五行大義 / 序
禮以節事。樂以和心。爵表章旗。刑用革善。此人之象也。百官以治。萬人以立。四教修文。七德閱武。此人之數也。因夫象數。故識五行之始末。藉斯龜筮。乃辨陰陽之吉凶。是以事假象知。物從數立。吉每尋閱墳索。研窮經典。自羲農以來。迄于周漢。莫不以五行爲政治之本。以蓍龜爲善惡之先。所以傳云。天生五材。廢一不可。尙書曰。商王受命。狎侮五常。殄棄三政。故知得之者昌。失之者滅。昔中原喪亂。晉氏南遷。根本之書不足。枝條之學斯盛。虛談巧筆。競功於一時。碩學經邦。棄之於萬古。末代踵習。風軌遂成。雖復占候之術尚行。皆從左道之說。卜筮之法恒在爻象之理莫分。月令靡依。時制必爽。失之毫髮。千里必差。水旱興而不辨其由。妖祥作而莫知其趣非因形像。罕徵窮者。觀其謬惑。歎其學人。皆信其末而忘本。竝舉其麤而漏細。古人有云。登山始見天高。臨壑方覺地厚。不聞先聖之道。無以知學者之大。況乃五行幽邃。安可斐然。今故博採經緯。搜窮簡牒。略談大義。凡二十四段。别而分之。合四十段。二十四者。節數之氣總。四十者。五行之成數。始自釋名。終於蟲鳥。凡配五行。皆在茲義。庶幾使斯道不墜。知其始焉。若能治心靜志。研其微者。豈直怡神養性。保德全身。亦可弼諧庶政。利安萬有。斯故至人之所達也。昔人感物制經。吉今因事述義。異時而作。共軌殊途嘆味道之不齊。求利物之一致。倚焉來哲。補其闕焉。
新字:礼以節事。楽以和心。爵表章旗。刑用革善。此人之象也。百官以治。万人以立。四教修文。七徳閲武。此人之数也。因夫象数。故識五行之始末。藉斯亀筮。乃弁陰陽之吉凶。是以事仮象知。物従数立。吉毎尋閲墳索。研窮経典。自羲農以来。迄于周漢。莫不以五行為政治之本。以蓍亀為善悪之先。所以伝云。天生五材。廃一不可。尚書曰。商王受命。狎侮五常。殄棄三政。故知得之者昌。失之者滅。昔中原喪乱。晋氏南遷。根本之書不足。枝条之学斯盛。虚談巧筆。競功於一時。碩学経邦。棄之於万古。末代踵習。風軌遂成。雖復占候之術尚行。皆従左道之説。卜筮之法恒在爻象之理莫分。月令靡依。時制必爽。失之毫髪。千里必差。水旱興而不弁其由。妖祥作而莫知其趣非因形像。罕徴窮者。観其謬惑。嘆其学人。皆信其末而忘本。並舉其麤而漏細。古人有云。登山始見天高。臨壑方覚地厚。不聞先聖之道。無以知学者之大。況乃五行幽邃。安可斐然。今故博採経緯。捜窮簡牒。略談大義。凡二十四段。別而分之。合四十段。二十四者。節数之気総。四十者。五行之成数。始自釈名。終於虫鳥。凡配五行。皆在茲義。庶幾使斯道不墜。知其始焉。若能治心静志。研其微者。豈直怡神養性。保徳全身。亦可弼諧庶政。利安万有。斯故至人之所達也。昔人感物制経。吉今因事述義。異時而作。共軌殊途嘆味道之不斉。求利物之一致。倚焉来哲。補其闕焉。
書き下し
礼は以て事を節し、楽は以て心を和す。爵は章旗に表し、刑は用て善に革(あらた)む。此れ人の象なり。百官以て治まり、万人以て立つ。四教もて文を修め、七徳もて武を閲(けみ)す。此れ人の数なり。夫の象数に因る、故に五行の始末を識る。斯の亀筮に藉(よ)りて、乃ち陰陽の吉凶を弁ず。是を以て事は象を仮りて知り、物は数に従いて立つ。吉、毎(つね)に墳索(ふんさく)を尋閲し、経典を研窮するに、羲農(ぎのう)より以来、周漢に迄(いた)るまで、五行を以て政治の本と為し、蓍亀(しき)を以て善悪の先と為さざるは莫し。所以に伝に云う、「天、五材を生ず、一を廃するも不可なり」と。尚書に曰く、「商王受、五常を狎侮(こうぶ)し、三政を殄棄(てんき)す」と。故に知る、之を得る者は昌え、之を失う者は滅ぶことを。昔、中原喪乱し、晋氏南遷す。根本の書足らず、枝条の学斯に盛んなり。虚談巧筆、功を一時に競い、碩学経邦、之を万古に棄つ。