五行大義 / 第十八論情性
所以然者。水生於金。金體非陽。木爲少陽。不應爲雨。土爲地。地本是陰。風自是陰陽之氣。不獨生於土。服以木爲風者。取巽木。故爲當也。六氣通於六情者。好爲陽。惡爲陰。怒爲風。喜爲雨。哀爲晦。樂爲明。好爲陽者。陽氣好生。是以爲好。惡爲陰者。陰氣好殺。是以爲惡。怒爲風者。楊泉云。風者。陰陽孔氣。激發而起。猶人之內氣。因喜怒哀樂激發起也。曾子曰。陰陽怒而爲風。喜而爲雨者。曾子曰。陰陽和而爲雨。和潤故爲喜也。哀爲晦者。晦闇也。愁則閉塞。故暗。所以爲晦。樂爲明者。樂則情舒散。故明也。漢書。禮樂志云。人含天地陰陽之氣。有喜怒哀樂之情。論衡曰。人五藏。以心爲主。心發智慧。而四藏從之。肝爲之喜。肺爲之怒。腎爲之哀。脾爲之樂。故聖人節之。恐傷性也。翼奉云。好則膀胱受之。水好前。故曰好。怒則膽受之。少陽始盛。萬物前萌也。惡則小腸受之。夏長養萬物。惡偽。故曰惡。喜則大腸受之。金爲珍物。故皆喜。樂則胃受之。土生養萬物。上下皆樂。哀則三焦受之。陰陽之府。陽昇陰終。其宮室竭。故曰三焦。故哀悽也。
新字:所以然者。水生於金。金体非陽。木為少陽。不応為雨。土為地。地本是陰。風自是陰陽之気。不独生於土。服以木為風者。取巽木。故為当也。六気通於六情者。好為陽。悪為陰。怒為風。喜為雨。哀為晦。楽為明。好為陽者。陽気好生。是以為好。悪為陰者。陰気好殺。是以為悪。怒為風者。楊泉云。風者。陰陽孔気。激発而起。猶人之内気。因喜怒哀楽激発起也。曽子曰。陰陽怒而為風。喜而為雨者。曽子曰。陰陽和而為雨。和潤故為喜也。哀為晦者。晦闇也。愁則閉塞。故暗。所以為晦。楽為明者。楽則情舒散。故明也。漢書。礼楽志云。人含天地陰陽之気。有喜怒哀楽之情。論衡曰。人五蔵。以心為主。心発智慧。而四蔵従之。肝為之喜。肺為之怒。腎為之哀。脾為之楽。故聖人節之。恐傷性也。翼奉云。好則膀胱受之。水好前。故曰好。怒則胆受之。少陽始盛。万物前萌也。悪則小腸受之。夏長養万物。悪偽。故曰悪。喜則大腸受之。金為珍物。故皆喜。楽則胃受之。土生養万物。上下皆楽。哀則三焦受之。陰陽之府。陽昇陰終。其宮室竭。故曰三焦。故哀悽也。
書き下し
然る所以は、水は金より生ず、金の体は陽に非ず。木は少陽たり、雨たるに応ぜず。土は地たり、地は本是れ陰なり。風は自ら是れ陰陽の気にして、独り土より生ぜず。服の木を以て風と為すは、巽木を取る、故に当たれりと為すなり。六気の六情に通ずるとは、好は陽たり、悪は陰たり、怒は風たり、喜は雨たり、哀は晦たり、楽は明たり。好の陽たるは、陽気は生を好む、是を以て好と為す。悪の陰たるは、陰気は殺を好む、是を以て悪と為す。怒の風たるは、楊泉云う、「風は陰陽の孔気、激発して起こる。猶お人の内気の、喜怒哀楽に因りて激発して起こるがごとし」と。曾子曰く、「陰陽怒りて風と為る」と。喜の雨たるは、曾子曰く、「陰陽和して雨と為る」と。和潤す、故に喜たるなり。哀の晦たるは、晦は闇なり。愁うれば則ち閉塞す、故に暗し、晦たる所以なり。楽の明たるは、楽しめば則ち情舒散す、故に明なり。『漢書』礼楽志に云う、「人は天地陰陽の気を含み、喜怒哀楽の情有り」と。『論衡』に曰く、「人の五蔵は、心を以て主と為す。心は智慧を発して、四蔵これに従う。肝はこれが為に喜び、肺はこれが為に怒り、腎はこれが為に哀しみ、脾はこれが為に楽しむ。故に聖人これを節す、性を傷つくるを恐るるなり」と。翼奉云う、「好めば則ち膀胱これを受く。水は前むを好む、故に好と曰う。怒れば則ち胆これを受く。少陽始めて盛んにして、万物前み萌すなり。悪めば則ち小腸これを受く。夏は万物を長養し、偽を悪む、故に悪と曰う。喜べば則ち大腸これを受く。金は珍物たり、故に皆喜ぶ。楽しめば則ち胃これを受く。土は万物を生養し、上下皆楽しむ。哀しめば則ち三焦これを受く。陰陽の府にして、陽昇り陰終わり、その宮室竭(つ)く、故に三焦と曰う。故に哀悽するなり」と。
