言志四録 / 言志晩録 第七十四条 読書と静坐を一片と做す
吾欲把讀書靜坐打做一片。因自試之。讀經時寧靜端坐。披卷涉目。一事一理。必求之於心。乃能默契之。恍有自得。此際眞是無欲。即是主靜。不必做一日各半工夫。
新字:吾欲把読書静坐打做一片。因自試之。読経時寧静端坐。披巻渉目。一事一理。必求之於心。乃能黙契之。恍有自得。此際真是無欲。即是主静。不必做一日各半工夫。
書き下し
吾、読書と静坐とを把りて打して一片と做さんと欲す。因りて自ら之を試む。経を読む時、寧静端坐し、巻を披き目を渉らし、一事一理、必ず之を心に求むれば、乃ち能く之に黙契し、恍として自得する有り。此の際真に是れ無欲にして、即ち是れ主静なり。必ずしも一日各半の工夫を做さず。
現代語訳
私は、読書と静坐とを一つにまとめてしまいたいと思った。そこで自ら試してみた。経書を読むとき、心を安らかにして端座し、書物を開いて目を通し、一つ一つの事柄と道理を必ず自分の心に求めると、黙ってそれと心が通い合い、ふと自得するところがある。このときはまことに無欲であり、それがすなわち「静を主とする」ことである。必ずしも一日を半分ずつに分ける工夫をする必要はない。
解説
朱子は「半日静坐、半日読書」を勧めたと伝えられ、宋学では静坐と読書が修養の二本柱でした。一斎はこれを別々に行うのではなく、一つにしたいと考えて自ら試しました。端座して経書を開き、一つ一つの事と理を自分の心に問いながら読むと、書物と心がひそかに通い合い、自得するところがある。そのとき心は無欲で、それこそ周濂渓の説いた「主静」だというのです。読書が単なる知識の取り込みではなく、心を静める修養そのものになる。次の条もこの主題を続けています。仕事の学びと心の整えを別々に確保しようとすると、どちらも中途半端になりがちです。一つの営みの中に両方を宿す工夫は、忙しい人にとって示唆に富みます。
この章句が説くこと
読書静坐主静自得無欲
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