言志四録 / 言志耋録 第二百五十七条 藩屏は舟楫のごとし
漢土三代已後。封建變爲郡縣。是以其治概不能久。偶讀晋史。史臣謂國之有藩屏。猶濟川之有舟楫。安危成敗。義實相資。藩屏式固。亂何以成階。其言如是。而勢不能變。不獨西土。而萬國皆然。邦人何忘其太幸邪。
新字:漢土三代已後。封建変為郡県。是以其治概不能久。偶読晋史。史臣謂国之有藩屏。猶済川之有舟楫。安危成敗。義実相資。藩屏式固。乱何以成階。其言如是。而勢不能変。不独西土。而万国皆然。邦人何忘其太幸邪。
書き下し
漢土三代已後、封建変じて郡県と為る。是を以て其の治概ね久しき能はず。偶ま晋史を読むに、史臣謂ふ、「国の藩屏有るは、猶ほ川を済るに舟楫有るがごとし。安危成敗、義実に相資く。藩屏式て固ければ、乱何を以てか階を成さん」と。其の言是くの如し。而れども勢変ずる能はず。独り西土のみならず、万国皆然り。邦人何ぞ其の太だ幸なるを忘るるや。
現代語訳
中国では夏・殷・周の三代より後、封建制が郡県制に変わった。そのため、その統治はおおむね長続きしなかった。たまたま『晋書』を読むと、史官が「国に藩屏(王室を守る諸侯)があるのは、川を渡るのに舟と櫂があるようなものである。安泰と危難、成功と失敗のいずれにおいても、両者はまことに互いに助け合う関係にある。藩屏がしっかりと固ければ、乱がどうして起こるきっかけを得られようか」と述べている。その言葉はこのとおりであるのに、時勢はそれを元に戻すことができなかった。これは中国だけのことではなく、万国がみなそうである。わが国の人は、(封建の世が保たれている)そのはなはだしい幸いを、どうして忘れているのか。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・封建然らば則ち得失成敗、各々由る有り。而るに著述の家は、多く常轍を守る。情は今古を忘れ、理は澆淳に蔽われざるは莫し。百王の季を以て、三代の法を行わんと欲す。天下五服の内、尽く諸侯に封じ、王畿千里の間、俱に采地と為す。是れ則ち結縄の化を以て虞・夏の朝に行い、象刑の典を用いて劉・曹の末を治むるなり。紀綱弛紊せんこと、断じて知るべし。船に鍥(きざ)みて剣を求む。未だ其の可なるを見ず。柱に膠(にか)して文を成す。弥々惑う所多し。徒らに鼎を問い隧を請うに、覇王の師を懼るる有るを知る。白馬素車、復た藩維の援無し。悟らず、望夷の釁(きん)は、未だ羿・浞の災に堪えず。既に高貴の殃に罹る。寧ぞ申・繒の酷に異ならんや。此れ乃ち欽明昏乱、自ら安危を革(あらた)む。固より守宰公侯の、以て興廃を成すに非ず。且つ数世の後、王室は浸(ようや)く微なり。藩屏に始まり、化して仇敵と為る。家は俗を殊にし、国は政を異にす。強は弱を陵ぎ、衆は寡を暴(しいた)ぐ。疆場は彼此、干戈もて侵伐す。狐駘の役、女子は尽く髽(さい)す。崤陵の師、隻輪も反らず。斯れ蓋し略ぼ一隅を挙ぐ。其の余は勝げて数うべからず。陸士衡は方(まさ)に規規然として云う、「嗣王は其の九鼎を委ね、凶族は其の天邑に拠る。天下晏然として、治を以て乱を待つ」と。何ぞ斯の言の謬れるや。而して官を設け職を分かち、賢に任じ能を使う。循良の才を以て、共治の寄に膺(あた)る。刺挙分竹、何の世にか人無からん。地は或いは祥を呈し、天は宝を愛(おし)まざるに至らしむ。民は父母と称し、政は神明に比す。曹元首は方に区区然として称す、「人と其の楽を共にする者は、人必ず其の憂いを憂う。人と其の安を同じくする者は、人必ず其の危を拯(すく)う」と。豈に侯伯と為さば則ち其の安危を同じくし、之に牧宰を任ずれば則ち其の憂楽を殊にするを容(ゆる)さんや。何ぞ斯の言の妄なるや。
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『呻吟語』外篇・治道・政は地に因りて之を定め、官は人を擇びて之を守る古は國君を易へず、家大夫を易へず。故に其の治は民に因り俗に宜しく、綱を立て紀を陳ぶ。百姓と己と相ひ安んじ、然る後に從容漸漬し、日に新たに月に盛んにして、治功成る。故に「必世にして後に仁」と曰ひ、「久道にして化を成す」と曰ふ。之を天地に譬ふるに悠久ならざれば便ち物を成し得ず。封建變じて郡懸と為りてより、官に久暖の席無く、民に盡識の官無し。施設未だ竟へずして讒毀之に隨ひ、官を建てて未だ久しからずして黜陟之に隨ふ。方に熊蹯を朘りて之が薪を奪ひ、方に茧絲を繅りて其の緒を截つ。一番の人至れば、一度の更張あり。各おの性情有り、各おの識見有り。百姓は其の政令を聞くも半ばは理會するに及ばず、其の教化を聽くも尚ほ未だ信從するに及ばずして、新しき者卒かに至り、舊政廢閣す。何ぞ信從する所あらん。何ぞ遵守する所あらん。況んや加ふるに監司の掣肘を以てし、一幘を制して首の大小を問はず、都て之に冠せしめ、一衣を制して時の冬夏を問はず、必ず之を服せしむ。民情の便否を審らかにせずして、先づ書を以て督責す。即ち高才疾足の士も、俄頃措置の功、亦た目前の小康、一事の小補に過ぎず。而るに上は此れを以て殿最と為し、下は此れを以て歡虞と為す。嗚呼、傷心せり。先正に言有り、人里居せず、田井授せずんば、治を言はんと欲すと雖も、皆な苟のみと。愚謂へらく官を建つるも亦た然り。政は地に因りて之を定め、官は人を擇びて之を守る。政善ければ更張するを得ず、民安んずれば法を易ふるを得ず。其の多事にして民を擾し、情に任せて法を變ずると、惰政慢法なる者とは斥け遂ふ。其の人を更めて其の治を易へざれば、則ち郡懸は封建より賢なること遠し。
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貞観政要・封建臣聞く、国を経(おさ)め民を庇(かば)うは、王者の常制なり。主を尊び上を安んずるは、人情の大方なり。理定の規を聞き、以て長世の業を弘めんことを思う。万古易わらず、百慮も帰を同じくす。然れども命歴に余促の殊有り、邦家に理乱の異有り。遐(はる)かに載籍を観るに、之を論ずること詳らかなり。咸な云う、周は其の数に過ぎ、秦は期に及ばず。存亡の理は、郡国に在り、と。周氏は夏・殷の長久を鑒(かんが)みるを以て、皇王の並建に遵う。維城磐石、根を深くし本を固くす。王綱弛廃すと雖も、枝幹相い持す。故に逆節を生ぜず、宗祀絶えざらしむ。秦氏は師古の訓に背き、先王の道を棄つ。華を践み険を恃み、侯を罷めて守を置く。子弟に尺土の邑無く、兆庶に共治の憂え罕(まれ)なり。故に一夫号呼して七廟隳圮(きひ)す。
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