現代語訳
そう言える理由は次のとおりである。水は金から生まれるので(雨は金に配してよく)、金の本体は陽ではない。木は少陽であるから、雨となるのはふさわしくない。土は地であり、地はもともと陰である。風はもともと陰陽の気であって、土からだけ生まれるものではない。服虔が木を風とするのは、巽の卦が木であることを取ったもので、妥当である。六気が六情に通じるというのは、好は陽、悪は陰、怒は風、喜は雨、哀は晦、楽は明に当たるということである。好が陽であるのは、陽の気は生かすことを好むので好とする。悪が陰であるのは、陰の気は殺すことを好むので悪とする。怒が風であることについて、楊泉はこう言う。「風は陰陽の気の穴から激しく噴き出して起こる。ちょうど人の内なる気が、喜怒哀楽によって激しく噴き出すようなものである」。曾子は「陰陽が怒ると風となる」と言う。喜が雨であることについて、曾子は「陰陽が和すると雨となる」と言う。和やかに潤すので喜となる。哀が晦であるのは、晦とは暗いことだからである。愁えば心は閉ざされふさがるので暗い。だから晦となる。楽が明であるのは、楽しめば心がのびやかに開くので明るいからである。『漢書』礼楽志はこう言う。「人は天地陰陽の気を含み、喜怒哀楽の情をもつ」。『論衡』(後漢の王充の著)はこう言う。「人の五臓は心を主とする。心が知恵を発し、他の四つの臓がこれに従う。肝はそのために喜び、肺はそのために怒り、腎はそのために哀しみ、脾はそのために楽しむ。だから聖人は感情をほどよく節する。性を損なうことを恐れるからである」。翼奉はこう言う。「好むと膀胱がそれを受ける。水は前へ進むことを好むので好という。怒ると胆がそれを受ける。少陽がはじめて盛んになり、万物が前へ伸び芽吹くのである。憎むと小腸がそれを受ける。夏は万物を伸び育て、偽りを憎むので悪という。喜ぶと大腸がそれを受ける。金は珍しい宝であるから、皆が喜ぶ。楽しむと胃がそれを受ける。土は万物を生み養い、上も下も皆楽しむ。哀しむと三焦がそれを受ける。三焦は陰陽の府であり、陽が昇り陰が終わって、その宮室が尽きるので三焦という。だから哀しみいたむのである」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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五行大義・第十八論情性『左伝』に、子産云う、「天の明に則る」と。天に三光有り、故に明と曰うなり。「地の性に因る」と。性は生なり。万物を生ず、故にその生ずる所に因りてこれを用う。「その六気を生じ、その五行を用う」と。五行とは五性たり、六気とは六情に通ずるなり。翼奉(よくほう)云う、「五行は人に在りては性と為り、六律は人に在りては情と為る。性とは、仁・義・礼・智・信なり。情とは、喜・怒・哀・楽・好・悪なり。五性は内に処りて陽を御す、喩うれば五蔵を収むるがごとし。六情は外に処りて陰を御す、喩うれば六体を収むるがごとし。故に情性に勝てば則ち乱れ、性情に勝てば則ち治まる。性は内より出で、情は外より来たる。