五行大義 / 第十四論雑配・第一論配五色
如死馬肝。盛王之時。如漆光。欲去之時。如苔垢。禮記曰。君子縗絰。則有哀色。端冕。則有敬色。甲胄。則有不可犯之色。大戴禮云。孔子曰。君子有三色焉。顯然怡樂。鐘鼓之色。意氣沈靜。憂喪之色。忿然競動。兵革之色。大戴禮。觀人篇云。人有五性。喜。怒。欲。懼。憂。喜氣內畜。雖欲隱。陽喜必見。四氣皆然。五氣誠在乎中。發形於外。人情不可隱也。喜色猶然以出。怒色怫然以侮。欲色𭞺然以愉。懼色薄然以下。憂悲之色。瞿然以靜。盛智必有難盡之色。盛仁必有可尊之色。盛勇必有難懾之色。盛忠必有可親之色。誠潔必有難汙之色。聲真必有可信之色。其質色皓然。固以安。偽色蔓然。亂以煩。夫喜色則黃。怒色則赤。憂色則青。喪色則白。哀色則黑。此皆五常之色。動于五藏。而見于外。隨其善惡盛衰之應也。君子所觀。故於此釋。
新字:如死馬肝。盛王之時。如漆光。欲去之時。如苔垢。礼記曰。君子縗絰。則有哀色。端冕。則有敬色。甲胄。則有不可犯之色。大戴礼云。孔子曰。君子有三色焉。顕然怡楽。鐘鼓之色。意気沈静。憂喪之色。忿然競動。兵革之色。大戴礼。観人篇云。人有五性。喜。怒。欲。懼。憂。喜気内畜。雖欲隠。陽喜必見。四気皆然。五気誠在乎中。発形於外。人情不可隠也。喜色猶然以出。怒色怫然以侮。欲色𭞺然以愉。懼色薄然以下。憂悲之色。瞿然以静。盛智必有難尽之色。盛仁必有可尊之色。盛勇必有難懾之色。盛忠必有可親之色。誠潔必有難汚之色。声真必有可信之色。其質色皓然。固以安。偽色蔓然。乱以煩。夫喜色則黄。怒色則赤。憂色則青。喪色則白。哀色則黒。此皆五常之色。動于五蔵。而見于外。随其善悪盛衰之応也。君子所観。故於此釈。
書き下し
死馬の肝の如く、盛王の時は、漆の光の如く、去らんと欲する時は、苔垢の如し、と。礼記に曰く、君子縗絰(さいてつ)すれば、則ち哀色有り。端冕(たんべん)すれば、則ち敬色有り。甲冑すれば、則ち犯すべからざるの色有り、と。大戴礼に云う、孔子曰く、君子に三色有り。顕然として怡楽(いらく)するは、鐘鼓の色。意気沈静なるは、憂喪の色。忿然として競い動くは、兵革の色、と。大戴礼の観人篇に云う、人に五性有り、喜・怒・欲・懼・憂なり。喜気内に畜うれば、隠さんと欲すと雖も、陽喜必ず見る。四気も皆然り。五気誠に中に在れば、発して外に形(あらわ)る。人情は隠すべからず。喜色は猶然(ゆうぜん)として以て出で、怒色は怫然(ふつぜん)として以て侮り、欲色は𭞺然として以て愉しみ、懼色は薄然として以て下り、憂悲の色は、瞿然(くぜん)として以て静かなり。盛智には必ず尽くし難きの色有り、盛仁には必ず尊ぶべきの色有り、盛勇には必ず懾(おそ)れしめ難きの色有り、盛忠には必ず親しむべきの色有り、誠潔には必ず汙(けが)し難きの色有り、声真には必ず信ずべきの色有り。其の質色は皓然(こうぜん)として、固くして以て安く、偽色は蔓然として、乱れて以て煩わし、と。夫れ喜色は則ち黄、怒色は則ち赤、憂色は則ち青、喪色は則ち白、哀色は則ち黒。此れ皆五常の色、五蔵に動きて、外に見(あらわ)れ、其の善悪盛衰の応に随うなり。君子の観る所なり、故に此に釈す。
現代語訳
