五行大義 / 第六論五行相雑・一者論五行体雑
第六論五行相雜就此分爲三段:一論五行體雜、二論支干雜、三論方位雜。 凡五行均布。徧在萬有。不可定守一途。今先論五行體雜。但其氣周流。隨事而用。若言不雜。水只應一。何故謂五而爲六。火。金。木。土。竝爾。當知生數爲本。成數爲雜。既有雜。故一行當體。卽有五義。如木有曲直。此是木也。木中有火。則是火也。木堪爲兵仗。有擊觸之能。卽是金也。木中有潤。卽是水也。木吐華葉子實。卽是土也。火。外陽。卽是火也。內陰。卽是水也。能殺。卽是金也。能熟。卽是木也。能生。卽是土也。土。能生。卽是土也。能容。卽是水也。能成。卽是木也。能防。卽是金也。含陽。卽是火也。金。能斷。卽是金也。從革。卽是木也。含火。卽是火也。有汗。卽是水也。能生。卽是土也。水。外陰。卽是水也。內陽。卽是火也。含養。卽是木也。潤生。卽是土也。能殺。卽是金也。此皆以義釋一行通有五氣。就事而論義則不爾。或有。或無。質弱者。則體相容。質堅者。則體不相容。金中無木。木中無金。金木以正相害。故水中無火。火中無水。兩法正相害。故亦無金。金中有水。木中亦有水。木中亦有火。石中亦有火。而水能生木。則木中有水。水生於金。金中有水。火生於木。木中有火。水復從金生。金中有水。水能生木。木中有火。火刻於金。
新字:第六論五行相雑就此分為三段:一論五行体雑、二論支干雑、三論方位雑。 凡五行均布。遍在万有。不可定守一途。今先論五行体雑。但其気周流。随事而用。若言不雑。水只応一。何故謂五而為六。火。金。木。土。並爾。当知生数為本。成数為雑。既有雑。故一行当体。即有五義。如木有曲直。此是木也。木中有火。則是火也。木堪為兵仗。有撃触之能。即是金也。木中有潤。即是水也。木吐華葉子実。即是土也。火。外陽。即是火也。内陰。即是水也。能殺。即是金也。能熟。即是木也。能生。即是土也。土。能生。即是土也。能容。即是水也。能成。即是木也。能防。即是金也。含陽。即是火也。金。能断。即是金也。従革。即是木也。含火。即是火也。有汗。即是水也。能生。即是土也。水。外陰。即是水也。内陽。即是火也。含養。即是木也。潤生。即是土也。能殺。即是金也。此皆以義釈一行通有五気。就事而論義則不爾。或有。或無。質弱者。則体相容。質堅者。則体不相容。金中無木。木中無金。金木以正相害。故水中無火。火中無水。両法正相害。故亦無金。金中有水。木中亦有水。木中亦有火。石中亦有火。而水能生木。則木中有水。水生於金。金中有水。火生於木。木中有火。水復従金生。金中有水。水能生木。木中有火。火刻於金。
書き下し
第六、五行の相雑(そうざつ)を論ず。此に就きて分かちて三段と為す。一は五行の体雑を論じ、二は支干の雑を論じ、三は方位の雑を論ず。 凡そ五行は均しく布き、徧く万有に在り、一途を定守すべからず。今先ず五行の体雑を論ず。但だ其の気は周流し、事に随いて用う。若し雑らずと言わば、水は只だ一に応ずべし。何故に五を謂いて六と為すや。火・金・木・土も竝びに爾り。当に知るべし、生数を本と為し、成数を雑と為すを。既に雑有り、故に一行の当体に、即ち五義有り。木の曲直有るが如きは、此れ是れ木なり。木中に火有るは、則ち是れ火なり。木の兵仗と為すに堪え、撃触の能有るは、即ち是れ金なり。木中に潤い有るは、即ち是れ水なり。木の華葉子実を吐くは、即ち是れ土なり。火は、外陽なるは即ち是れ火なり。内陰なるは即ち是れ水なり。能く殺すは即ち是れ金なり。能く熟するは即ち是れ木なり。能く生ずるは即ち是れ土なり。土は、能く生ずるは即ち是れ土なり。能く容るるは即ち是れ水なり。能く成すは即ち是れ木なり。能く防ぐは即ち是れ金なり。陽を含むは即ち是れ火なり。金は、能く断つは即ち是れ金なり。革(あらた)むるに従うは即ち是れ木なり。