末代踵習(しょうしゅう)して、風軌遂に成る。復た占候の術尚お行わると雖も、皆左道の説に従う。卜筮の法恒に在れども、爻象の理分かたれず。月令依る靡(な)く、時制必ず爽(たが)う。之を毫髪に失えば、千里必ず差(たが)う。水旱興れども其の由を弁ぜず、妖祥作れども其の趣を知る莫し。形像に因るに非ざれば、窮むる者を徴すること罕(まれ)なり。其の謬惑を観て、其の学人を歎ず。皆其の末を信じて本を忘れ、並びに其の麤(そ)を挙げて細を漏らす。古人云える有り、「山に登りて始めて天の高きを見、壑(たに)に臨みて方(まさ)に地の厚きを覚ゆ」と。先聖の道を聞かざれば、以て学者の大を知る無し。況んや乃ち五行は幽邃(ゆうすい)なり、安んぞ斐然(ひぜん)たるべけんや。今故に博く経緯を採り、簡牒を捜窮し、略(ほぼ)大義を談ず。凡そ二十四段、別ちて之を分かてば、合わせて四十段。二十四とは、節数の気の総なり。四十とは、五行の成数なり。釈名より始まり、虫鳥に終わる。凡そ五行に配するもの、皆茲の義に在り。庶幾(こいねが)わくは斯の道をして墜ちざらしめ、其の始めを知らしめんことを。若し能く心を治め志を静め、其の微なる者を研(きわ)めば、豈に直(ただ)に神を怡(よろこ)ばせ性を養い、徳を保ち身を全うするのみならんや、亦た庶政を弼諧(ひっかい)し、万有を利安すべし。斯れ故に至人の達する所なり。昔人は物に感じて経を制し、吉は今事に因りて義を述ぶ。時を異にして作るも、軌を共にし途を殊にす。道を味わうことの斉しからざるを嘆き、物を利することの一致を求む。焉(これ)を来哲に倚(よ)せ、其の闕を補わんことを。
現代語訳
礼によって物事に節度を与え、音楽によって心を和らげる。爵位は徽章や旗に表し、刑罰は人を善へと改めさせるために用いる。これが人の象である。多くの官職によって国が治まり、万民がそれによって身を立てる。四つの教え(詩・書・礼・楽)で文を修め、七つの武の徳(暴を禁じ、兵を収め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにする)で武を検める。これが人の数である。こうした象と数によって、五行の始まりと終わりを知る。亀卜と筮によって、陰陽の吉凶を見分ける。だから物事は象を借りて知られ、物は数に従って成り立つのである。私、蕭吉は、いつも古い典籍(三墳・八索のような太古の書)をひもとき、経典を深く研究してきたが、伏羲・神農より周・漢に至るまで、五行を政治の根本とし、蓍(めどぎ)と亀の占いを善悪を知る先がけとしなかった者はいない。だから『左伝』に「天は五つの材を生んだ。一つとして欠かすことはできない」という。『尚書』には「殷の王受(紂王)は五常をあなどり、三つの正しい道を捨て去った」とある。ここから、これを得る者は栄え、これを失う者は滅びることがわかる。かつて中原が戦乱で荒れ、晋の王室が南へ移った。そのため根本となる書物は不足し、枝葉の学問ばかりが盛んになった。中身のない議論と巧みな文章が一時の功を競い、国を治める大いなる学問は永く打ち捨てられた。後の世の人々はそれを踏襲し、ついにそれが気風となった。天象を観て占う術はなお行われているが、みな邪道の説に従っている。卜筮の法は常に存在するものの、爻と象の理はきちんと分けて理解されていない。月令(月ごとの政令)に拠るところがなく、時節の制度は必ず食い違う。わずか毛筋ほどを誤れば、千里の差となる。洪水や日照りが起こってもその原因を見分けられず、怪異や吉兆が現れてもその意味を知る者がない。形や像によらなければ、その根本を究めた者を証拠立てることはまれである。