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言志四録 / 言志耋録 第二百二十三条 寛中の猛、猛中の寛

政有寛猛。又有寛中之猛。有猛中之寛。唯覇者爲能隨時隨處。互得其宜。是則管晏之得手。加人一等處。抑其不及道德之化。亦在此。

新字:政有寛猛。又有寛中之猛。有猛中之寛。唯覇者為能随時随処。互得其宜。是則管晏之得手。加人一等処。抑其不及道徳之化。亦在此。

書き下し

政に寛猛有り。又寛中の猛有り、猛中の寛有り。唯だ覇者のみ能く時に随ひ処に随ひて、互に其の宜しきを得と為す。是れ則ち管晏の得手にして、人に一等を加ふる処なり。抑も其の道徳の化に及ばざるも、亦此に在り。

現代語訳

政治には寛大さと厳しさとがある。さらに寛大さの中の厳しさがあり、厳しさの中の寛大さがある。ただ覇者だけが、時と場所に応じて、両者を互いにうまく使い分けることができる。これこそ管仲・晏嬰(春秋時代の斉の名宰相)の得意としたところで、人より一段優れた点である。しかしそもそも、彼らが道徳による感化に及ばない理由もまた、ここにある。

解説

政治の寛と猛、つまり緩めることと締めることの使い分けを論じた一条です。左伝には孔子が「寛以て猛を済し、猛以て寛を済す」と評した話があり、一斎はそれをさらに進めて、寛の中に猛があり、猛の中に寛があると言います。時と所に応じてこれを自在に使い分けたのが、斉の管仲や晏嬰のような覇者の宰相であり、人より一段優れた手腕でした。ところが一斎は最後に、まさにその巧みさこそが、彼らが王者の道徳的な感化に及ばない理由だとも言います。技術としての使い分けは、どこまでも操作であって、人の心を根から変えるものではないということでしょう。厳しさと優しさの配分に悩む管理者に、その先に何があるかを問いかけます。

この章句が説くこと

為政寛猛覇道徳化統率

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