言志四録 / 言志晩録 第百三十七条 封建の制は天道なり
說命。明王奉若天道。建邦設都。樹后王君公。承以大夫師長。据此。封建之制。天道也。唐虞三代相沿。保治久遠。秦已後變爲郡縣。而世數亦促。余聞西洋諸國周回地球。分國土爲五大洲。而封建之邦。惟我爲然。又獨立自足。無仰異域。厪有漢蘭二國。許渠來貿易。是亦良法也。雖在我邦。古代則制襲漢土。至神祖。郡縣存其名。而封建行其實。可謂神算無媲矣。郡縣之世。王室失政。海內輙土崩瓦解。惟封建則列侯各守其土。庶民亦皆爲其主保護。是其所以固也。然國有興廢。則氣數之自然。以人力守之。又人道之當然。我幸生此土。沐浴堯舜之澤。可不知所以自慶乎。柳柳州封建論。吾所不取。
新字:説命。明王奉若天道。建邦設都。樹后王君公。承以大夫師長。据此。封建之制。天道也。唐虞三代相沿。保治久遠。秦已後変為郡県。而世数亦促。余聞西洋諸国周回地球。分国土為五大洲。而封建之邦。惟我為然。又独立自足。無仰異域。厪有漢蘭二国。許渠来貿易。是亦良法也。雖在我邦。古代則制襲漢土。至神祖。郡県存其名。而封建行其実。可謂神算無媲矣。郡県之世。王室失政。海内輙土崩瓦解。惟封建則列侯各守其土。庶民亦皆為其主保護。是其所以固也。然国有興廃。則気数之自然。以人力守之。又人道之当然。我幸生此土。沐浴堯舜之沢。可不知所以自慶乎。柳柳州封建論。吾所不取。
書き下し
説命に、「明王天道を奉若し、邦を建て都を設け、后王君公を樹て、承くるに大夫師長を以てす」と。此に拠れば、封建の制は天道なり。唐虞三代相沿ひ、治を保つこと久遠なり。秦已後変じて郡県と為り、而して世数も亦促る。余聞く、西洋諸国地球を周回し、国土を分ちて五大洲と為す。而して封建の邦は、惟だ我のみ然りと為す。又独立自足し、異域を仰ぐこと無し。厪かに漢蘭の二国有り、渠の来りて貿易するを許す。是れも亦良法なり。我が邦に在りと雖も、古代は則ち制漢土を襲ふ。神祖に至り、郡県其の名を存して、封建其の実を行ふ。神算媲ぶ無しと謂ふべし。郡県の世は、王室政を失へば、海内輙ち土崩瓦解す。惟だ封建は則ち列侯各々其の土を守り、庶民も亦皆其の主の為に保護せらる。是れ其の固き所以なり。然れども国に興廃有るは、則ち気数の自然なり。人力を以て之を守るは、又人道の当然なり。我幸ひに此の土に生まれ、堯舜の沢に沐浴す。自ら慶ぶ所以を知らざるべけんや。柳柳州の封建論は、吾が取らざる所なり。
現代語訳
『書経』説命篇に「聡明な王は天の道を謹んで奉じ、国を建て都を設け、諸侯・君公を立て、その下に大夫や長官を置いて補佐させる」とある。これによれば、封建の制度は天の道である。堯・舜の時代から夏・殷・周の三代まで、これが受け継がれて長く治世が保たれた。秦以後は郡県制に変わり、王朝の続く年数も短くなった。私の聞くところでは、西洋の国々は地球を船でめぐり、世界の国土を五大州に分けているが、その中で封建の国はわが国だけであるという。またわが国は独立して自給自足し、外国を頼ることがない。わずかに清(漢)とオランダの二国だけに、来航して貿易することを許している。これもまたよい制度である。わが国においても、古代には制度を中国にならっていた。神祖(徳川家康)に至って、郡県の名を残しながら封建の実を行うようになった。その神のごとき計略は比べるものがないと言える。郡県制の世では、王室が政治を誤ると、天下はたちまち土が崩れ瓦が砕けるように崩壊してしまう。ただ封建制では、諸侯がそれぞれ自分の領地を守り、庶民もみなその領主によって守られる。これこそが封建制の堅固な理由である。とはいえ国に興りと衰えがあるのは、気運の自然な成り行きである。それを人の力で守ろうとするのもまた、人の道として当然のことである。私は幸いにもこの国に生まれ、堯・舜のような聖王の恵みに浴している。自らそれを喜ぶべき理由を知らないでいられようか。柳宗元(柳柳州)の「封建論」は、私の採らないところである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢天與えて取らざれば、反って其の咎を受く。時至りて迎えざれば、反って其の殃を受く。天地親しむ無く、常に善人に與す。天道常有り、堯の為に存せず、桀の為に亡びず。善を積むの家には、必ず餘慶有り。惡を積むの家には、必ず餘殃有り。一噎の故に、穀を絕ちて食らわず。一蹶の故に、足を卻けて行かず。心天地の如き者は明らかに、行い繩墨の如き者は章らかなり。位高くして道大なる者は從い、事大にして道小なる者は凶なり。言疑わしき者は犯す無く、行い疑わしき者は從う無し。蠹蝝は柱梁を仆し、蚊虻は牛羊を走らす。
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