その誤りと惑いを見て、今の学ぶ人々を嘆かわしく思う。みな末を信じて本を忘れ、いずれも粗いところを取り上げて細かいところを見落としている。古人は「山に登って初めて天の高さを知り、谷に臨んでこそ地の厚さを覚る」と言った。昔の聖人の道を聞かなければ、学問の大きさを知ることはできない。まして五行は奥深いものであり、どうして軽々しく文章を飾るだけで済ませられようか。そこで今、広く経書と緯書を採り、書物や記録を探り尽くして、ほぼその大要を述べることにした。全体で二十四段、それをさらに分ければ合わせて四十段となる。二十四というのは、一年の節気の総数である。四十というのは、五行の成数(六・七・八・九・十)を合わせた数である。名を解き明かす段から始まり、虫や鳥の段で終わる。およそ五行に配当されるものは、すべてこの書の義のうちにある。願わくは、この道を絶えさせず、その始まりを知らしめたい。もし心を治め志を静め、その微妙なところを研究することができれば、ただ精神を楽しませ本性を養い、徳を保って身を全うするだけでなく、さまざまな政治を助け整え、あらゆるものを利し安んずることもできよう。これこそ至人(道を究めた人)が到達するところである。昔の人は物に感じて経を作り、私は今、事柄に即してその義を述べる。時代は異なっても、同じ軌道を別の道筋からたどるのである。道を味わう深さが人によって揃わないことを嘆きつつ、物を利するという点での一致を求める。これを後の世の賢者にゆだね、足りないところを補ってもらいたい。
解説
この章句が説くこと
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五行大義・序上儀同三司・城陽郡開国公、蕭吉(しょうきつ)撰す。 夫(そ)れ五行は、蓋(けだ)し造化の根源、人倫の資始(しし)にして、万品(ばんぴん)その変易を稟(う)け、百霊その感通に因る。陰陽に本づき、精像に散じ、天地に周竟(しゅうきょう)し、幽明に布極す。子午卯酉(しごぼうゆう)を経緯と為し、八風六律を綱紀と為す。故に天に五度有りて以て象を垂れ、地に五材有りて以て用に資し、人に五常有りて以て徳を表す。万有森羅するも、五を以て度と為す。その五を過ぐる者は、数則ち変ず。実に五気に資りて、四序を均和し、百品を孕育(よういく)し、万物を陶鋳(とうちゅう)す。善なれば則ち五徳順行して、三霊炳曜(へいよう)し、悪なれば則ち九功革(あらた)まらずして、六沴(りくれい)互いに興る。始めを原(たず)ね終わりを要(もと)むるも、萌兆を究むること靡(な)し。是を以て聖人は未だ肇(はじ)まらざるに体し、故に言を設けて以て象を筌(せん)し、象を立てて以て事を顕す。事既に懸かに有れば、象を以て知るべし。象あれば則ち滋(じ)あり、滋あるが故に数を生ず。数なれば則ち紀すべく、象なれば則ち形すべし。形すべく紀すべし、故にその理は仮りて知るべし。仮りて知るべきは、則ち亀筮(きぜい)是れなり。亀は則ち象たり、故に日を以て五行の元と為す。筮は則ち数たり、故に辰を以て五行の主と為す。若し夫れ参辰(しんしん)の伏見、日月の盈虧(えいき)、雷動き虹出で、雲行き雨施す、此れ天の象なり。二十八舎、内外の諸官、七曜三光、星分歳次、此れ天の数なり。山川水陸、高下平汙(へいお)、嶽鎮河通、風廻り露蒸す、此れ地の象なり。八極四海、三江五湖、九州百郡、千里万頃(ばんけい)、此れ地の数なり。
