呻吟語 / 外篇・品藻・名實は形影の如し
名實如形影。無實之名,造物所忌,而矯偽者貪之,暗修者避之。
新字:名実如形影。無実之名,造物所忌,而矯偽者貪之,暗修者避之。
書き下し
名實は形影の如し。實無きの名は、造物の忌む所にして、矯偽なる者は之を貪り、暗修なる者は之を避く。
現代語訳
名と実は形と影のようなものです。実の無い名は造物主の忌むところで、偽り飾る者はそれを貪り、ひそかに修める者はそれを避けます。
解説
名と実を、形と影の関係に置きます。影は形があって初めて生じるので、実の無い名は本来あり得ません。だから造物主が忌む。そして同じ名を、偽る者は貪り、ひそかに修める者は避けます。同じものへの態度が正反対になることで、人の質が分かれる形になっています。同じものへの態度が正反対になる点が、要点になっています。
この章句が説くこと
名実形影虚名貪る避ける
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