言志四録 / 言志耋録 第二百八十二条 清物は心を洗ふ
色之淸者可觀。聲之淸者可聽。水之淸者可嗽。風之淸者可當。味之淸者可嗜。臭之淸者可嗅。凡淸物皆足以洗吾心。
新字:色之清者可観。声之清者可聴。水之清者可嗽。風之清者可当。味之清者可嗜。臭之清者可嗅。凡清物皆足以洗吾心。
書き下し
色の清き者は観る可く、声の清き者は聴く可く、水の清き者は嗽ぐ可く、風の清き者は当る可く、味の清き者は嗜む可く、臭の清き者は嗅ぐ可し。凡そ清き物は、皆以て吾が心を洗ふに足る。
現代語訳
清らかな色は見るのがよく、清らかな音は聴くのがよく、清らかな水は口をすすぐのがよく、清らかな風は身に受けるのがよく、清らかな味は味わうのがよく、清らかな香りは嗅ぐのがよい。およそ清らかなものは、みな私の心を洗い清めるに足るものである。
解説
色・声・水・風・味・香り。一斎は五感で触れるものを六つ並べ、そのどれもが「清き」ものであれば心を洗うに足ると言います。畳みかけるような対句のリズムそのものが、清らかさを味わわせる構成になっています。心を正すのは読書や内省だけではなく、身の回りの感覚的な環境からも養われるという考え方です。前条の古書画の鑑賞と同じく、晩年の一斎が心を養う方法を身近なところに求めていたことがうかがえます。澄んだ空気や静かな音、すっきりした味のものに触れるだけで気持ちが整う経験は誰にでもあるでしょう。働く環境や日々の過ごし方を、心の状態との関わりから見直す手がかりになります。
この章句が説くこと
清五感養心環境心を洗う
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説苑・奉使晏子將に荊に使いせんとす。荊王之を聞き、左右に謂いて曰く、「晏子は賢人なり。今方に來らんとす。之を辱めんと欲す、何を以てせん。」左右對えて曰く、「其の來るに爲り、臣請う一人を縛りて王を過りて行かしめん。」是に於て荊王晏子と立ちて語る。一人を縛る有り、王を過りて行く。王曰く、「何を爲す者ぞ。」對えて曰く、「齊人なり。」王曰く、「何の坐ぞ。」曰く、「盜に坐す。」王曰く、「齊人固より盜するか。」晏子反顧して之に曰く、「江南に橘有り、齊王人をして之を取りて江北に樹えしむるに、生じて橘と爲らず、乃ち枳と爲る。然る所以は何ぞ。其の土地之をして然らしむるなり。今齊人齊に居りて盜せず、荊に來りて盜す、土地之をして然らしむる無きを得んか。」荊王曰く、「吾子を傷つけんと欲して反りて自ら中れり。」
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