄鐘の管は、本長さ九寸なり。九なる所以は、陽数の極なればなり。数の起こる所は、三より起こる。三才は天地人の道にして合して数を成す、故に三才と曰う。是を以て天地人各々三の数有り。陽は三を兼ぬるを得、故に九と称す。陰は但だ二を兼ぬ、故に六と称す。陽は気の三を兼ぬるを得るを以て、故に因りてこれを三にす。三三如九、故に陽数は九を極と為す。管に九寸を用うる所以は、以て陽気を度るなり。陽気は時に応じて発す。此れ自然の神験なる者なり。又上りて大蔟を生ず、九二なり。又下りて南呂を生ず、六二なり。又上りて姑洗を生ず、九三なり。又下りて応鐘を生ず、六三なり。又上りて蕤賓を生ず、九四なり。又下りて大呂を生ず、六四なり。又上りて夷則を生ず、九五なり。又下りて夾鐘を生ず、六五なり。又上りて無射を生ず、上九なり。又下りて中呂を生ず、上六なり。同位は夫妻に象り、異位は母子に象る所以なり。所謂律は妻を娶りて呂は子を生む者なり、と。『白虎通』に曰く、黄鐘とは何ぞ。黄は中和の気なり。鐘は動なり。陽の黄泉の下に於いて万物を動かすを言うなり、と。『淮南子』に云う、黄は土の色なり。鐘は気の動く所なり。黄鐘を君と為す、冬至にこれを得、と。『三礼義宗』に云う、鐘は応なり。陽気の黄泉の下に潜動し、万物を応養し、萌牙(ほうが)出でんと欲するを言う、と。大呂とは、大は太なり、呂は距なり。陽気出でんと欲し、陰距(ふせ)ぎて難くするを言うなり。『淮南子』に云う、呂は旅なり、と。

現代語訳

(『三礼義宗』にはこうある。)およそ黄鐘の管は、もともと長さが九寸である。九とする理由は、九が陽の数の極みだからである。数の起こりは三から始まる。三才とは天・地・人の道であり、それが合わさって数を成すので、三才という。そこで天・地・人にはそれぞれ三の数がある。陽は三を兼ねることができるので九と称する。陰はただ二を兼ねるだけなので六と称する。陽は気として三を兼ねることができるので、それにさらに三をかける。三と三をかけて九になる。だから陽の数は九を極みとする。管に九寸を用いるのは、それによって陽の気をはかるためである。陽の気は時に応じて発する。これは自然の霊妙な験(しるし)である。(黄鐘から林鐘、林鐘から大蔟が生まれたのに続いて、)また上って大蔟を生む、これが九二である。また下って南呂を生む、これが六二である。また上って姑洗を生む、これが九三である。また下って応鐘を生む、これが六三である。また上って蕤賓を生む、これが九四である。また下って大呂を生む、これが六四である。また上って夷則を生む、これが九五である。また下って夾鐘を生む、これが六五である。また上って無射を生む、これが上九である。また下って中呂を生む、これが上六である。同じ位の爻どうしは夫婦にかたどり、違う位の爻どうしは母と子にかたどるのはこのためである。いわゆる、律は妻をめとり、呂は子を生む、というものである、と。『白虎通』にはこうある。黄鐘とは何か。黄は中和の気である。鐘は動くことである。陽が黄泉(地の底)の下で万物を動かすことを言うのである、と。『淮南子』にはこうある。黄は土の色である。鐘は気が動くところである。黄鐘を君主とし、冬至にこれを得る、と。『三礼義宗』にはこうある。鐘とは応じることである。陽の気が地の底にひそかに動き、万物に応じて養い、芽が出ようとしていることを言う、と。大呂とは、大は太(大いなる)であり、呂は距(ふせぐ)である。陽の気が出ようとするのを、陰が拒んで困難にすることを言うのである。『淮南子』には、呂とは旅(去っていく)である、とある。

解説

黄鐘の管が九寸である理由を数の理屈で説き、十二律の相生を『易』の乾坤十二爻に当てはめ、さらに律の名の意味の解説に入る段である。天・地・人の三才がそれぞれ三を持つので、陽は三を三倍した九を極みとし、陰は二を三倍した六を数とする。易で陽の爻を九、陰の爻を六と呼ぶのもこの考えに通じる。続いて六つの律を乾の六爻(初九から上九)、六つの呂を坤の六爻(初六から上六)に順に当て、同じ位の律と呂は夫婦、違う位どうしは母子とする。「律は妻を娶り、呂は子を生む」という言い方は、陽の律と陰の呂が組み合わさって次の音を生み出していく相生の関係を、家族のたとえで表したものである。後半では黄鐘の名を、黄は大地の色で中和の気、鐘は地の底で陽が動くことと説く。冬至の最も暗い時期に、地の底ではすでに陽が動き始めているという見方は、一陽来復の考えそのものである。どん底の中にも次の芽生えが始まっているという発想は、苦しい時期を過ごす人への励ましにもなる。

この章句が説くこと

五行大義律呂黄鐘易陰陽

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