火を含むは即ち是れ火なり。汗有るは即ち是れ水なり。能く生ずるは即ち是れ土なり。水は、外陰なるは即ち是れ水なり。内陽なるは即ち是れ火なり。含養するは即ち是れ木なり。潤生するは即ち是れ土なり。能く殺すは即ち是れ金なり。此れ皆義を以て一行の通じて五気有るを釈す。事に就きて論ずれば、義は則ち爾らず、或いは有り、或いは無し。質の弱き者は、則ち体相容れ、質の堅き者は、則ち体相容れず。金中に木無く、木中に金無し。金木は正しく相害するを以てなり。故に水中に火無く、火中に水無し。両法正しく相害す。故に亦金無し。金中に水有り、木中にも亦水有り、木中にも亦火有り、石中にも亦火有り。而して水能く木を生ず、則ち木中に水有り。水は金より生ず、金中に水有り。火は木より生ず、木中に火有り。水は復た金より生ず、金中に水有り。水能く木を生ず。木中に火有り。火は金を剋す。
現代語訳
第六、五行が互いに混じり合うこと(相雑)を論じる。ここでは三つの段に分ける。一は五行そのものの混じり合いを論じ、二は十干十二支の混じり合いを論じ、三は方位の混じり合いを論じる。 およそ五行は等しく行き渡って、あらゆるものの中にあり、一つの在り方を決まって守ることはない。いまはまず五行そのものの混じり合いを論じる。五行の気はめぐり流れ、事柄に応じてはたらく。もし混じらないというなら、水はただ一の数に応じるだけのはずである。どうして五を加えて六とするのか。火・金・木・土もみな同じである。生数(一から五)を本体とし、成数(六から十)を混じり合いとすることを知らなければならない。混じり合いがあるのだから、一つの行そのものの中に五つの意味がある。たとえば木に曲がったりまっすぐだったりする性質があるのは、これは木である。木の中に火があるのは、これは火である。木が武器となることができ、打ち当てる力があるのは、これは金である。木の中に潤いがあるのは、これは水である。木が花や葉や実を出すのは、これは土である。火については、外が陽であるのは火であり、内が陰であるのは水であり、殺すことができるのは金であり、熟させることができるのは木であり、生むことができるのは土である。土については、生むことができるのは土であり、受け入れることができるのは水であり、成し遂げることができるのは木であり、防ぐことができるのは金であり、陽を含むのは火である。金については、断ち切ることができるのは金であり、形を改めるのに従うのは木であり、火を含むのは火であり、汗(表面の水滴)があるのは水であり、生むことができるのは土である。水については、外が陰であるのは水であり、内が陽であるのは火であり、含んで養うのは木であり、潤して生むのは土であり、殺すことができるのは金である。これらはみな、意味のうえで一つの行が五つの気をすべて持つことを解説したものである。具体的な事物について論じれば、意味のうえではそうはならず、あったりなかったりする。性質の弱いものは互いの本体を受け入れ、性質の堅いものは互いの本体を受け入れない。金の中に木はなく、木の中に金はない。金と木はまさに互いを害するからである。だから水の中に火はなく、火の中に水はない。二つはまさに互いを害する。だからまた金もない。金の中には水があり、木の中にもやはり水があり、木の中にもやはり火があり、石の中にもやはり火がある。そして水は木を生むことができるので、木の中に水がある。水は金から生じるので、金の中に水がある。火は木から生じるので、木の中に火がある。水はまた金から生じるので、金の中に水がある。水は木を生むことができる。木の中には火がある。火は金を剋す。
解説
この章句が説くこと
