言志四録 / 言志耋録 第百四十八条 先事の豫は豫楽の豫
愼病於無病之時。則無病。慮患於無患之日則無患。是之謂豫。先事之豫。即豫樂之豫。一也。
新字:慎病於無病之時。則無病。慮患於無患之日則無患。是之謂予。先事之予。即予楽之予。一也。
書き下し
病を無病の時に慎めば、則ち病無し。患を無患の日に慮れば、則ち患無し。是れを之れ豫と謂ふ。先事の豫は、即ち豫楽の豫と、一なり。
現代語訳
病気のないときに病気を慎めば、病気にならない。心配事のない日に心配事を考えておけば、心配事は起こらない。これを「豫(あらかじめ)」という。事に先立って備える「豫」は、そのまま喜び楽しむ「豫」と、一つのものである。
解説
前条の「事豫めすれば則ち立つ」を受けて、「豫」の字を掘り下げた一条です。病気でないときに養生し、何事もないときに先々の患いを考えておく。これが事に先立って備える「豫」です。そのうえで一斎は、「豫」にはもう一つ、「豫楽」すなわち喜び楽しむという意味があることに注目し、両者は一つだと言います。前もって備えがあるからこそ、心に憂いがなく、ゆったりと楽しんでいられる、という字義を生かした解釈です。『易』には豫という卦があり、楽しみと備えの両義で読まれてきました。リスクへの備えを、不安を煽るものではなく、安心して仕事を楽しむための土台として捉え直す視点を与えてくれます。
この章句が説くこと
予備え養生危機管理楽
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