五行大義 / 第十四論雑配・第五論五常
五常者。仁。義。禮。智。信也。行之終久。恆不可闕。故名爲常。亦云五德。以此常行。能成其德。故云五德。而此五德。配於五行。鄭玄注禮記中庸篇云。木神則仁。金神則義。火神則禮。水神則信。土神則智。詩緯等說亦同。毛公傳說及京房等說。皆以土爲信。水爲智。漢書。天文志云。歲星於人。五常。仁也。五事。貌也。仁虧貌失。逆春令。傷木氣。罰見歲星。熒惑於人。五常。禮也。五事。視也。禮虧視失。逆夏令。傷火氣。罰見熒惑。太白於人。五常。義也。五事。言也。義虧言失。逆秋令。傷金氣。罰見太白。辰星於人。五常。智也。五事。聽也。智虧聽失。逆冬令。傷水氣。罰見辰星。鎮星於人。五常。信也。五事。思也。仁義禮智。以信爲主。貌言視聽。以思爲正。四事皆失。鎮星乃爲之動。按毛公及京房。漢史。皆以土爲信。可謂其當所以然者。夫五常之義。仁者以惻隱爲體。博施以爲用。禮者以分別爲體。踐法以爲用。智者以了智爲體。明睿以爲用。義者以合義爲體。裁斷以爲用。信者以不欺爲體。附實以爲用。其於五行。則木有覆冒滋繁。是其惻隱博施也。
新字:五常者。仁。義。礼。智。信也。行之終久。恒不可闕。故名為常。亦云五徳。以此常行。能成其徳。故云五徳。而此五徳。配於五行。鄭玄注礼記中庸篇云。木神則仁。金神則義。火神則礼。水神則信。土神則智。詩緯等説亦同。毛公伝説及京房等説。皆以土為信。水為智。漢書。天文志云。歳星於人。五常。仁也。五事。貌也。仁虧貌失。逆春令。傷木気。罰見歳星。熒惑於人。五常。礼也。五事。視也。礼虧視失。逆夏令。傷火気。罰見熒惑。太白於人。五常。義也。五事。言也。義虧言失。逆秋令。傷金気。罰見太白。辰星於人。五常。智也。五事。聴也。智虧聴失。逆冬令。傷水気。罰見辰星。鎮星於人。五常。信也。五事。思也。仁義礼智。以信為主。貌言視聴。以思為正。四事皆失。鎮星乃為之動。按毛公及京房。漢史。皆以土為信。可謂其当所以然者。夫五常之義。仁者以惻隠為体。博施以為用。礼者以分別為体。践法以為用。智者以了智為体。明睿以為用。義者以合義為体。裁断以為用。信者以不欺為体。附実以為用。其於五行。則木有覆冒滋繁。是其惻隠博施也。
書き下し
五常とは、仁・義・礼・智・信なり。これを行うこと終久にして、恒に闕くべからず、故に名づけて常と為す。亦五徳と云う。此れを以て常に行えば、能くその徳を成す、故に五徳と云う。而して此の五徳は、五行に配す。鄭玄、『礼記』中庸篇に注して云う、木神は則ち仁、金神は則ち義、火神は則ち礼、水神は則ち信、土神は則ち智、と。『詩緯』等の説も亦同じ。毛公の伝の説及び京房(けいぼう)等の説は、皆土を以て信と為し、水を智と為す。『漢書』天文志に云う、歳星は人に於いて、五常は仁なり、五事は貌なり。仁虧(か)け貌失すれば、春令に逆らい、木気を傷り、罰は歳星に見(あらわ)る。熒惑(けいこく)は人に於いて、五常は礼なり、五事は視なり。礼虧け視失すれば、夏令に逆らい、火気を傷り、罰は熒惑に見る。太白は人に於いて、五常は義なり、五事は言なり。義虧け言失すれば、秋令に逆らい、金気を傷り、罰は太白に見る。辰星は人に於いて、五常は智なり、五事は聴なり。智虧け聴失すれば、冬令に逆らい、水気を傷り、罰は辰星に見る。鎮星は人に於いて、五常は信なり、五事は思なり。仁義礼智は、信を以て主と為し、貌言視聴は、思を以て正と為す。四事皆失すれば、鎮星乃ちこれが為に動く、と。按ずるに毛公及び京房・漢史は、皆土を以て信と為す。その当を謂うべし。然る所以の者は、夫れ五常の義は、仁は惻隠を以て体と為し、博施を以て用と為す。礼は分別を以て体と為し、践法を以て用と為す。智は了智を以て体と為し、明叡を以て用と為す。義は合義を以て体と為し、裁断を以て用と為す。信は不欺を以て体と為し、附実を以て用と為す。その五行に於けるや、則ち木に覆冒滋繁有り、是れその惻隠博施なり。
現代語訳
五常とは、仁・義・礼・智・信である。これを行うことはいつまでも続き、常に欠かすことができないので、常と名づける。また五徳ともいう。これを常に行えばその徳を成しとげることができるので、五徳というのである。そしてこの五徳は五行に配される。鄭玄は『礼記』中庸篇に注して、木の神は仁、金の神は義、火の神は礼、水の神は信、土の神は智である、と言っている。『詩緯』(『詩経』に付された緯書)などの説も同じである。毛公の伝(『毛詩』の注釈)の説や京房(前漢の易学者)らの説は、いずれも土を信とし、水を智とする。『漢書』天文志にはこうある。歳星(木星)は人においては、五常では仁、五事(尚書洪範の、貌・言・視・聴・思の五つの振る舞い)では貌(容貌・態度)に当たる。仁が欠け、貌が失われると、春の政令に逆らい、木の気を損ない、その罰が歳星に現れる。熒惑(火星)は人においては、五常では礼、五事では視に当たる。礼が欠け、視が失われると、夏の政令に逆らい、火の気を損ない、その罰が熒惑に現れる。太白(金星)は人においては、五常では義、五事では言に当たる。義が欠け、言が失われると、秋の政令に逆らい、金の気を損ない、その罰が太白に現れる。辰星(水星)は人においては、五常では智、五事では聴に当たる。智が欠け、聴が失われると、冬の政令に逆らい、水の気を損ない、その罰が辰星に現れる。鎮星(土星)は人においては、五常では信、五事では思に当たる。仁・義・礼・智は信を主とし、貌・言・視・聴は思を正しさの基準とする。この四つの事がすべて失われると、鎮星がそのために動く、と。考えるに、毛公と京房と漢の史書は、いずれも土を信としている。これこそ妥当というべきである。そうである理由は次のとおりである。そもそも五常の意味は、仁はあわれみいたむ心を本体とし、広く施すことを働きとする。礼は区別することを本体とし、決まりを踏み行うことを働きとする。智は物事を見通すことを本体とし、明らかで聡いことを働きとする。義はよろしきにかなうことを本体とし、断ち切って裁くことを働きとする。信は欺かないことを本体とし、実に即すことを働きとする。これを五行にあてはめると、木には覆いかぶさって茂り広がる性質があり、これがその惻隠と博施に当たる。
解説
この章句が説くこと
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