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説苑・辨物易に曰わく、「仰いで以て天文を観、俯して以て地理を察す」と。是の故に幽明の故を知る。夫れ天文地理、人情の効、心に存すれば、則ち聖智の府なり。是の故に古えの聖王既に天下に臨めば、必ず四時を変じ、律暦を定め、天文を考え、時変を揆り、霊台に登りて気氛を望む。故に堯曰わく、「咨(ああ)爾舜よ、天の暦数爾が躬に在り、允に其の中を執れ、四海困窮せば」と。書に曰わく、「璿璣玉衡に在りて、以て七政を斉う」と。璿璣とは此の辰、勾陳枢星なり。其の魁杓の指す所を以て二十八宿の吉凶禍福と為す。天文列舎の盈縮の占い、各々類を以て験と為す。夫れ変を占うの道は二のみ。二とは陰陽の数なり。故に易に曰わく、「一陰一陽、之を道と謂う。道なる者は、物の動くこと道に由らざるは莫し」と。是の故に一に発し、二に成り、三に備わり、四に周く、五に行わる。是の故に玄象の著明なるは、日月より大なるは莫し。変の動を察するは、五星より著るきは莫し。天の五星は気を五行に運らし、其の初めは猶お陰陽より発し、化は万一千五百二十に極まる。所謂二十八星とは、東方を角亢氐房心尾箕と曰い、北方を斗牛須女虚危営室東壁と曰い、西方を奎婁胃昂畢觜参と曰い、南方を東井輿鬼柳七星張翼軫と曰う。所謂宿とは、日月五星の宿る所なり。其の宿に在りて外内を運る者は、宮を以て名を別つ。其の根荄は皆地に発して華は天に形わる。所謂五星とは、一に歳星と曰い、二に熒惑と曰い、三に鎮星と曰い、四に太白と曰い、五に辰星と曰う。欃槍・彗孛・旬始・枉矢・蚩尤の旗は、皆五星盈縮の生ずる所なり。五星の犯す所、各々金木水火土を以て占と為す。春秋冬夏の伏見時有り、其の常を失い、其の時を離るれば則ち変異と為し、其の時を得て其の常に居れば、是を吉祥と謂う。古えに四時を主る者有り。春を主る者は張、昏にして中す、以て穀を種うべし、上は天子に告げ、下は之を民に布く。夏を主る者は大火、昏にして中す、以て黍菽を種うべし、上は天子に告げ、下は之を民に布く。秋を主る者は虚、昏にして中す、以て麦を種うべし、上は天子に告げ、下は之を民に布く。冬を主る者は昴、昏にして中す、以て斬伐・田猟・蓋蔵すべし、上は之を天子に告げ、下は之を民に布く。故に天子南面して四星の中するを視、民の緩急を知り、急なれば賦籍せず、力役を挙げず。書に曰わく、「敬んで民に時を授く」と。詩に曰わく、「物其れ有り、維れ其れ時なり」と。物の有りて絶えざる所以は、其の動くに時を以てすればなり。
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五行大義・第二十三論諸人・第一論人配五行王気はその盛んなる時に当たる、故に最も霊聖なり。相気は王に微(すこ)しく劣る、故に善・忠より已下(いか)は王政に伏す。休気は已に衰う、故に仕・庶の例に当たる。囚気は最も劣る、故に衆・小の流に当たる。文子の上を以て下に返し、人を喩えて畜に比するも、亦た之に近し。然れども此の五気は、清有り濁有り、正有り邪有り、初有り末有り。若し正気を得れば、卑劣に在りと雖も、方(まさ)に大善と為る。若し卑気を受くれば、尊勝に居ると雖も、衆(おお)く大悪を興す。桀の夏宗を覆し、紂の殷族を亡ぼし、周の幽・厲に衰え、漢の桓・霊に滅ぶが如きに至りては、此れ則ち尊に処りて悪を興す者なり。鼎を殷廟に負い、釣を磻渓(はんけい)に垂れ、南陽に商賈し、車下に牛を飼う。此の時に当たりては、その善未だ見(あら)われず。師輔に登るに及びて、仁聖並び彰(あら)わる。此れ豈に卑下にして能く宏済(こうさい)するに非ずや。その賢徳已上は、気正しくして邪無し、故に最上に居る。然れども気の初なるは、齢歯終に長く、気の末なるは、命相短促なり。此の四気に又た四別有り。若し上にして清秀なれば、霊智愈いよ高し。上にして濁汚なれば、乃ち須らく修飭(しゅうちょく)すべし。下にして清秀なれば、琢磨して方に以て器と為る。之に昏濁を加うれば、朽木は復た雕るべからず。貴賤・富貧・好醜・善悪・性情・年命を兼ぬれば、乃ち万途有り、並びに五行の気の感ずる所の致すなり。今且く文子に就きてその二十五等を論じ、以て階差と為す。自外(これよりほか)の諸徒は、具さに弁じ難し。人を知るは則ち哲なり、惟(こ)れ帝も其れ之を難しとす。明聖なる者に非ざれば、孰(たれ)か能く弁識せん。『禄命決』に云う、
