言志四録 / 南洲手抄
身有老少、而心無老少。氣有老少、而理無老少。須能執無老少之心、以體無老少之理。
新字:身有老少、而心無老少。気有老少、而理無老少。須能執無老少之心、以体無老少之理。
書き下し
身に老少有りて、心に老少無し。気に老少有りて、理に老少無し。須らく能く老少無きの心を執つて、以て老少無きの理を体すべし。
現代語訳
体には老いと若さがあるが、心には老いも若さもない。気には老いと若さがあるが、道理には老いも若さもない。だから、老少を超えた不変の心を保ち、老少を超えた不変の道理を体得すべきである。
解説
抄録の掉尾を飾る、老いについての一条です。肉体や気力は年齢とともに衰えますが、心の本体や物事の道理そのものには年齢がない、と一斎は言います。老いを嘆くのではなく、変わらないもの——学び続ける心、真理への姿勢——に軸足を置けというのです。一斎自身、八十歳を過ぎてなお筆を執り続けました。幕府に大島へ流された西郷が、かえって「身益々壮に、気益々旺に」読書を深めたという逸話も添えられています。人生百年時代の生き方に、静かな励ましを与えてくれる結びです。
この章句が説くこと
老少生涯学習不変の理晩成
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