情性の交わり、間に系(いと)を容れず」と。『説文』に曰く、「情は人の陰気にして、欲嗜有るなり。性は人の陽気にして、善なる者なり」と。『孝経援神契』に云う、「性は人の質にして、人の稟受して産するところなり。情は陰の数にして、内に伝え著し流れ、五蔵に通ず」と。故に性を本と為し、情を末と為す。性は安静を主り、恬然として常を守る。情は則ち動を主り、境に触れて変ず。動静相交わる、故に間は微密なり。『河上公章句』に云う、「五性の鬼を魂と曰い、雄たり。六情の鬼を魄と曰い、雌たり」と。此れ性の陽、情の陰なるを明らかにするなり。六情既に六気に通ず。今先ず服(ふく)の『左伝』に注するに依りて云う、「六気とは、陰・陽・風・雨・晦・明なり」と。陰は土と作り、陽と風とは木と作り、雨は金と作り、晦は水と作り、明は火と作る。唯だ天の陽のみ変ぜず。陰の土と為るは、土は是れ陰の義なり、故に陰凝りて土と為る。風の木と作るは、風は動なり。
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五行大義・第十八論情性情の好とは、水なり。申に生じ子に盛んなり。水の性は地に触れて行き、物に触れて潤し、好む所多し、故に好と為す。好む所多ければ則ち貪りて厭くこと無し、故に貪狼と為す。申・子これを主る。情の怒とは、木なり。亥に生じ卯に盛んなり。性は水気を受けて生じ、地を貫きて出づ、故に怒と為す。卯の木は子の水より生じ、卯と還りて自ら相刑し、亥も又自ら刑す。是を以て陰気相賊(そこな)う、故に陰賊と為す。亥・卯これを主る。貪狼は必ず陰賊を得て後に動き、陰賊は必ず貪狼を得て後に用う。二陰並び行う。是を以て王者は子卯相刑の日を忌むなり。情の悪とは、火なり。寅に生じ午に盛んなり。火の性は炎猛にして、容受する所無し、故に悪と為す。その気は清明精耀にして、礼を以て自ら整う、故に廉貞と為す。寅・午これを主る。情の喜とは、金なり。巳に生じ酉に盛んなり。金は宝物たり、これを見る者喜ぶ。又喜んで利刃を以て万物に加う、故に喜なり。利刃の加うる所、寛広ならざるは無し。器たれば、則ち容受する所多し、故に寛大と為す。巳・酉これを主る。二陽並び行う。是を以て王者は午酉の日を吉とす。情の楽とは、北と東とを謂う。陽気の萌生する所、故に上と為す。亦た中央を主る。辰は水の窮まるなり。木は落ちて本に帰し、水は流れて末に帰す。故に木の刑は未に在り、水の刑は辰に在り。盛衰各々その所を得、故に楽しむ。水窮まれば則ち隙として入らざるは無く、木上に出でて窮まれば則ち旁らに行きて斜と為る、故に姦邪と為す。辰・未これを主る。情の哀とは、南と西とを謂う。陰気の萌生する所、故に下と為す。戌は窮まれる火なり。丑は金の窮まるたり。金は剛く火は強くして、各々その郷に帰す。故に火の刑は午に在り、金の刑は酉に在り。金火の盛んにして、自刑を被り、窮に至りて帰する所無し、故に哀と曰う。火の性は私無く、金の性は剛断なり、故に公正と曰う。戌・丑これを主る。故に曰く、五性は本に居り、六情は末に在り。情は性に因りて有り、性にして情に由る。情性相因る、故に以て備さに釈す。