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五行大義・第三明数・第一起大衍論易動静数第三、明数。此に就きて分かちて五段と為す。一には大衍を起こして易の動静の数を論じ、二には五行及び生成の数を論じ、三には支干の数を論じ、四には納音(なっちん)の数を論じ、五には九宮の数を論ず。 凡そ万物の始めは、無に始まりて後に有らざるは莫し。是の故に易に大極有り、是れ両儀を生ず。両儀は四序を生ず。四序は、生の生ずる所なり。万物滋繁する有りて、然る後に万物生成するなり。皆陰陽二気の、鼓舞陶鋳し、互いに相交感するに由る。故に孤陽は独り生ずる能わず、単陰は独り成す能わず。必ず須らく配合して以て鑪冶(ろや)すべし。爾(しか)して乃ち万物化通す。是れ則ち天に其の象有りて、精気下流し、地道含化して、以て形の始めに資す。陰陽消長し、生殺用成す。其の道の明らめ難きを明らかにするは、数に非ざれば究むべからず。故に数に因りて以て之を弁ず。数の理を顕すは、猶お筌蹄(せんてい)の魚兎を取るがごとし。陽は順いて始めを唱え、陰は其の終わりを佐(たす)く。奇偶の数を窮め、相成の道を備え、変化の源を極むる者は、蓍策(しさく)の数に詳らかなり。七・八を静と為し、九・六を動と為す。陽動きて進み、七を変じて九に之(ゆ)く。気の息(そだ)つに象るなり。陽道の舒ぶるを明らかにし、以て君徳に象る。始めを唱えて休まず、屈後する所無し。極を去ること一等なるも、猶お之を進む。故に九は動くなり。陰動きて退き、八を変じて六に之く。気の消ゆるに象るなり。以て臣の法の屈後する所有り、唱和するのみなるを明らかにす。事理君に近ければ、則ち靖息して以て命を聴き、必ず須らく退譲して、以て其の義を明らかにすべし。故に八は静なり。易に曰く、「分かちて二と為して以て両に象り、一を掛けて以て三に象り、之を揲(かぞ)うるに四を以てし、以て四時に象る」と。余りの手に四七有り、故に七と名づくるなり。四八有り、故に八と名づくるなり。
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五行大義・第十九論治政その制度法式は、皆五行を本と為す。衣服威儀、朝廷の俯仰(ふぎょう)、農桑播殖(はしょく)、施恵慶賜(せけいけいし)は、木なり。尊卑上下、制度礼式、封爵賞功、高きに居て遠きを視るは、火なり。宮室台榭(だいしゃ)、夫婦親戚、徳を布き養を含み、禄秩(ろくちつ)赦宥(しゃゆう)は、土なり。兵戎(へいじゅう)器械、獀狩(しゅうしゅ)武備、刑罰獄禁は、金なり。宗廟祭祀、儲積(ちょせき)封蔵、喪を飭(ととの)え哀慕し、卜筮して疑いを決するは、水なり。五行に因りて百官を致し、百官に因りて万事を理(おさ)む。万事理まりて四海安し。是れ政治の由る所なり。その居処・服御・器用の従う所、五行に本づかざるは莫し。乃ち治道に通ずるなり。礼記に云う、春の月、天子は青陽の左个(さこ)に居り、鸞輅(らんろ)に乗り、蒼竜(そうりゅう)を駕し、青旂(せいき)を載せ、青衣を衣(き)、蒼玉を服す。