死んだ馬の肝のようであり、盛んなときは漆の光沢のよう、去ろうとするときは苔や垢のようである」。『礼記』には「君子が喪服を着れば悲しみの顔色があり、礼服と冠をつければ慎みの顔色があり、鎧兜をつければ犯すことのできない顔色がある」とある。『大戴礼』(前漢の戴徳が編んだ礼の書)には次のようにある。「孔子は言った。君子には三つの顔色がある。はっきりと和らぎ楽しむのは、鐘や太鼓(音楽の場)の顔色である。心が沈み静まっているのは、憂いや喪の顔色である。怒って競い動くのは、戦いの顔色である」。『大戴礼』の観人篇には次のようにある。「人には五つの性情がある。喜び・怒り・欲・恐れ・憂いである。喜びの気が内にたくわえられると、隠そうとしても、明るい喜びが必ず表に現れる。ほかの四つの気もみな同じである。五つの気がほんとうに心の中にあれば、それは外に形となって現れる。人の心情は隠すことができない。喜びの顔色はのびやかに現れ、怒りの顔色はむっとして人をあなどり、欲の顔色は浮き浮きと楽しげで、恐れの顔色はおずおずとへりくだり、憂いや悲しみの顔色は、おどおどとして静かである。智が盛んな人には必ず汲み尽くしがたい顔色があり、仁が盛んな人には必ず尊ぶべき顔色があり、勇が盛んな人には必ず恐れさせがたい顔色があり、忠が盛んな人には必ず親しむべき顔色があり、まことに潔い人には必ずけがしがたい顔色があり、声にまことのある人には必ず信じるべき顔色がある。本物の顔色は明るく清らかで、しっかりとして落ち着いているが、偽りの顔色はとりとめなく広がり、乱れてわずらわしい」。そもそも喜びの顔色は黄、怒りの顔色は赤、憂いの顔色は青、喪の顔色は白、悲しみの顔色は黒である。これはみな五常の色であって、五臓の中で動いて外に現れ、その人の善悪や盛衰の応じ方に従うのである。君子が人を観察するところであるから、ここで解き明かしておく。
解説
この章句が説くこと
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五行大義・第十四論雑配・第一論配五色第十四に雑配を論ず。此に就きて分かちて六段と為す。一に五色に配するを論じ、二に声音に配するを論じ、三に気味に配するを論じ、四に蔵府に配するを論じ、五に五常に配するを論じ、六に五事に配するを論ず。 左氏伝に、子産曰く、発して五色と為る、と。蔡伯喈(さいはくかい)云う、眼に通ずる者を五色と為す、と。黄帝素問に曰く、草の性に五有り、章(あや)なして五色と為る、と。東方の木は蒼色と為す。万物発生し、夷柔(いじゅう)の色なり。南方の火は赤色と為す。以て盛陽炎燄(えんえん)の状に象るなり。中央の土は黄色なり。黄とは地の色なり。故に曰く、天は玄にして地は黄なり、と。西方の金は色白し。秋は殺気為り、白露霜と為る。白とは喪の象なり。北方の水は色黒し。遠望すれば黯然(あんぜん)として、陰闇の象なり。溟海淼邈(びょうばく)として、玄闇窮まり無し。水は太陰の物為り、故に陰闇なり。孝経援神契に言う、土の精は黄、木の精は青、火の精は赤、金の精は白、水の精は黒、と。春秋考異郵に云う、北狄の気は幽都に生じ、色黒く、群畜の穹閭(きゅうりょ)の如し。南夷の気は交趾(こうし)に生じ、色赤く、隅に聚まり、旛旗鳥類の如し。東夷の気は萊柞(らいさく)に生じ、色蒼く、搔撽(そうきょう)布散して、林木の如し。西夷の気は沙丘に生じ、色白く、鋒積して、刀刃の浮かぶが如し。中央の土会は色黄にして、城郭の形の如し。黄気四塞するは、土精舒ぶるなり、と。此の五者を正色と為す。其の変色も亦五なり。穎子厳(えいしげん)の春秋釈例に曰く、経に赤狄・白狄有り、然らば則ち東は青、北は黒、中は黄、皆正色なり、と。土の戊は木を畏る、故に妹の己を以て甲に妻す。黄を以て青に入る、故に東方の間色は緑なり。
