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五行大義 / 第二十三論諸人・第一論人配五行

王氣當其盛時。故最靈聖。相氣微劣於王。故自善忠已下伏王政。休氣已衰。故當仕庶之例。囚氣最劣。故當衆小之流。文子以上返下。喻人比畜。亦近之矣。然此五氣。有清有濁。有正有邪。有初有末。若得正氣。雖在卑劣。方爲大善。若受卑氣。雖居尊勝。衆興大惡。至如桀覆夏宗。紂亡殷族。周衰幽厲。漢滅桓靈。此則處尊興惡者也。負鼎於殷廟。垂釣於磻溪。商賈南陽。飼牛車下。當此之時。其善未見。及登師輔。仁聖竝彰。此豈非卑下而能宏濟。其賢德已上。氣正無邪。故居最上。然氣之初也。齡齒終長。氣之末也。命相短促。此四氣又有四別。若上清秀。靈智愈高。上而濁汙。乃須脩飭。下而清秀。琢磨方以爲器。加之昏濁。朽木不可復雕。兼貴賤。富貧。好醜。善惡。性情。年命。乃有萬途。竝五行氣感所致。今且就文子論其二十五等。以爲階差。自外諸徒。難以具辨。知人則哲。惟帝其難。非明聖者。孰能辨識。祿命決云。

新字:王気当其盛時。故最霊聖。相気微劣於王。故自善忠已下伏王政。休気已衰。故当仕庶之例。囚気最劣。故当衆小之流。文子以上返下。喩人比畜。亦近之矣。然此五気。有清有濁。有正有邪。有初有末。若得正気。雖在卑劣。方為大善。若受卑気。雖居尊勝。衆興大悪。至如桀覆夏宗。紂亡殷族。周衰幽厲。漢滅桓霊。此則処尊興悪者也。負鼎於殷廟。垂釣於磻渓。商賈南陽。飼牛車下。当此之時。其善未見。及登師輔。仁聖並彰。此豈非卑下而能宏済。其賢徳已上。気正無邪。故居最上。然気之初也。齢歯終長。気之末也。命相短促。此四気又有四別。若上清秀。霊智愈高。上而濁汚。乃須脩飭。下而清秀。琢磨方以為器。加之昏濁。朽木不可復雕。兼貴賤。富貧。好醜。善悪。性情。年命。乃有万途。並五行気感所致。今且就文子論其二十五等。以為階差。自外諸徒。難以具弁。知人則哲。惟帝其難。非明聖者。孰能弁識。禄命決云。

書き下し

王気はその盛んなる時に当たる、故に最も霊聖なり。相気は王に微(すこ)しく劣る、故に善・忠より已下(いか)は王政に伏す。休気は已に衰う、故に仕・庶の例に当たる。囚気は最も劣る、故に衆・小の流に当たる。文子の上を以て下に返し、人を喩えて畜に比するも、亦た之に近し。然れども此の五気は、清有り濁有り、正有り邪有り、初有り末有り。若し正気を得れば、卑劣に在りと雖も、方(まさ)に大善と為る。若し卑気を受くれば、尊勝に居ると雖も、衆(おお)く大悪を興す。桀の夏宗を覆し、紂の殷族を亡ぼし、周の幽・厲に衰え、漢の桓・霊に滅ぶが如きに至りては、此れ則ち尊に処りて悪を興す者なり。鼎を殷廟に負い、釣を磻渓(はんけい)に垂れ、南陽に商賈し、車下に牛を飼う。此の時に当たりては、その善未だ見(あら)われず。師輔に登るに及びて、仁聖並び彰(あら)わる。此れ豈に卑下にして能く宏済(こうさい)するに非ずや。その賢徳已上は、気正しくして邪無し、故に最上に居る。然れども気の初なるは、齢歯終に長く、気の末なるは、命相短促なり。此の四気に又た四別有り。若し上にして清秀なれば、霊智愈いよ高し。上にして濁汚なれば、乃ち須らく修飭(しゅうちょく)すべし。下にして清秀なれば、琢磨して方に以て器と為る。之に昏濁を加うれば、朽木は復た雕るべからず。貴賤・富貧・好醜・善悪・性情・年命を兼ぬれば、乃ち万途有り、並びに五行の気の感ずる所の致すなり。今且く文子に就きてその二十五等を論じ、以て階差と為す。自外(これよりほか)の諸徒は、具さに弁じ難し。人を知るは則ち哲なり、惟(こ)れ帝も其れ之を難しとす。明聖なる者に非ざれば、孰(たれ)か能く弁識せん。『禄命決』に云う、

