言志四録 / 言志晩録 第百四十八条 和悦して争ふ
視官長猶父兄。宜主敬順。吾議若有不合。則宜姑置前言。替他商思。竟有不可。則非可苟從。必當和悅而爭。不敢生易慢之心。
新字:視官長猶父兄。宜主敬順。吾議若有不合。則宜姑置前言。替他商思。竟有不可。則非可苟従。必当和悦而争。不敢生易慢之心。
書き下し
官長を視ること猶ほ父兄のごとくし、宜しく敬順を主とすべし。吾が議若し合はざること有らば、則ち宜しく姑く前言を置き、替へて他に商思すべし。竟に不可なること有らば、則ち苟くも従ふべきに非ず。必ず当に和悦して争ふべし。敢へて易慢の心を生ぜず。
現代語訳
上役を父や兄のように見て、敬い従うことを基本とすべきである。もし自分の意見が上役と合わないことがあれば、ひとまず先に述べた自分の意見を脇に置き、改めて別の角度から考え直してみるべきである。それでもやはり上役の案が不可であるならば、いいかげんに従ってはならない。必ず穏やかで和やかな態度で諫め争うべきである。決して上役を軽んじ侮る心を起こしてはならない。
解説
上司と意見が合わないときの作法を、段階を追って示した一条です。まず上役を父兄のように敬い従うことを基本とする。意見が食い違ったら、いったん自説を置いて別の角度から考え直す。それでもなお上役の案が誤りだと思えば、安易に従ってはならず、穏やかな態度で争う。そして最後まで相手を侮る心を持たない。『論語』の「父母に事へては幾諫す」にも通じる、敬意と直言を両立させる道です。自説を引っ込めて考え直す段階を挟んでいるところに、一斎の慎重さが表れています。上司に異を唱えるとき、それが本当に正しいかを自分で確かめたうえで、相手への敬意を失わずに伝えられているかを振り返る材料になります。
この章句が説くこと
上司との関係諫言敬順直言自省
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