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五行大義・第十四論雑配・第一論配五色詩に云う、緑なる衣、と。間色の正色を乱すを刺(そし)るなり。金の庚は火を畏る、故に妹の辛を以て丙に妻す。白を以て赤に入る、故に南方の間色は紅なり。論語郷党に曰く、紅紫は以て褻服(せっぷく)と為さず、と。木の甲は金を畏る、故に妹の乙を以て庚に妻す。青を以て白に入る、故に西方の間色は縹(ひょう)なり。火の丙は水を畏る、故に妹の丁を以て壬に妻す。赤を以て黒に入る、故に北方の間色は紫なり。孔子曰く、紫の朱を奪うを悪む、と。水の壬は土を畏る、故に妹の癸を以て戊に妻す。黒を以て黄に入る、故に中央の間色は驪黄(りこう)なり。五行書に云う、甲は青為り、己は緑為り。丙は赤為り、辛は紅為り。庚は白為り、乙は縹為り。壬は黒為り、丁は紫為り。戊は黄為り、癸は驪黄為り、と。此れ皆夫は本色為り、妻は雑色為るなり。柳世隆云う、八卦各々其の色有り。震は青為り、離は赤為り、兌は白為り、坎は黒為り。此れ皆方に当たるの正色なり。乾は紫為り、艮は紅為り、巽は緑為り、坤は黄為り。此れ並びに間色なり。坤は未土の正色を取る、と。甲乙経に云う、青きこと翠羽(すいう)の如く、黒きこと烏羽の如く、赤きこと雞冠(けいかん)の如く、黄なること蟹腹の如く、白きこと豕膏(しこう)の如し。此の五色を生気の見(あらわ)ると為す。青きこと草滋の如く、黒きこと水苔の如く、黄なること枳実(きじつ)の如く、赤きこと衃血(はいけつ)の如く、白きこと枯骨の如し。此の五色を死気の見ると為す、と。相経に曰く、青気の初めて来たるは、麦の生ずるが如く、盛王の時は、樹葉の青きが如く、去らんと欲する時は、水上の苔の如し。赤気の初めて来たるは、赭柱(しゃちゅう)の如く、盛王の時は、朱丹の如く、去らんと欲する時は、乾血の如し。黄気の初めて来たるは、蚕の糸を吐くが如く、盛王の時は、博基の如く、去らんと欲する時は、枯葉の如し。白気の初めて来たる時は、璽璧(じへき)の如く、盛王の時は、粉上の光の如く、去らんと欲する時は、鮮銭の如し。黒気の初めて来たる時は、
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五行大義・第十四論雑配・第三論配気味又云う、人の黄色なるは甘に宜しく、青色なるは酸に宜しく、黒色なるは醎に宜しく、赤色なるは苦に宜しく、白色なるは辛に宜し。此れ皆本体の宜しき所に依る。『家語』に曰く、水を食する者は、善く游ぎて能く寒に耐う。土を食する者は、心無くして息(いき)せず。木を食する者は、力多くして治まらず。草を食する者は、善く走りて愚かなり。桑を食する者は、緒(いと)有りて蛾と為る。肉を食する者は、勇敢なり。気を食する者は、神明にして寿(いのちなが)し。穀を食する者は、恵巧なり。食せざる者は、死せずして神なり、と。此れ皆気味の類なり、故に附してこれを述ぶ。五味の解する所、例多くして挙げず。語経の明らかにする所の解すべき者は此の如し。
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『長短経』察相此に由りて之を観れば、相を以て士を察すること、其の来たること尚し。故に曰く、富貴は骨法に在り、憂喜は容色に在り。〔経に曰く「青は憂を主り、白は哭泣を主り、黒は病を主り、赤は驚恐を主り、黄は慶喜を主る。凡そ此の五色は、並びに四時を以て之を判ず。春三月は青色王たり、赤色相たり、白色囚たり、黄・黒の二色は皆な死たり。