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五行大義・第十八論情性『論衡』は四時を以て蔵を論じ、翼奉は風の六情に通ずるを以て府を論ず。脾・腎の二種は、蔵府是れ同じ。肝・肺の二蔵及び府の同じからざるは、蔵は肺に殺罰の性有るを以て、故に怒る。府は肺金の珍の用に合うを以て、故に喜ぶ。肝は則ち春気の生ずるを以て、故に喜ぶ。胆は則ち火の能く焚燎するに合うを以て、故に怒る。二理並びに通ず。又云う、「喜気は暖たり、春に当たる。怒気は晴たり、秋に当たる。楽気は陽たり、夏に当たる。哀気は陰たり、冬に当たる」と。此れ『論衡』の意と合う。翼奉云う、「東方は性仁にして情怒、怒は陰賊を行いてこれを主る。南方は性礼にして情悪、悪は廉貞を行いてこれを主る。下方は性信にして情哀、哀は公正を行いてこれを主る。西方は性義にして情喜、喜は寛大を行いてこれを主る。北方は性智にして情好、好は貪狼を行いてこれを主る。上方は性悪にして情楽、楽は姦邪を行いてこれを主る」と。貪狼は財物を求索するを主る。既に貪狼と云えば、理として然く来たり須(もと)む。陰賊はこれ劫盗を主る、此れも亦た疑わず。廉貞は上客の遷召を主る。寅は陽の始めたり、午は陽の盛んなるたり、故に上客と称す。既に廉貞の性有れば、理として自ら召任高遷す。寛大は酒食慶善を主る。寛大は容納する所多し、故に善慶有り。善慶あれば必ず酒食を置く。姦邪は疾病を主る。淫淫欺欺として、故に邪悪に因りて生ず。邪悪あれば必ず疾病を生ず。公正は執仇諍諫を主る。正しき故に能く争い、公なる故に能く仇讎を執るなり。
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五行大義・第十四論雑配・第四論配蔵府蔵府は、五行・六気に由りて成るなり。蔵は則ち五有り、五行より稟(う)けて、五性と為る。府は則ち六有り、六気に因りて、是を六情と曰う。情性及び気は、後の解に別つ。今は蔵府の配合する所の義を論ず。五蔵とは、肝・心・脾・肺・腎なり。六府とは、大腸・小腸・胆・胃・三焦(さんしょう)・膀胱なり。肝は以て木に配し、心は以て火に配し、脾は以て土に配し、肺は以て金に配し、腎は以て水に配す。膀胱は陽と為し、小腸は陰と為し、胆は風と為し、大腸は雨と為し、三焦は晦と為し、胃は明と為す。故に杜子春秋に医和の云う、陰淫すれば寒疾あり、陽淫すれば熱疾あり、風淫すれば末疾あり。末とは四支なり。雨淫すれば腹疾あり、晦淫すれば惑疾あり、明淫すれば心疾あり、と。夫れ蔵とは、その形体の内に蔵せらるるを以て、故に称して蔵と為す。亦能く五気を蔵受す、故に名づけて蔵と為す。府とは、その伝流受納するを以て、これを謂いて府と曰う。『白虎通』に云う、肝の言たるや扞(かん)なり。肺の言たるや費なり、情動きて序を得るなり。心の言たるや任なり、思に任ずるなり。腎の言たるや写なり、竅(あな)を以て写す。脾の言たるや弁なり、精を積み気を稟くる所以なり、と。『元命苞』に云う、脾とは弁なり。心これを得て貴く、肝これを得て興り、肺これを得て大いに、腎これを得て以て化す、と。肝は仁、肺は義、心は礼、腎は智、脾は信。肝の仁なる所以は何ぞや。肝は木の精なり。仁は生を好む。東方は陽なり、万物始めて生ず。故に肝は木に象り、色青くして柔有り。肺の義なる所以は何ぞや。肺は金の精なり。義は能く断ず。西方は殺し、万物を成す。故に肺は金に象り、色白くして剛有り。心の礼なる所以は何ぞや。心は火の精なり。南方は尊陽上に在り、卑陰下に在り、礼に尊卑有り。故に心は火に象り、色赤くして光あり。腎の智なる所以は何ぞや。腎は水の精なり。
