言志四録 / 言志耋録 第二百六十条 名に因りて実を責む
人事。外不變而內變者有之。名不變而實變者有之。從政者宜因名以責其實。就外以求諸內。可也。
新字:人事。外不変而内変者有之。名不変而実変者有之。従政者宜因名以責其実。就外以求諸内。可也。
書き下し
人事、外変ぜずして内変ずる者之れ有り。名変ぜずして実変ずる者之れ有り。政に従ふ者は、宜しく名に因りて以て其の実を責め、外に就きて以て諸を内に求むべくして可なり。
現代語訳
人の世の事柄には、外見は変わらないのに内実が変わっているものがある。名目は変わらないのに実態が変わっているものがある。政治に携わる者は、名目をもとにその実態を問いただし、外見を手がかりにしてその内側を探るようにすればよい。
解説
制度や慣行は、名前や形はそのままでも中身がいつのまにか変質していることがある、と一斎は指摘します。だから為政者は、名目を手がかりにその実態を問い(循名責実)、外形から内側を探らねばならないというのです。「名に因りて実を責む」は韓非子などに見える法家的な統治の語ですが、一斎はそれを形骸化を見抜く眼として用いています。役職名は同じでも職責が空洞化している、規程は残っていても運用は別物になっている——組織ではよく起こることです。報告書や肩書きの上だけで安心せず、その名が指す実がいまも生きているかを確かめる習慣は、組織を預かる人にとって大切な点検になるでしょう。
この章句が説くこと
名実形骸化為政循名責実実態把握
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