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五行大義・第六論五行相雑・一者論五行体雑那(なん)ぞ石に復た火有るを得んや。此れは是れ火の性弱し、故に能く堅に入る。而して水中に金無きは、是れ堅は弱に入ること能わざればなり。木は水より生じ、木中に水を含む。金は能く水を生じ、金中に水を含む。所以に水中に金木無きは、金木水中に在るも、水の体に金木有りと言うを得ず。湿潤は木石の中に在り、木石便ち水の義有るを得。此れも亦是れ弱は能く堅に入り、堅は弱に入ること能わざるなり。炎州に樹有り、火中に生ず。此れ火能く樹を生ずるに非ず、是れ火、樹を焼くこと能わざるなり。亦火の樹中に在るに非ず、乃ち是れ樹、火中に在りて、体相雑らず。金の水中に在りて、水の体に雑ること能わざるに異なる無し。亦海中の陰火潜かに燃ゆるが如し。此れ水中に火有るも、但だ水の体、火を雑うるに非ず。此れ稍(やや)霊奇に渉り、亦五行の常準に非ず。又木中に火有りて、火還りて木を焼く。此れは是れ生火方に盛ん、故に能く木を焼く。石中に火有りて、火、石を焼かず。是れ火金郷に至り、気已に衰う、故に石を焼くこと能わず。其の火を以て金を消すは、亦其の盛んなるを取る、故に能く金を爍(と)かす。是れ衰火を取らず。猶お金能く木を剋するも、鉛錫は断つこと能わざるがごとし。此れは是れ堅からざるの金なり。土の性は包含し、受けざる所無し、故に土中には皆水金木火を備え有す。火は直だ陽気のみに非ず、猶お范陽(はんよう)の地燃ゆるがごとし、是れ陰なり。土火相害せず、恒には爾らずと雖も、無しと言うを得ず。等しく是れ四行、何故に独り爾るや。土既に地に居り、地は即ち是れ陰なり。火は即ち是れ太陽の気、故に恒には有るを得ざるなり。
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五行大義・第三明数・第二論五行及生成数尚書洪範篇に曰く、「五行、一に曰く水、二に曰く火、三に曰く木、四に曰く金、五に曰く土」と。皆其の生数なり。礼記月令篇に云う、「木の数は八、火の数は七、金の数は九、水の数は六、土の数は五」と。皆其の成数なり。唯だ土のみ生数を言う。天は一を以て水を北方に生ず、君子の位なり。陽気微かに黄泉の下に動く。始めて動くに二無し。天数と陽と合して一と為る。水は陰物と雖も、陽内に在り。陽の始めに従う、故に水の数は一なり。陽極まりて陰を生ず、陰は午に始まる。始めも亦た二無し。陰陽二気、各おの其の始め有れば、正に応に一と言うべし。而るに二と云う者は、陽の尊きを以ての故なり。尊きもの既に始めを括(くく)れば、陰は卑しくして賛和し、配するが故に能く生ず。而して陽数偶にして陰火の中に在り。火は陽物と雖も、義は陰に従い、陰の始めに配合す。故に始めに従いて義を立つ。故に火の数は二なり。老子云う、「天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧し」と。是れ皆一の義有り、唱和始めを同じくするを知る。是を以て云う、木は陽の動くに配して、左に東方に長ず。長ずれば則ち滋繁し、滋繁すれば則ち数増す。故に木の数は三なり。陰は陽の消ゆるを佐け、陰道右転して西に居る。陽の後に在りて、理として等しき義無し。故に金の数は四なり。陰陽の数、一周に始まり、然る後に陽中に達し、四行を総括す。苞(つつ)めば則ち弥(いよいよ)多し。故に土の数は五なり。此れ並びに生数にして、皆始めに拠ると云う。未だ成数を明らかにせず。数既に未だ成らざれば、亦た未だ用を為す能わず。穎容(えいよう)の春秋釈例に云う、
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