言志四録 / 言志晩録 第七十一条 志は人の上、身は人の後
志出人上。非倨傲之想。身甘人後。非萎薾之陋。
書き下し
志は人の上に出づるも、倨傲の想に非ず。身は人の後に甘んずるも、萎薾の陋に非ず。
現代語訳
志は人の上に出ようとするが、それは驕り高ぶる思いではない。身は人の後ろに甘んじるが、それは気力の萎えた卑しさではない。
解説
志の高さと身の低さを両立させる、一斎らしい均衡の言葉です。志は人の上に出るほど高く持つ。しかしそれは他人を見下す傲慢ではない。身は人の後ろに控えることに甘んじる。しかしそれは気力を失った卑屈さではない。高い志が傲慢に、控えめな態度が無気力に転じやすいことを知ったうえで、その境目を示しています。『老子』の「其の身を後にして身先んず」を思わせますが、一斎の重点は志の側にあります。言志録の冒頭から立志を説き続けた一斎にとって、志の高さは人を押しのけることではなく、自分に課す基準の高さでした。高い目標を掲げながら、手柄は人に譲れるか。リーダーの在り方を考えるうえで味わい深い一対の句です。
この章句が説くこと
立志謙虚傲慢卑屈リーダーシップ
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