言志四録 / 言志晩録 第百七十四条 敬を持する者は火の如し
持敬者如火。使人可畏而親之。不敬者如水。使人可狎而溺之。
書き下し
敬を持する者は火の如し。人をして畏れて之に親しむべからしむ。敬せざる者は水の如し。人をして狎れて之に溺るべからしむ。
現代語訳
敬を保っている人は火のようなものである。人に畏れを抱かせながらも、親しみを感じさせる。敬を欠いた人は水のようなものである。人に馴れ馴れしくさせ、ついにはその人の中に溺れさせてしまう。
解説
敬を保つ人を火に、敬を欠く人を水にたとえた条です。『春秋左氏伝』で子産が、火は烈しいので民は畏れて近づかず死ぬ者が少ないが、水は弱々しいので民は侮って戯れ多くが溺れる、と政治のあり方を説いた話を踏まえています。一斎はこれを人柄に移し、火は畏れられながらも暖を求めて人が寄ってくるように、敬を持する人は近寄りがたさと親しみを兼ねると言います。水のような人は一見親しみやすいのですが、けじめがないため周囲をなれ合いに引き込み、互いに崩れていきます。部下と親しくすることとなれ合うことの違いに悩む人にとって、その分かれ目が敬の有無にあることを示す比喩です。
この章句が説くこと
敬威厳親しみけじめ人望
関連する章句
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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『呻吟語』内篇・修身・苟を反して敬と為す敬なる者は、苟せざるの謂ひなり。故に苟を反して敬と為す。
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『呻吟語』内篇・存心・只だ敬と怠の兩字に系る天下國家の存亡、身の生死は、只だ「敬」「怠」の兩字に系る。敬すれば則ち慎み、慎めば則ち百務脩まり舉がる。怠れば則ち苟くもし、苟くもすれば則ち萬事隳れ頹る。天子より以て庶人に至るまで、此くのごとくならざるは莫し。此れ千古の聖賢の兢兢たる所にして、世人の必ず由る所なり。
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