言志四録 / 南洲手抄
心要現在。事未來、不可邀。事已往、不可追。纔追纔邀、便是放心。
新字:心要現在。事未来、不可邀。事已往、不可追。纔追纔邀、便是放心。
書き下し
心は現在せんことを要す。事未だ来らずば、邀ふ可らず。事已に往かば、追ふ可らず。纔かに追ひ纔かに邀へば、便ち是れ放心なり。
現代語訳
心は「今ここ」にあることが肝要だ。まだ来ていない事を、先回りして迎えに行ってはならない。もう過ぎ去った事を、追いかけてはならない。少しでも過去を追い、未来を迎えに行けば、それはもう心が今から離れてさまよっている状態(放心)である。
解説
心を「今ここ」に置くことの大切さを説いた、まるで現代のマインドフルネスのような一条です。まだ起きていない未来を先回りして心配し(邀)、過ぎ去った過去を悔やんで追う(追)——そのわずかな心の動きが、心を「今」から引き離してしまう。これを一斎は「放心(心が本来の場を離れてさまよう)」と呼びます。未来への不安と過去への後悔に心を奪われがちな私たちに、なすべきは今この瞬間に集中することだと諭します。二百年前の言葉ながら、情報に追われ心が散りがちな現代人にこそ響く、静かで実践的な一条です。
この章句が説くこと
現在放心今ここ集中
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