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五行大義 / 第三明数・第二論五行及生成数

尚書洪範篇曰。五行。一曰水。二曰火。三曰木。四曰金。五曰土。皆其生數。禮記月令篇云。木數八。火數七。金數九。水數六。土數五。皆其成數。唯土言生數。天以一生水於北方。君子之位。陽氣微動於黃泉之下。始動無二。天數與陽合而爲一。水雖陰物。陽在於內。從陽之始。故水數一也。極陽生陰。陰始於午。始亦無二。陰陽二氣。各有其始。正應言一。而云二者。以陽尊故。尊既括始。陰卑贊和。配故能生。而陽數偶陰在火中。火雖陽物。義從陰。配合陰始。故從始立義。故火數二也。老子云。天得一以清。地得一以寧。是知皆有一義。唱和同始。是以云。木配陽動。而左長於東方。長則滋繁。滋繁則數增。故木數三也。陰佐陽消。陰道右轉。而居於西。在陽之後。理無等義。故金數四也。陰陽之數。始乎一周。然後陽達於中。總括四行。苞則彌多。故土數五也。此竝生數。皆云據始。未明成數。數既未成。亦未能爲用。穎容春秋釋例云。

新字:尚書洪範篇曰。五行。一曰水。二曰火。三曰木。四曰金。五曰土。皆其生数。礼記月令篇云。木数八。火数七。金数九。水数六。土数五。皆其成数。唯土言生数。天以一生水於北方。君子之位。陽気微動於黄泉之下。始動無二。天数与陽合而為一。水雖陰物。陽在於内。従陽之始。故水数一也。極陽生陰。陰始於午。始亦無二。陰陽二気。各有其始。正応言一。而云二者。以陽尊故。尊既括始。陰卑賛和。配故能生。而陽数偶陰在火中。火雖陽物。義従陰。配合陰始。故従始立義。故火数二也。老子云。天得一以清。地得一以寧。是知皆有一義。唱和同始。是以云。木配陽動。而左長於東方。長則滋繁。滋繁則数增。故木数三也。陰佐陽消。陰道右転。而居於西。在陽之後。理無等義。故金数四也。陰陽之数。始乎一周。然後陽達於中。総括四行。苞則弥多。故土数五也。此並生数。皆云拠始。未明成数。数既未成。亦未能為用。穎容春秋釈例云。

書き下し

尚書洪範篇に曰く、「五行、一に曰く水、二に曰く火、三に曰く木、四に曰く金、五に曰く土」と。皆其の生数なり。礼記月令篇に云う、「木の数は八、火の数は七、金の数は九、水の数は六、土の数は五」と。皆其の成数なり。唯だ土のみ生数を言う。天は一を以て水を北方に生ず、君子の位なり。陽気微かに黄泉の下に動く。始めて動くに二無し。天数と陽と合して一と為る。水は陰物と雖も、陽内に在り。陽の始めに従う、故に水の数は一なり。陽極まりて陰を生ず、陰は午に始まる。始めも亦た二無し。陰陽二気、各おの其の始め有れば、正に応に一と言うべし。而るに二と云う者は、陽の尊きを以ての故なり。尊きもの既に始めを括(くく)れば、陰は卑しくして賛和し、配するが故に能く生ず。而して陽数偶にして陰火の中に在り。火は陽物と雖も、義は陰に従い、陰の始めに配合す。故に始めに従いて義を立つ。故に火の数は二なり。老子云う、「天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧し」と。是れ皆一の義有り、唱和始めを同じくするを知る。是を以て云う、木は陽の動くに配して、左に東方に長ず。長ずれば則ち滋繁し、滋繁すれば則ち数増す。故に木の数は三なり。陰は陽の消ゆるを佐け、陰道右転して西に居る。陽の後に在りて、理として等しき義無し。故に金の数は四なり。陰陽の数、一周に始まり、然る後に陽中に達し、四行を総括す。苞(つつ)めば則ち弥(いよいよ)多し。故に土の数は五なり。此れ並びに生数にして、皆始めに拠ると云う。未だ成数を明らかにせず。数既に未だ成らざれば、亦た未だ用を為す能わず。穎容(えいよう)の春秋釈例に云う、

現代語訳

『尚書』洪範篇には「五行とは、一に水、二に火、三に木、四に金、五に土という」とある。これらはみな生数(五行を生み出す数、一から五)である。『礼記』月令篇には「木の数は八、火の数は七、金の数は九、水の数は六、土の数は五」とある。これらはみな成数(五行を完成させる数、六から十)である。ただ土だけは生数でいっている。天は一によって水を北方に生む。北は君子の位である。陽の気がかすかに黄泉(地の底)の下で動く。動き始めは一つしかない。天の数と陽とが合わさって一となる。水は陰の物ではあるが、陽がその内にある。陽の始まりに従うので、水の数は一である。陽が極まって陰を生み、陰は午(南)から始まる。その始まりもまた一つしかない。陰陽の二つの気にはそれぞれ始まりがあるのだから、本来は一というべきである。それなのに二というのは、陽を尊ぶからである。尊いほうがすでに始まりをひとまとめにしているので、陰は卑しい立場で賛同し和し、陽に配されるからこそ生むことができる。そして陽の数は偶数となって、陰が火の中にある。火は陽の物ではあるが、その意味は陰に従い、陰の始まりに組み合わされる。だから始まりに従って意味を立てる。それで火の数は二なのである。『老子』には「天は一を得て清く、地は一を得て安らかである」とある。ここから、どちらにも一の意味があり、唱える陽と和する陰とは始まりを同じくすることがわかる。そこで、木は陽の動きに配されて、左まわりに東方で伸び育つ。伸び育てば増え茂り、増え茂れば数が増す。だから木の数は三である。陰は陽が消えていくのを助け、陰の道は右まわりにめぐって西にある。陽の後ろにいて、理として対等という意味はない。だから金の数は四である。陰陽の数は、一巡りすることから始まり、その後に陽が中央に達して、他の四行をまとめて包む。包めばいよいよ多くなる。だから土の数は五である。これらはいずれも生数であり、みな始まりに拠っているという。まだ成数を明らかにしていない。数がまだ完成していなければ、働きをなすこともできない。穎容(後漢の学者)の『春秋釈例』にはこうある。

解説

五行の生数と成数を論じる段の続きで、なぜ水が一、火が二、木が三、金が四、土が五なのかを陰陽の運行から説明している。『尚書』洪範は水・火・木・金・土の順に一から五を挙げ、『礼記』月令は木八・火七・金九・水六・土五と六以上の数を挙げる。前者を生数、後者を成数と呼び、二つの古典の食い違いを一つの体系に収めようとしたのである。説明の筋は、陽が冬至の北で地下にかすかに動き始めるから水が一、陰は夏至の南で始まるが陽を尊んで二とする、陽が東に伸びるから木が三、陰が西に退くから金が四、陰陽が一巡して中央にまとまるから土が五、というものである。陰は本来一であるべきなのに陽を尊んで二とするというくだりには、陽を尊び陰を卑しむ当時の価値観がそのまま表れている。こうした生数・成数の考えは、易学や暦学、さらに日本の陰陽道でも前提とされた。古典の矛盾を切り捨てず、両方を生かす枠組みを考え出すところに、注釈の学の粘り強さがある。食い違う二つの意見を両立させる道を探ることは、今の議論の場でも大切な態度だろう。

この章句が説くこと

五行大義生数成数洪範月令

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