現代語訳

王気はその気がもっとも盛んな時にあたるので、それを受けた者はもっとも霊妙で聖なる者となる。相気は王気にわずかに劣るので、善人・中人以下の者は、王気の人の政に服する。休気はすでに衰えているので、仕人・庶人の類にあたる。囚気はもっとも劣るので、衆人・小人の類にあたる。文子が上の五と下の五とを対比し、人を家畜にたとえたのも、これに近い。しかしこの五つの気には、清らかなものと濁ったもの、正しいものと邪なもの、初めのものと終わりのものがある。もし正しい気を得ていれば、卑しい身分にあっても大善をなす者となる。もし卑しい気を受けていれば、尊い位にあっても、多くは大悪を引き起こす。夏の桀王が夏の王統を覆し、殷の紂王が殷の一族を滅ぼし、周が幽王・厲王の代に衰え、漢が桓帝・霊帝の代に滅びに向かったようなことは、尊い位にあって悪を引き起こした例である。一方、鼎を背負って殷の廟に仕え(伊尹)、磻渓で釣り糸を垂れ(太公望)、南陽で商いをし(管仲を指すとみられる)、車の下で牛を飼っていた(甯戚)人々は、その当時はまだその善が現れていなかった。王の師や補佐の地位に登るに及んで、仁と聖とがともに明らかになった。これこそ、卑しい身分にありながら広く世を救ったものではないか。賢人・徳人より上の人々は、気が正しく邪がないので、最上の位にいる。しかし気の初めに生まれた者は寿命が長く、気の終わりに生まれた者は命が短い。この四つの気にはさらに四つの区別がある。上の気で清らかにすぐれていれば、霊妙な知恵はいよいよ高い。上の気でも濁っていれば、身を修め整えなければならない。下の気でも清らかにすぐれていれば、磨けば器となる。それに暗く濁ったものが加われば、朽ちた木に彫刻できないように、どうにもならない。貴賤・貧富・美醜・善悪・性情・寿命を合わせて考えれば、道は無数に分かれるが、みな五行の気に感じて生じたものである。いまはひとまず文子によって二十五等を論じ、段階の違いとしておく。それ以外の人々については、細かく区別しがたい。人を知るのは明哲であることで、帝堯でさえそれを難しいとした(『尚書』の言葉)。明らかな聖人でなければ、誰が見分けられようか。『禄命決』(生まれで運命を占う書)はこう言う、

解説

前節で二十五等の人を王・相・休・囚の気に配したのを受けて、その配当を柔らかくする節である。同じ気にも清濁・正邪・初末があり、正しい気を受ければ卑しい身分でも大善をなし、卑しい気を受ければ帝王でも大悪をなすという。暴君の桀・紂、周の幽王・厲王、後漢の桓帝・霊帝と、低い身分から名臣となった人々とが対比される。鼎を背負って殷の湯王に近づいた伊尹、磻渓で釣りをしていて周の文王に見出された太公望、牛を飼いながら歌って斉の桓公に用いられた甯戚は、いずれも古くから知られた故事である。上の気でも濁っていれば修養が要り、下の気でも清らかなら磨けば器となる、という説明は、宿命論と修養論の折衷といえる。「朽木は雕るべからず」は『論語』の言葉である。最後に『尚書』の「人を知るは則ち哲」を引いて、人を見分ける難しさで結ぶところに、人間を型にはめきらない慎重さが見える。

この章句が説くこと

五行大義清濁伊尹太公望人を知る

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