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五行大義・第十八論情性木も亦た動き、地に触れて出づ。箕星は東方の宿にして、風を主る。又、巽は木たり、風たるなり。雨の金と作るは、雨は水なり。水の性は銷釈し、金の性も亦た銷釈すべし。畢星は西方の宿なり、雨を主る。故に『詩』に云う、「月畢に離(かか)りて、滂沲(ぼうだ)たらしむ」と。故に雨は金と作るなり。晦の水と作るは、晦は闇なり。晦闇なれば則ち水生ず。闇は黒にして、水の色たるなり。明の火と作るは、明は物を照らす、故に火と為るなり。皆その類に従いて以てす。鄭玄の『礼記』に注して云う、「木は雨たり、金は陽たり、火は燠(いく)たり、土は風たり、水は寒たり」と。震は春分を主る。春分・穀雨に天兌を得れば、則ち万物畢(ことごと)く生ず。兌は西方の卦にして、是の時、日は昴に在り。昴は西方の宿なり。日の西方に在るを以て、故に天兌と謂う。貌順いて木得れば、則ち天兌和と為る。故に木は雨たり。『詩』に云う、「習習たる谷風、以て陰(くも)り以て雨ふる」と。金の陽たるは、秋の時、日は東方の房星の宿を行き、天震の気を得。言順いて金得れば、則ち天震和と為る。震は陽たるなり。秋の時は物成り、物を𤍜(かわ)かす所以、是れその和なり。金の気に逆らえば、則ち旱の罰と為る、故に金は陽たるなり。土の風たるは、伝に云う、「思心に失有れば、厥(そ)の罰は常風なり」と。言うこころは、風は土の気なり。『荘子』に曰く、「大塊(たいかい)気を噫(は)く、その名を風と曰う」と。土は君たり、君は教令を立つ、故に風たり。土は四季に立つ、故に令失すれば則ち風災いを為すなり。鄭は木を以て雨と為し、服は木を以て風と為す。服は金を以て雨と為し、鄭は金を以て陽と為す。鄭は土を以て風と為し、服は土を以て陰と為す。両説相反し、各々その意有り。今五行に就きて弁ずれば、服これに近し。
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五行大義・第十四論雑配・第四論配蔵府五蔵にして六府有るは、亦六気の五行に因りて生ずるが如きなり。又五性の六情を生ずるが如きなり。『素問』に云う、皮は大腸に応じ、その栄は毛、心を主る。脈は小腸に応じ、その栄は色、腎を主る。筋は胆に応じ、その栄は爪、肺を主る。肉は胃に応じ、その栄は唇、肝を主る。腠理(そうり)・毫毛は三焦・膀胱に応じ、その栄は髪、脾を主る、と。皮は大腸に応じ、その栄は毛、心を主るとは、心は是れ身の君、皮は是れ身の城郭、毛は是れ身の羽衛、大腸は是れ気の道路なり。故に並びに相通ず。心は是れ火の蔵、大腸は是れ金の府なり、故に以て配す。丙辛の主る所なり。脈は小腸に応じ、その栄は色、腎を主るとは、腎は水なり。脈は是れ血の溝渠にして、水を通流す。気色は是れ人の光采なり。血気若し盛んなれば、則ち容色壮悦し、血気若し衰うれば、則ち容顔枯悴す。腎は水の蔵たり。小腸は既に受盛して水気を容著し、又是れ火の府なり、故に以てこれに配す。丁壬の主る所なり。筋は胆に応じ、その栄は爪、肺を主るとは、筋は是れ皮内の剛強なり、爪は是れ皮外の剛利なり。肺は是れ金の蔵、胆は剛精の性有り、又是れ木の府なり、故に以て相配す。乙庚の主る所なり。肉は胃に応じ、その栄は唇、肝を主るとは、胃は能く五穀の精気を消化して肉と為す。五穀は口より入る、故に栄潤は唇に在り。肝は是れ木の蔵、仁にして能く生ず。胃は是れ土の府なり、故に以て相配す。甲己の主る所なり。
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