言志四録 / 言志晩録 別存 第二十条 吾が不忍の心は癖なり
公取人之長處。而忘短處。又愛人才極摯。才人或有過失。陰譴責之。陽保全之。不忍遽棄之。甞自咎曰。吾不忍之心。非仁也。癖也。
新字:公取人之長処。而忘短処。又愛人才極摯。才人或有過失。陰譴責之。陽保全之。不忍遽棄之。甞自咎曰。吾不忍之心。非仁也。癖也。
書き下し
公、人の長処を取りて、短処を忘る。又人才を愛すること極めて摯なり。才人或は過失有れば、陰に之を譴責し、陽に之を保全し、遽かに之を棄つるに忍びず。嘗て自ら咎めて曰く、「吾が不忍の心は、仁に非ざるなり。癖なり」と。
現代語訳
公(林述斎)は人の長所を取って短所を忘れた。また人材をきわめて深く愛した。才能ある人に過失があれば、陰ではこれを厳しく責め、表立ってはかばい守り、すぐに見捨てることは忍びなかった。かつて自らを責めて言った。「私の見捨てるに忍びないという心は、仁ではない。癖である」。
解説
述斎の人材の用い方を記した条です。人の長所を取って短所を忘れ、才能ある者に過失があれば、陰では厳しく叱りつつ表では守り、簡単には見捨てなかったといいます。ここまでなら美談ですが、述斎は自らそれを咎め、「この見捨てられない心は仁ではなく、癖だ」と言いました。「不忍の心」は『孟子』で仁の端緒とされる言葉ですが、それが是非の判断を離れて情に流れれば、ただの癖にすぎないという自省です。才ある者をかばいすぎれば、組織の規律を損なうおそれもあります。長所を見て人を守ることと、甘さとの境目はどこにあるのか。人を用いる立場にある人に、自分の判断の癖を省みる手がかりを与えてくれます。
この章句が説くこと
人材登用長所を取る不忍の心自省叱責
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