夏の月、明堂の左个に居り、朱輅に乗り、赤駵(せきりゅう)を駕し、赤旂を載せ、朱衣を衣、赤玉を服す。中央は土、太廟の太室に居り、太輅に乗り、黄駵を駕し、黄旂を載せ、黄衣を衣、黄玉を服す。秋の月、総章の左个に居り、戎輅に乗り、白駱(はくらく)を駕し、白旂を載せ、白衣を衣、白玉を服す。冬の月、玄堂の左个に居り、元輅に乗り、鉄驪(てつり)を駕し、玄旂を載せ、玄衣を衣、玄玉を服す、と。考霊曜(こうれいよう)に云う、春は令を外に発し、仁政を行い、天の常に従う。その時は青を衣る。夏は以て金を毀(こぼ)ち銅を銷(と)かし、火に備えしめ、天の明を敬すべし。その時は赤を衣る。中央は土、有道の人を挙げ、之と国を慮(おもんぱか)る。以て罪を殺すべきも、土功を起こして地の常を犯すべからず。その時は黄を衣る。秋は金銅を毀ちて、陰の剛を犯すこと無かれ。その時を用いて兵を持し、宜しく猛獣を殺すべし。その時は白を衣る。冬は物をして蔵せざらしむること無かれ。水道を害すること毋(な)く、気と相保つ。その時は黒を衣る、と。家語に云う、
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五行大義・第三明数・第一起大衍論易動静数此れ有れば、則ち静爻の数なり。夏殷は質を尚(たっと)ぶ、以て静爻を用いて之を占う。余りに四九有り、故に九と名づくるなり。四六有り、故に六と名づくるなり。此れ則ち動爻の数なり。周は質文を備う、故に兼ねて動爻を用う。凡そ大衍は天地の数を極む、五十有五なり。京房(けいぼう)は十日・十二辰・二十八宿を以て、合わせて五十に応ず。其の一を用いざる者は、天の生気、将に虚を以て実を求めんと欲す、故に四十九を用う。馬融は易の大極を以て、北辰と為すなり。両儀を生じ、両儀は日月を生じ、日月は四時を生じ、四時は五行を生じ、五行は十二月を生じ、十二月は二十四気を生ず。北辰は位に居りて動かず、其の余の四十九、転運して用うるなり。鄭玄曰く、「貞悔六爻、本より五十有り、用うる所の者を定むること、四十有九」と。天地の数は、本五十五。天五と地十と通じ、天一と地六と通ず。之を数うれば気則ち并(あわ)せる有り、并すれば則ち宜しく減ずべし。大衍は五を減ず、故に五十有り。其の用は一を減ず、故に四十有九。并せざる者は、減ずべからざるなり。今其の数を総べて五十とするは、天一より地十に至るまで、凡そ五十五なればなり。此れ生成の数を合わす。若し止だ生数を言わば、唯だ十有五、一より五に至るなり。易の象る所、爻之を尽くす。邃(ふか)き有り、故に天地より以下、日月等の数、皆蓍卦の摂する所と為り、循環変転して、万世窮まり無し。而して五十有五の、五は本并数なり。并数とは、天の地と共に、各おの一体有り、体各おの一の正応敵対有り。今五に盈(み)つるは、則ち是れ気の并数なり。并は再び用いず、是れ其の配義なり。配は則ち虚と為り、実に当たらず。実に当たらず、故に事に主る所無し。所以に揲蓍(ちょうし)に用いず。又其の一を虚しくする者は、一を掛けて無に象る。無は象るべき無し。故に有の用極まれば、則ち無の功見(あら)わる。故に曰く、「大業を尋ねて吉凶を得、吉凶を尋ねて八卦を得、八卦を尋ねて以て四時を得、四時を尋ねて以て両儀に至り、両儀を尋ねて以て太極に至る。太極とは、大いに殺(そ)ぎて極まる、無の致を窮むるなり」と。有を遣りて以て邃きを極め、多きを減じて以て少なきに就く、此の謂いなり。故に曰く、「太極は復た象る所無し」と。其の空寂にして、言象の詮する所に非ざるを明らかにするなり。
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