夏三月は赤色王たり、白色・黄色は皆な相たり、青色死し、黒色囚たり。秋三月は白色王たり、黒色相たり、赤色死し、青・黄の二色は皆な囚たり。冬三月は黒色王たり、青色相たり、白色死し、黄と赤の二色は囚たり。若し其の時を得て色の王・相なる者は吉、其の時を得ずして色の王・相なるも若しくは囚・死なる者は凶なり」と。魏の管輅、族兄の家に往き、二客を見る。客去りて、輅、兄に謂いて曰く「此の二人の若きは、天庭及び口耳の間、同じく凶気有り。異変倶に起こり、双魂定まる無く、魂を海に流し、骨を家に帰さん」と。後に果たして溺死す。此れ略ぼ色の変ずるの効を挙ぐ。〕
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五行大義・第十八論情性然る所以は、水は金より生ず、金の体は陽に非ず。木は少陽たり、雨たるに応ぜず。土は地たり、地は本是れ陰なり。風は自ら是れ陰陽の気にして、独り土より生ぜず。服の木を以て風と為すは、巽木を取る、故に当たれりと為すなり。六気の六情に通ずるとは、好は陽たり、悪は陰たり、怒は風たり、喜は雨たり、哀は晦たり、楽は明たり。好の陽たるは、陽気は生を好む、是を以て好と為す。悪の陰たるは、陰気は殺を好む、是を以て悪と為す。怒の風たるは、楊泉云う、「風は陰陽の孔気、激発して起こる。猶お人の内気の、喜怒哀楽に因りて激発して起こるがごとし」と。曾子曰く、「陰陽怒りて風と為る」と。喜の雨たるは、曾子曰く、「陰陽和して雨と為る」と。和潤す、故に喜たるなり。哀の晦たるは、晦は闇なり。愁うれば則ち閉塞す、故に暗し、晦たる所以なり。楽の明たるは、楽しめば則ち情舒散す、故に明なり。『漢書』礼楽志に云う、「人は天地陰陽の気を含み、喜怒哀楽の情有り」と。『論衡』に曰く、「人の五蔵は、心を以て主と為す。心は智慧を発して、四蔵これに従う。肝はこれが為に喜び、肺はこれが為に怒り、腎はこれが為に哀しみ、脾はこれが為に楽しむ。故に聖人これを節す、性を傷つくるを恐るるなり」と。翼奉云う、「好めば則ち膀胱これを受く。水は前むを好む、故に好と曰う。怒れば則ち胆これを受く。少陽始めて盛んにして、万物前み萌すなり。悪めば則ち小腸これを受く。夏は万物を長養し、偽を悪む、故に悪と曰う。喜べば則ち大腸これを受く。金は珍物たり、故に皆喜ぶ。楽しめば則ち胃これを受く。土は万物を生養し、上下皆楽しむ。哀しめば則ち三焦これを受く。陰陽の府にして、陽昇り陰終わり、その宮室竭(つ)く、故に三焦と曰う。故に哀悽するなり」と。
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『長短経』知人〔人物志に曰く「夫れ心質亮直なれば、其の儀は勁固なり。心質平理なれば、其の儀は安閑なり。夫れ仁固の精は、慤然として以て端なり。勇胆の精は、曄然として以て強なり。夫れ憂患の色は、乏しくして且つ荒る。疾疢の色は、乱れて理を垢す。喜色は愉然として以て懌び、慍色は厲然として以て揚がり、垢惑の色は冒昧にして常無し。是の故に其の言は甚だ懌びて精色従わざる者は、中に違う有るなり。其の言は違う有りて精色信ず可き者は、辞の敏ならざるなり。言未だ発せずして怒色先ず見わるる者は、意の憤溢なり。言已に発して怒気之を送る者は、然らざる所を強うるなり」と。凡そ此の類は、之に違わんと欲すと雖も、精色従わず、威愕以て明らかに、変ずと雖も知る可きなり。〕
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