言志四録 / 言志晩録 第百六十七条 学を勧むるの方
勸學之方不一。各因其人施之。有稱而勸之。有激而勸之。又有不稱不激待其自勸者。猶醫人應病施劑。補瀉不一。必先察其症然。
新字:勧学之方不一。各因其人施之。有称而勧之。有激而勧之。又有不称不激待其自勧者。猶医人応病施剤。補瀉不一。必先察其症然。
書き下し
学を勧むるの方は一ならず。各々其の人に因りて之を施す。称して之を勧むる有り、激して之を勧むる有り、又称せず激せず其の自ら勧むるを待つ者有り。猶ほ医人の病に応じて剤を施すに、補瀉一ならず、必ず先づ其の症を察するがごとく然り。
現代語訳
学問を勧める方法は一つではない。それぞれその人に応じて施すのである。ほめて勧める場合もあり、奮い立たせて勧める場合もあり、またほめもせず奮い立たせもせず、その人が自ら進んで学ぶのを待つ場合もある。それはちょうど医者が病に応じて薬を処方するのに、補う薬と瀉す薬とが一様でなく、必ずまずその症状を見きわめるのと同じである。
解説
教え方は人によって変えよ、という一条です。ほめて励ます、刺激して奮い立たせる、あるいは何もせずに本人が自ら動き出すのを待つ。一斎はこれを、医者が症状を見て補う薬と下す薬を使い分けることにたとえます。大切なのは、どの方法を取るかの前に、まずその人をよく見ることです。孔子が同じ問いに対して弟子ごとに違う答えを与えた、いわゆる因材施教の伝統を受けています。昌平坂学問所で多くの門人を育てた一斎の、教育者としての実感がにじみます。部下の育成でも、褒めるべき人、発破をかけるべき人、そっと見守るべき人がいます。自分の関わり方が一通りになっていないかを振り返る材料になります。
この章句が説くこと
教育因材施教人材育成動機づけ人を見る目
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